訪問者 ― 若き司祭
部屋の静寂を破ったのは、わずか二度のノックだった。
音が硬質な木扉を叩き、重たく停滞していた空気の表面に細い波紋を描く。
SFX:コツ……コツ……
リカは肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。
蝋燭の青い炎が彼女の頬を照らし、そこに疲労と恐怖の影を浮かび上がらせる。
しばらくの間、彼女は動けなかった。
あの鏡に映った“もうひとつの瞳”の残像が、まだ網膜の奥にこびりついている。
呼吸をひとつ整え、彼女は躊躇いがちに扉へと歩み寄った。
扉を開くと、外の冷たい空気が流れ込み、蝋燭の炎が一瞬細く揺らぐ。
そこに立っていたのは、黒衣を纏った若い男――セドリック。
王立教会の“観測記録官”と呼ばれる司祭であり、儀式の記録と監査を司る立場の者だった。
だがその眼差しは、単なる学者のものではない。
深く、冷たく、何かを知りすぎた者の瞳をしていた。
セドリック:「聖女補佐官リカ……入っても構いませんか。」
その声は静かだった。
丁寧な口調の奥に、測りかねるほどの警戒と探りの気配を孕んでいる。
リカは答えず、ただ一歩後ろに退いた。
それを許可と受け取ったのか、セドリックはゆっくりと室内へ入る。
青い光が彼の黒衣を照らし出す。
視線を巡らせた彼は、机の上の蝋燭を見た瞬間、一瞬だけ表情を硬くした。
その青炎は、聖域の灯にあるまじき色――神の領域が干渉した印だった。
セドリック(低く):「……やはり、発動したのですね。」
リカの背筋を冷たいものが走る。
その言葉には、ただの驚きではなく、すでに“予見していた者”の響きがあった。
リカ(心の声):「――知っていた? このことを……?」
彼女の胸に再び、あの“黒炎”の残り火が疼いた。
リカは背を向けたまま、しばらく言葉を発さなかった。
呼吸だけが微かに聞こえる。鏡の前に置かれた手が小刻みに震えている。
青い蝋燭の光が、彼女の肩の輪郭を淡く照らし出した。
リカ:「……あなた、知ってるんでしょう? 私の瞳に何が起きているのか。」
その声は、怒りではなく――恐れと、確信の混ざった響きだった。
セドリックは一歩踏み出した。
だがその足取りは慎重で、まるで踏み込むほどに何かを壊してしまうと知っているような動きだった。
手に握られた羊皮紙が、彼の緊張を物語るようにかすかに軋む。
セドリック:「……それは、神が見せてはならぬ真実です。」
低く、押し殺した声。
青い炎がその横顔を舐め、影と光を交互に走らせる。
彼の瞳の奥に、一瞬“ためらい”が宿った。
まるで――それを語る資格すら、神に禁じられているかのように。
リカはゆっくりと振り返る。
青の炎に照らされたその瞳には、淡い金と黒の揺らぎが生まれていた。
まるで光と闇が同じ場所で呼吸をしているように。
リカ:「神が……見せてはならぬ?
なら、なぜ私には見えるの? ――“見せられた”んじゃない。
私が見てしまったのよ。」
言葉の最後に宿る確信。
その瞬間、蝋燭の青い炎がふっと高く揺れ、影が壁を這った。
セドリックは沈黙した。
ゆっくりと、黒衣の袖の中から一冊の書を取り出す。
机の上に置かれたその表紙は、古代の刻印で覆われていた。
淡く褪せた金の文字が、青い光の中で浮かび上がる。
表紙に刻まれた銘:《観測者ノ記録》
セドリックの声が、低く室内に響く。
セドリック:「これは……あなたの“前任者”が残した記録です。」
青い炎がまた、小さく鳴った。
まるで、過去が今、再び呼吸を始めたかのように――。
机の上に置かれた古書は、時間の重みをそのまま形にしたようだった。
厚く、重く、革の表紙の一部は黒く焦げ、何かに焼かれた痕跡を残している。
縁をなぞると、粉のように細かな灰が指先に落ちた。
青い炎がその背表紙を照らす。
そこに浮かび上がるのは、失われた古代語の刻印。
――《観測者ノ記録(Chronicles of the Observer)》
セドリックは指先で静かにページを開いた。
紙の擦れる音が、異様なほど大きく響く。
彼の唇が、祈祷にも似た調子で小さく動く。
セドリック:「これは……“魂視”の発現を記した記録です。」
その声は静かだったが、言葉の一つひとつが刃のように空気を裂く。
ページの上に描かれていたのは、瞳の紋章、光と影の二重円、そして――“転輪”。
セドリック:「神に選ばれた者ではなく、“神に選ばれてしまった者”の記録。」
リカは息を呑んだ。
その言葉の中に、抗いがたい運命の気配を感じ取る。
彼女の視線がセドリックを捕らえたとき、
その瞳の奥にわずかな哀しみと、祈りにも似た諦念が滲んでいた。
リカ:「選ばれて……しまった、者……?」
セドリックは頷き、指でページの一行をなぞる。
そこには、震えるような筆致でこう記されていた。
“観測者は、神の夢を覗き見る。
そしてその夢が壊れる瞬間、世界もまた、形を失う。”
沈黙。
青い蝋燭がかすかに揺れ、炎の輪郭が歪む。
セドリック(低く):「貴女は――“観測者”です。
世界の構造そのものを、神と同じ視点で見てしまう者。」
その宣告は祝福ではなく、断罪のように響いた。
リカの胸の奥で、またひとつ、心臓が強く脈打つ。
SFX:鼓動音「ドン……ドン……」
鏡の中の彼女の瞳が、再び金と黒に揺らめいた。
机の上に置かれたその書物は、まるで長い時を経てなお、呼吸をしているかのようだった。
分厚い革の表紙には焦げ跡が走り、縁は煤け、ところどころがひび割れている。
青い蝋燭の炎がその表紙を照らすと、黒ずんだ革の上に刻まれた古代文字が、かすかに浮かび上がった。
――《観測者ノ記録(Chronicles of the Observer)》
リカは思わず息を呑む。
その言葉の意味は分からない。だが、背筋を撫でる冷たい感覚があった。
セドリックは指先でゆっくりとページをめくる。紙が擦れる音が、異様に大きく響く。
SFX:ページをめくる音「パラ……」
その仕草は祈りにも似ていた。
彼は低く呟く――まるで封印を解くように。
セドリック:「これは……“魂視”の発現を記した記録です。
神に選ばれた者ではなく、“神に選ばれてしまった者”の記録。」
青い炎が微かに揺れる。
リカの瞳がその光を映し、唇が震える。
リカ:「……選ばれてしまった、者?」
セドリックは顔を上げ、彼女の目をまっすぐに見つめた。
その瞳の奥に宿るのは、慈悲でも恐れでもない――哀しみだった。
セドリック:「貴女は――観測者です。」
その言葉は、静かで、重かった。
まるで告解ではなく、宣告のように。
セドリック(続けて):「世界の構造そのものを、神と同じ視点で見てしまう者。」
リカの肩が小さく震える。
“見てしまう”――その言葉が、まるで罪の告白のように胸に刺さった。
彼女の瞳が、また金と黒に揺らぎ始める。
机の上の古書が風もないのにページをめくり、蝋燭の炎が一瞬だけ細く伸びた。
まるで書物そのものが、彼女の覚醒を祝福――いや、観測しているかのように。
チャット の発言:
青い炎が、ふっと揺らいだ。
次の瞬間、空気が細く震え、部屋の輪郭がかすかに歪む。
まるで“言葉”そのものが世界の構造を振動させたように――。
リカは、唇を強く噛みしめた。
胸の奥で、何かがざわめいている。恐怖ではない。
それは、“理解”という名の痛みだった。
リカ(心の声):「……神の視界……。
私が見た“黒炎”は、神の力じゃなかった……。
――あれは、神を超える“観測の残響”。」
心臓の鼓動が静寂の中に響く。
机の上の古書が微かに震え、蝋燭の炎が一瞬だけ背を伸ばす。
青く、鋭く。まるでその推論を肯定するように燃え上がる。
セドリックはリカを見つめたまま、静かに言葉を継いだ。
その声には祈りにも似た哀しさが滲む。
セドリック:「貴女がその瞳で“真実”を見た瞬間、
この世界の観測は――再構築の段階に入ったのです。」
言葉が空気に沈み込むように消えていく。
どこかで、歯車の軋むような低い音がした。
リカの背中を冷たい汗が伝う。
“再構築”――その響きの中に、神の手でも、人の理でもない何かの意志を感じ取っていた。
青い炎が再び静まる。
しかし、世界のどこかで、確かに何かが“動き始めた”音がした。




