神の干渉と締め
部屋の空気が――突然、凍りついた。
風が止み、光が止まる。
わずかに揺れていた金糸のカーテンも、宙で動きを失ったまま、時間の外へと置き去りにされる。
リカは息を吸うことを忘れた。
音がない。世界のすべての鼓動が、まるで遠い水底に沈んだように消えていた。
そのとき――天井の文様が一斉に輝いた。
光は輪を描き、幾重にも重なって、透明な“転輪”の幻影を形づくる。
それはゆっくりと回転しながら、世界そのものを押し潰すような圧力を放っていた。
形を持たないはずの存在が、空間の重心を支配している。
ミリアが微かに顔を上げた。
彼女の瞳に、転輪の光が映り込む。
まるで神がその視線を通して、この場のすべてを観測しているかのようだった。
色が消える。影もない。
二人だけが“観測対象”として切り取られた、無色の世界。
その虚無の中に、機械のような声が流れ込む。
「――観測、継続。因果線……再接続、完了。」
電子の軋みを帯びた声は、どこからともなく響き、
リカの耳の奥にも、ミリアの心臓の奥にも、同時に刻み込まれる。
世界が、神の指先に触れられた瞬間だった。
神の声が途切れた刹那、
リカの脳裏に、何かが“流れ込んだ”。
――崩れ落ちる塔。
――赤く染まる空。
――誰かの手が、自分を押し出す。
「ミリア、逃げて――!」
叫びが耳を裂き、次の瞬間には、世界が光の奔流に呑まれた。
熱。涙。喪失。
けれど、すべてが形を持つ前に、記憶は霧散する。
リカは息を呑んで顔を上げた。
視界が揺れる。ミリアがそこに立っている。
彼女の瞳も、同じ痛みを映していた。
ミリア:「……あなた、どこかで……」
その声は、震える指先のように儚く、
言葉の続きを紡ぐ前に――光が、再び収束した。
白が沈み、色が戻る。
時間が、音を伴って再び動き出す。
リカは呼吸を整えながらミリアを見つめた。
ミリアの唇はまだ微かに動いている。
けれど、何を言おうとしたのか、彼女自身にもわからない。
――まるで、記憶が“上書き”されたかのように。
二人のあいだに残ったのは、ただ、
名もなき違和感と、消えない鼓動の残響だけだった。
光がゆっくりと退いていく。
白に塗り潰されていた世界が、再び色と影を取り戻した。
音が戻る――
それは最初、遠くの鐘のような響きだった。
次に、衣擦れ。風の通り抜ける音。
そして、ミリアの浅い呼吸。
部屋の空気が冷たい。
ほんの数分の出来事だったはずなのに、
まるで季節そのものが変わったかのような寒気が肌を刺す。
ミリアは、ただ立ち尽くしていた。
視線の先には――もう、リカの姿はない。
扉は静かに閉ざされ、
そこから流れ出る光だけが、彼女の輪郭をかすかに照らしている。
胸の奥が痛む。
だがそれは、鋭い痛みではなく、
“何かが抜け落ちた”あとの、虚ろな痛覚だった。
ミリア(心の声):「……何かが、私の中で――消えた?」
呟きが唇から零れる。
指先を見ると、白い手袋の下に黒い影が滲んでいた。
焦げ跡のような、小さな痕。
それは熱ではなく、記憶の残滓のように見えた。
彼女はそっとその手を握る。
しかし、掌の中にはもう何もない。
ただ冷えた空気が流れ、
“観測”という名の影だけが、そこに静かに残っていた。
光がゆっくりと退いていく。
白に塗り潰されていた世界が、再び色と影を取り戻した。
音が戻る――
それは最初、遠くの鐘のような響きだった。
次に、衣擦れ。風の通り抜ける音。
そして、ミリアの浅い呼吸。
部屋の空気が冷たい。
ほんの数分の出来事だったはずなのに、
まるで季節そのものが変わったかのような寒気が肌を刺す。
ミリアは、ただ立ち尽くしていた。
視線の先には――もう、リカの姿はない。
扉は静かに閉ざされ、
そこから流れ出る光だけが、彼女の輪郭をかすかに照らしている。
胸の奥が痛む。
だがそれは、鋭い痛みではなく、
“何かが抜け落ちた”あとの、虚ろな痛覚だった。
ミリア(心の声):「……何かが、私の中で――消えた?」
呟きが唇から零れる。
指先を見ると、白い手袋の下に黒い影が滲んでいた。
焦げ跡のような、小さな痕。
それは熱ではなく、記憶の残滓のように見えた。
彼女はそっとその手を握る。
しかし、掌の中にはもう何もない。
ただ冷えた空気が流れ、
“観測”という名の影だけが、そこに静かに残っていた。
光が完全に消えたあとも、世界はすぐには“戻らなかった”。
空気は重く、時間の流れがどこかぎこちない。
まるで――歯車が再び噛み合うまでの、ほんの一瞬の“空白”のように。
誰もいない聖域に、遅れて音が帰ってくる。
鐘の残響、衣の擦れる微音、そして呼吸。
それらがようやく再生され、世界はゆっくりと“再開”した。
だが、それは同じ現実ではなかった。
ミリアは胸に手を当て、確かに何かを思い出そうとしていた。
焦げつくような痛み、誰かの声、手の温もり。
けれどその記憶は、掴もうとするたびに形を変え、
砂のように零れ落ちていく。
ミリア(心の声):「……忘れてる。何か、大事なことを。」
リカもまた、廊下の先で立ち止まっていた。
胸の奥では、熱と冷たさが交互に脈打つ。
頭のどこかが告げている――
“いま見たもの”は、神が見せた幻ではない。
リカ(心の声):「これは奇跡じゃない。
……観測のために、何かが“書き換えられた”。」
天井の転輪が、ゆっくりと再び動き出す。
その光は神々しくもあり、どこか監視装置のようでもあった。
記録し、修正し、選別する――
まるで世界そのものが巨大な観測機構であるかのように。
神の声(遠くで):「観測、継続中。因果線、安定。」
音はやがて消え、静寂が戻る。
しかし、すでに何かが変わっていた。
リカとミリア。
“再接続”された二つの魂。
その絆は、もはや神の設計図の一部に過ぎない。
だが、設計に組み込まれた瞬間から――
彼女たちは同時に、“抗う資格”を得たのだった。
この世界の光は、神の観測によって維持されている。
そして次に訪れるのは、
「神を信じる者」と「神に抗う者」の、運命の分岐。
静かな空の下で、転輪がひときわ眩く輝いた。
まるでその分岐を、神自身が“楽しんでいる”かのように。




