“芽生える痛み”
月光の庭園に、衣擦れの音が静かに響いた。
ミリアの身体がふらりと揺れ、膝から崩れ落ちる。純白の聖衣が花弁の上を滑り、柔らかな白が地を染めるように広がった。その布は月光を受けて輝き、まるで“血の滲む純白”――罪を映すような色へと変わっていく。
SFX:衣擦れ「サラ……」
夜の静寂の中で、その音だけが鮮明だった。
ミリアは胸を押さえ、呼吸を乱しながら顔を歪める。痛みとも、記憶ともつかぬ感情が、胸の奥を掻きむしっている。
唇が震え、言葉がこぼれ落ちた。
ミリア:「私……貴女を殺したのに、なぜ泣けるの……?」
その声は、祈りでも呪いでもなかった。
ただひとりの人間が、自分の中の“何か”に気づいてしまった瞬間の、途方もない戸惑いと痛みだった。
月光が、涙の筋を淡く照らす。
その滴は花弁に落ち、闇夜の中で静かに光を放った――
まるで、神の目が見落とした“人の心”が、そこに宿ったかのように。
リカは静かに歩み寄った。
その足取りには、かつての怒りも怨嗟もなかった。
月光に照らされながら、彼女の影はまっすぐにミリアへと伸びる。
ミリアの前で膝を折ると、リカはそっと顔を上げた。
その瞳には、深い哀しみと――それを包み込むような静かな熱が宿っている。
怒りの果てに残ったもの。それは理解。
そして、赦し。
リカ(静かに):「それが“神の設計”を超えた証。
――貴女はもう、ただの聖女じゃない。」
その声は、穏やかでありながら、まるで“神の法”に楔を打ち込むような強さを帯びていた。
夜の空気が微かに震え、花々の光がふたりを包み込むように増していく。
リカはそっと手を伸ばし、ミリアの頬に触れた。
冷たい涙が、彼女の指先を濡らす。
その瞬間、リカの瞳が金色に輝き、ミリアの涙がその光を映し返す。
まるでふたりの魂が、神の観測を越えて――
“ひとつの真実”へと触れ合ったかのように。
SFX:ノイズ「ジ……ジジ……」
神の声(断片的):「感情データ……逸脱……修正不能……」
夜の空気が、微かに軋んだ。
見えない“観測網”が波打ち、世界の構造そのものがざらつく。
リカとミリアを包む月光が、不自然に明滅を始めた。
青白かった光が一瞬、赤に染まり――まるで血のような色が庭園を覆う。
SFX:歪んだ共鳴音「ヴォォォォン……」
花々が震え、泉の水面がざわめく。
その中心で、リカの金の瞳とミリアの黒い瞳が交差した瞬間、
空間に“亀裂”のような光が走った。
神の声がノイズ混じりに崩れていく。
神の声:「観測値……矛盾……対象間リンク、解読不能……」
リカはその異音を聞きながら、ゆっくりと天を仰ぐ。
その表情には、恐れではなく――確信が宿っていた。
リカ(心の声):「……世界が、揺らいでる。
“感情”を観測できない神は、きっと……人を理解できない。」
赤く染まった月が、沈黙のうちにゆっくりと脈動する。
そのたびに、神の視界がひび割れていくようだった。
ミリアの頬を伝った涙が、静かに花弁へと落ちた。
それは月光を受け、淡く光を放ちながら白い花の上に溶けていく。
花弁が微かに揺れ、まるでその雫を“受け入れる”ように息づく。
夜の庭園全体が、ほんの一瞬――柔らかく震えた。
風も音も止み、ただその涙の軌跡だけが、世界に意味を与えていた。
リカ(心の声):「……そう。
“痛み”を知ること――それが、神にはできないこと。」
リカは静かに目を閉じ、その言葉を胸の奥で噛みしめる。
“痛み”とは、喪失の記憶。
それを感じるということは、確かに“生きている”ということ。
ミリアが顔を上げた。
その瞳には、もはや恐れも混乱もなかった。
ただ、温かな光――人間としての光が、確かに宿っていた。
リカとミリアの視線が交わる。
沈黙の中、ふたりの間に流れるものは言葉ではなかった。
それは“赦し”でもあり、“再生”でもある――
神の観測を越えて、初めて生まれた“人の証”だった。




