“月下の呼び声”
――月光の降り注ぐ夜。
王宮の奥深く、誰も足を踏み入れぬ静寂の庭園。
白い花々が淡い光を帯び、風が吹くたびに花弁が揺れ、かすかな音を奏でていた。
それはまるで、遠い祈りの鈴の音のようだった。
その中心に、ひとりの少女が立っている。
純白の聖衣をまとい、金糸のような髪を夜風に揺らす――聖女、ミリア。
だが、その顔には神に選ばれし者の静謐ではなく、
何かに怯えるような翳りが宿っていた。
ミリア(独白):「……また、胸が痛む。
あの夜のことを思い出すたびに――何かが、軋むの。」
月明かりに照らされた彼女の指先が、胸元を掴む。
その仕草には、祈りにも似た必死さがあった。
痛みは、心臓ではなく魂の奥から響いている。
それは、消えたはずの“記憶”の残滓。
あるいは――彼女自身の罪の疼き。
夜気が冷たく流れ、花々が一斉に揺れた。
まるでその痛みの理由を、月光が静かに問うているかのように。
月光が泉の水面に反射し、銀の光が庭園の壁をなぞる。
波紋が静かに広がるたび、光は形を変え、まるで何かを呼び起こすように揺れていた。
ミリアはその光景を見つめながら、唇を微かに震わせる。
声というよりも、祈りの吐息のような響き。
ミリア(囁くように):「……リカ。来て、お願い……。」
その言葉は風に溶け、夜空の奥へと吸い込まれていく。
けれど――その響きは、確かに“届いた”。
泉の向こう。
闇に沈んでいた影が、ゆっくりと動いた。
花々がざわめき、白い花弁が一枚、風に舞う。
その影が月光を受けて姿を現したとき、
ミリアの瞳に淡い驚きと、言葉にならない懐かしさが宿った。
――リカ。
青い瞳を持つ少女が、静かに一歩を踏み出す。
その足取りは、怨嗟でも憎しみでもない。
ただ、確かめるように――“再会”のための一歩だった。
月光の下、花の香が淡く流れる。
その静寂を破るように、かすかな足音が響いた。
SFX:衣擦れの音「サア……」
闇の奥から、ひとりの少女が姿を現す。
リカ――かつての聖女補佐官。
その歩みはゆるやかで、まるで風の一部となったかのよう。
青い瞳が月光を受けて淡く光を返す。
その光は、かつて信仰を支えた優しさでもあり、
すべてを見透かす“観測者”の眼でもあった。
ミリアは息を呑む。
胸の奥で、何かが確かに震えた。
ミリア(心の声):「……来た。
でも、どうして――こんなに綺麗に、静かに……。」
リカは何も言わず、ただ立ち止まる。
二人の間を、夜風が通り抜ける。
その瞬間、月光が二人の姿を照らし、
地面に落ちた影が――ひとつに重なった。
夜が、息をひそめていた。
月光が白い花々を照らし、淡く輝く光が二人の輪郭を縁取る。
風が通り抜け、花弁が一枚、静かに舞い落ちる。
言葉は――ない。
ただ、空気の振動と、互いの存在だけがそこにあった。
ミリアの瞳に、一瞬だけ“恐れ”が走る。
それは怯えというより、記憶の奥底から疼き出す痛み。
自らの罪が、目の前に姿をとって現れたような錯覚。
対するリカの表情には、怒りも憎しみもなかった。
代わりに宿っているのは、“知ってしまった者”の静かな確信。
彼女の瞳の奥では、金と青がわずかに交じり合っていた。
ミリア(震える声で):「……本当に、貴女なのね。」
リカ(静かに):「ええ。貴女の呼び声に、導かれたの。」
ミリアの喉がわずかに震える。
その声は、祈りにも似て――
けれど、どこか懺悔のような響きを帯びていた。
夜風がふたりの間をすり抜け、花弁を巻き上げる。
その音だけが、沈黙の続きを語っていた。
風が、静寂を切り裂いた。
白い花弁がふわりと舞い上がり、二人の間を漂う。
月光がその一枚一枚を銀に染め、まるで夜が涙をこぼしているかのようだった。
リカは動かない。
ミリアもまた、ただその光景を見つめていた。
地面に映る二人の影――
ひとつに重なり、わずかに揺れて、また離れる。
まるでそれが、“交わることを許されなかった魂”たちの再会と断絶を映しているようだった。
SFX:遠くで鐘の音「コォォン……」
音はゆっくりと夜気に溶けていく。
その残響が、ふたりの鼓動のように微かに重なり、そして静かに遠のいた。
月が雲間に隠れ、庭園は一瞬、深い蒼に沈む。
だがその暗闇の中で――
ふたつの瞳だけが、確かに光を宿していた。




