邂逅 ― 魂の再接続
チャット の発言:
儀式の喧騒が遠ざかり、夕刻の光が教会の外壁を淡く染めていた。
王立教会の最奥――選定の間から延びる長い白の廊下は、まるで神の肺の中を歩くような静寂に包まれている。
リカの足音が、規則正しく響いては吸い込まれていった。
足元の石は磨き抜かれた白大理石。天井を見上げれば、金糸のような光の筋が緩やかに波を描き、転輪の模様を浮かび上がらせている。
侍女が先を歩く。だがその姿すら、次第に音を失っていく。
空気が――硬い。
何かに観察されている。
神殿全体が呼吸を止め、ただ彼女の歩みだけを待っているような感覚。
やがて、廊下の終わりに白銀の扉が現れた。
装飾のない滑らかな扉。その表面には、淡く転輪の紋が浮かんでいる。
侍女は振り返り、一礼すると言葉もなく退いた。
リカが一人、扉の前に立つ。
その瞬間――。
低い振動が空気を震わせた。
SFX:「ヴォン……」
肌を刺すような冷気。だが同時に、足元の光が微かに温もりを帯びる。
扉が音もなく開いた。
内側には、一人の女性が立っていた。
純白の衣をまとい、長い髪が光を受けて金色に輝く。
その姿は神像のようでありながら、呼吸する“人間”の気配を確かに纏っていた。
リカは息を呑む。
「……あなたが、“聖女ミリア”様……?」
問いかけは、思わず漏れたものだった。
ミリアは静かに頷く。
「はい。あなたが……次代の――」
言葉が途中で止まる。
ミリアの瞳が、リカを見た瞬間、わずかに震えた。
揺らぐ光の中で、その金色の瞳が一瞬だけ“何か”を映し出したように見えた。
沈黙が落ちる。
空気の層が一枚、剥がれ落ちるような音のない圧力。
神殿の奥で、何かが目を覚ます気配がした。
――視線が、重なった。
ほんの一瞬のことだった。
だがその瞬間、世界が軋んだように揺れる。
空気が波打ち、光が弾ける。
白亜の壁面に散った反射が乱れ、まるで時の流れそのものが途切れたかのように、音が消える。
リカの胸の奥で、何かが“応えた”。
それは鼓動ではない。
もっと深く、魂の底を叩くような震え。
(……息が、詰まる。あの瞳――前にも、どこかで……)
ミリアの方も、わずかに眉を寄せた。
凛とした彼女の表情が、その一瞬だけ、人間的な揺らぎを見せる。
静寂の中で、心臓の鼓動が重なる。
どちらの音か判別できないほど、リズムが似ていた。
ミリアの耳の奥に、微かな“ノイズ”が走る。
金属を擦るような、機械的な残響――
まるで誰かが頭の内側で、記録を再生しているような異音。
(この感覚……知っている。
でも、あり得ない。彼女とは――初めてのはず……)
光の中、二人の間に立ち上がる透明な揺らぎ。
まるで世界が、彼女たちを中心に再構成されるかのように。
――そして、微かな焦げた匂いが、空気の奥に滲んだ。
リカの瞳が、光を孕んだ。
虹彩の奥――そこに、金と黒の紋が重なり合うように浮かび上がる。
螺旋を描きながら収束していくその模様は、まるで世界の“層”を剥ぎ取る鍵のようだった。
視界が歪む。
白い部屋が波紋のように揺らぎ、空気の境界がねじれる。
そして――ミリアの姿が“別の形”に変わった。
その身体の周囲を、青白い光が取り巻いている。
しかし、清らかに見える光の内側で、黒い炎が静かに揺れていた。
それは聖女の象徴でも、神の恩寵でもない。
何かを焼き、滅し、形を保つために燃え続ける――そんな“矛盾の炎”。
リカは息を呑む。
(……やっぱり、この光。
あの夜、世界を焼いた“炎”と同じ――)
ミリアの胸の奥、魂の中心で黒炎が脈打つ。
その奥に、影があった。
形を持たず、だが確かにこちらを見つめ返してくる“何か”。
その瞬間、ミリアの体がわずかに震えた。
胸の奥に、鋭い痛み――まるで魂そのものを針で突かれたような感覚。
彼女は反射的に顔をそむけようとする。だが遅い。
リカの視線は、もう“繋がって”いた。
魂と魂が、無音の回路を介して結ばれ、互いを覗き込む。
鼓動音(低く、重く)「ドン……ドン……」
空気が濃くなり、光の粒子が震える。
世界が息をひそめ、ただ二つの鼓動だけが、同じ間隔で打ち続けていた。
ミリアの瞳の奥――そこにもまた、黒い核があった。
それは静かに、しかし確実に脈動している。
彼女の胸の奥から、目に見えぬ光の糸が伸び、リカの瞳と結ばれた。
ふたりの間に流れ込む、奇妙な熱。
空間がきしむように歪み、周囲の空気が波打つ。
その境界が、音もなく崩れ――次の瞬間、世界が“重なった”。
視界が反転する。
色彩が消え、断片的な映像が頭の中に流れ込む。
――燃える都市。
――崩れ落ちる塔。
――灰の空を裂く炎の柱。
そこに、誰かがいた。
誰かが、誰かを抱えて走っている。
そして、叫び声が響く。
「ミリア……逃げて!」
その声が、確かにリカの耳に届いた。
現実の音ではない。
けれど、痛いほど鮮明だった。
リカ:「……今、誰が……?」
ミリア(息を詰めながら):「その声……まさか……」
ふたりの瞳が、もう一度交わる。
その瞬間、世界の境界が大きく揺れた。
壁がたわみ、光が軋み、空気が裂ける。
遠く――誰の耳にも届かぬ場所で、無機質な声が響く。
神の声:「接続、再開。観測リンク……安定化。」
見えぬ歯車が、静かに回り始めた。
その中心で、ふたりの魂が――再び、同じ軌道へと戻っていく。
空間の奥で、機械のように歪んだ声が響いた。
神の声:「対象AおよびB……観測再開。
干渉率、臨界値を突破。再接続――完了。」
その言葉の瞬間、光が爆ぜた。
白い閃光が空間を満たし、視界を焼き尽くす。
音が消える。風も、鼓動も、すべてが凍りついたように止まる。
ミリアは反射的に膝をつき、胸を押さえた。
その隣で、リカも同じように崩れ落ちる。
ふたりの影が床に溶け、区別がつかなくなっていく。
白光の中――“神殿”の輪郭さえ消えていた。
ただ、互いの存在だけが、かろうじてそこに残っている。
ミリア(心の声):「これが……“神”の意志?」
リカ(心の声):「違う……これは、“誰か”が私たちを繋いでる。」
リカの胸の奥で、金と黒の紋が強く輝いた。
ミリアの瞳もまた、その光に呼応するように震える。
世界の法則が、一瞬だけ“書き換えられる”感覚。
やがて光は静かに収束し、再び音が戻ってきた。
鐘のような残響が空気を震わせる。
だが、もう誰にも――
いま、何が起きたのかを説明することはできなかった。
眩い光が次第に薄れ、世界が輪郭を取り戻していった。
白い壁、金の装飾、静まり返った空気。
まるで何も起こらなかったかのように、部屋は元の姿に戻っていた。
だが――その静けさの中で、確かに何かが“変わって”いた。
ミリアは震える指先で胸元を押さえる。
そこに、まだ微かな熱が残っている。
見上げた先で、リカが息を整えながら立っていた。
その瞳の奥には、まだ金と黒の光が淡く揺れている。
ミリア(掠れた声で):「あなたは……何を、見たの……?」
リカは小さく首を振り、静かに答えた。
リカ:「“光”の中に、燃えているあなたを。」
その言葉に、ミリアの呼吸が止まる。
胸の奥で、何かが痛むように脈打つ。
リカの瞳には恐怖よりも――確信のような静けさがあった。
二人の間を、沈黙が満たす。
言葉より深く、静かで、どこか懐かしい沈黙。
やがて、遠くで転輪の機構が動き出す音がした。
低く、機械的な回転音――「コォォォ……」
その音はまるで“神の呼吸”のように響き、
聖域の空気をゆっくりと震わせる。
ふたりの魂を繋ぐ“回路”が、確かに再び動き出していた。




