対峙 ― “疼く記憶”
泉のほとりに、夜が降りていた。
月の光が水面に細い筋を描き、銀の糸のように揺れている。
その光の間に、二人の姿が静かに対峙していた。
泉を挟み、リカとミリア。
どちらも、言葉を持たないまま――ただ、相手の存在を確かめるように立ち尽くしている。
ミリアの顔には、懐かしさとも痛みともつかぬ表情が宿っていた。
胸の奥を掻きむしるような違和感。
それが何なのか、彼女自身にも分からない。
リカは微動だにせず、その様子を見つめていた。
その瞳には、怒りの残滓も怨嗟もなく、
代わりに――どこか、哀しみを抱いたような優しさが浮かんでいる。
夜風が吹き抜け、白い花の香りが流れた。
水面が小さく震え、ひとつの波紋が生まれる。
SFX:小さな波紋が“ポチャリ”と音を立てる。
そのさざめきが、沈黙の中で唯一の音となり、
まるで過去の記憶が目を覚ます合図のように――
二人の間の空気を、わずかに震わせた。
ミリアの唇が、ゆっくりと震えた。
月光の下、その震えは光の粒のように儚く、けれど確かな痛みを宿していた。
ミリア:「……貴女を見ていると、心が疼くの。」
その声は、まるで告白にも似ていた。
懺悔でもあり、祈りでもあり――自分でも知らぬ罪の底から零れ落ちた響き。
リカはしばし黙っていた。
夜風が彼女の髪を撫で、青い瞳の奥に、かすかな光が揺れる。
そして、微笑む。
それは、赦しではなく、理解の微笑。
哀しみを知る者だけが持つ、静かな表情だった。
リカ:「それは、貴女の“罪の記憶”が疼いているから。」
ミリアの肩がわずかに震える。
その言葉が、彼女の心の奥深く――誰も触れたことのない場所に、ゆっくりと突き刺さる。
泉の水がきらめき、夜が呼吸を止めたように静まり返った。
ふたりの間の空気が、ひとつの真実を孕んで、じわりと熱を帯びていく。
ミリアの瞳が見開かれた。
次の瞬間、彼女は胸を押さえ、息を詰まらせる。
まるで、内側から何かが弾けるような痛み――記憶の奔流。
SFX:低い共鳴音「ヴォォォン……」
その音と同時に、世界が歪む。
月光が赤黒く滲み、白い花々が影のように色を失っていく。
――閃光のように、断片が脳裏を裂いた。
博が崩れ落ちる姿。
聖堂を呑み込む黒炎の渦。
祈りの声が悲鳴へと変わり、リカの叫びが夜を裂く。
そして、自分の手の中に――
燃えるような光。黒い、穢れた炎。
ミリア(苦痛の声で):「ああ……やめて……! これは……何……!?」
息が荒くなる。
記憶の中で、誰かの声が自分を呼んでいた。
「やめて」と泣く声。
それが、リカ自身のものだと気づくのに、時間はかからなかった。
リカは静かにその様子を見つめていた。
彼女の瞳には哀しみが、そしてほんの少しの慈しみが宿っていた。
月光が揺らぎ、赤黒い色がゆっくりと青に戻っていく。
けれど、ミリアの胸の奥では、まだ――“黒炎”がくすぶっていた。
ミリアは胸を押さえたまま、ゆっくりと崩れ落ちた。
白い衣が地面の花弁に触れ、淡い光を散らす。
その光景は祈りのようであり、懺悔のようでもあった。
ミリア(苦痛に震えながら):「これは……誰の感情なの……?」
声が震える。
涙が頬を伝う――だが、それは彼女自身の涙ではないように思えた。
胸の奥から、知らない誰かの嗚咽が響いてくる。
怒りと悲しみ、そして、消えることのない後悔。
リカは静かにその場へ歩み寄る。
月光が彼女の髪を照らし、淡い青の輝きが周囲を包む。
炎に照らされたその瞳の奥では、慈しみと怒りがひとつに溶け合っていた。
リカ(静かに):「貴女の中にいる“誰か”の痛み。
神に造られた“聖女”の中で、人間がまだ――泣いてるのよ。」
ミリアの瞳が揺れる。
その言葉が、心の奥深く、封じられた扉を叩く。
彼女は嗚咽をこらえながら顔を上げ、リカを見つめた。
その瞬間、ふたりの間にあった距離が、音もなく消える。
月光が二人を包み込み、風が静かに通り抜ける。
それはまるで、神の沈黙の中で――“人間の感情”だけが確かに息づいているかのようだった。
泉の水面が、ふたりの姿を静かに映していた。
月光が差し込み、白銀の波紋がゆらめく。
そこに映る二つの影――リカとミリア――が、ゆっくりと重なり合い、やがて境界を失っていく。
水面の揺らぎが、金と黒の光を交互に放つ。
まるでふたつの魂が再びひとつへと還ろうとするかのようだった。
SFX:微かな水音「チャプ……」
リカはその光景を見つめながら、息を呑む。
ミリアの瞳もまた、同じ光を宿していた。
そこには恐れも拒絶もない。
ただ、どうしようもなく惹かれ合う記憶の共鳴があった。
ミリア(かすれた声で):「……あの時、泣いていたのは――貴女だったのね。」
リカ(静かに):「いいえ。泣いていたのは、貴女の中の“彼”よ。」
その瞬間、空気が震えた。
頭上の空が微かにざらつき、ノイズが夜を裂く。
まるで、神の“観測網”が再起動していく音。
神の声(断片的):「干渉……再接続中……因果、再統合を開始……。」
音と共に、月光が一瞬、乱れた。
花々がざわめき、泉が光を吐き出す。
ミリアは胸を押さえ、苦しげに息を吐く。
リカはその手を取ろうとし――一瞬、ためらう。
リカ(心の声):「また、始まる……。神が“物語”を修復しようとしている……。」
二人の指先が触れ合った瞬間、世界が一拍遅れて脈動する。
夜風が止み、花弁が宙に浮かんだまま静止する。
金と黒の光が再び泉に反射し、ふたりの輪郭をゆっくりと包み込む。
それは、赦しと罪、そして再生のはざまで――
“神の観測”すらも揺るがす、人間の感情の共鳴だった。
リカの瞳が、ゆっくりと金色に染まっていく。
同時に、ミリアの瞳が深い黒に沈む。
二人の視線が交差した瞬間――空気が裂けた。
SFX:低い共鳴音「ヴォォォン……」
世界が、わずかに“軋む”。
目に見えない観測構造が振動し、夜の庭園そのものが呼吸を止める。
白い花々が一斉に光を放った。
その輝きはまるで、世界が自らの形を保とうともがくよう。
風が逆流し、月光が乱反射して地を照らす。
ミリアの髪が闇の中で揺れ、リカの頬にその光が映る。
二人の影が重なり、やがて見分けがつかなくなった。
リカ(心の声):「――また、世界が書き換えられる。」
彼女の囁きとともに、すべての光が臨界を迎える。
月が瞬き、空が割れる。
金と黒の光が渦を巻き、二人の姿を包み込む。
そして――
純白の閃光。
時間も音も意味も、すべてが押し流されていく。
最後に残ったのは、ただひとつ。
光の中で溶け合う、金と黒の瞳。
演出:画面、白にフェードアウト。
SFX:心音「ドクン――」
世界が再び、静寂に沈む。




