王都の朝 ― 祈りの鐘
――王都レミリアの朝。
夜明けの光がまだ淡く、空の端に金の糸が走るころ、
聖堂の鐘がゆっくりと鳴り始めた。
重く、深く、石畳を震わせる音。
その響きに導かれるように、人々は足を止め、膝を折る。
王都の中央広場――白い石の床には無数の影が並び、
誰もが空を仰いで、祈りの言葉を口にしていた。
子どもたちは花を撒き、女たちは涙を拭い、
神官たちは香を焚いて歩く。
乳白色の煙が風に乗ってゆらめき、
まだ冷たい朝の空気の中に、
どこか甘く焦げた匂いを混ぜ込んでいった。
鐘の音は、やがて街全体に広がる。
その音に合わせて、王都はひとつの巨大な心臓のように鼓動していた。
“信仰”という名の拍動。
けれどその空気の奥には、誰も気づかぬ熱が潜んでいる。
祝福のようでいて、どこか焼けつくような熱。
神を讃える声の裏で、微かに軋む音がする。
――その朝、誰も疑っていなかった。
“光”こそが正義で、“祈り”こそが救いだと。
ただ一人、遠い場所でその情景を思い返す者を除いて。
――鐘が鳴った。
まだ陽が昇りきらぬ早朝、
王都レミリアは、金色の霞に包まれていた。
雲の切れ間から差し込む光が屋根をなぞり、
王宮の尖塔を滑り、
やがてその頂――聖堂の鐘楼で止まる。
次の瞬間、
鉄と空気がぶつかり合うような重い音が、
街全体を揺らした。
ゴォォォン――。
荘厳でありながら、どこか冷たく、
耳の奥を焼くような金属の響き。
その余韻は波紋となって広場へ流れ、
熱波のように空気を歪ませていく。
人々は、まるでその音に操られるように一斉にひざまずいた。
女たちは涙を拭い、男たちは胸に手を当て、
子どもたちは小さな手で花を撒く。
神官が掲げた銀の杖からは、
霧のような聖水が宙に散り、
朝の光を受けて無数の粒子が煌めいた。
「聖女様を讃えよ! 神の御手を賜りし御子よ!」
群衆の声が波のように広場を包み、
歓声と祈りが混じり合って天へ昇る。
カメラが人々の顔をゆっくりと横切る。
誰もが幸福に満ち、恍惚の笑みを浮かべている――
だが、その瞳の奥には確かに“熱”が宿っていた。
それは信仰の炎か、それとも、
まだ誰も知らぬ“灼け跡”の反射か。
鐘は鳴り続ける。
祝福のようでいて、どこか審判の音にも似た響きで。
聖堂の扉が、
まるで天の境界を割るように、ゆっくりと開いた。
眩い白光が内部から溢れ出し、
広場を埋め尽くした人々の顔を一斉に照らす。
その光の中心――
ひとりの少女が静かに姿を現す。
白銀の衣が風に揺れ、
薄絹の裾が陽の粒をはらんで舞う。
肌は雪よりも淡く、
髪には光の糸が絡みつくように輝いていた。
聖女ミリア。
彼女が聖堂の階段を一段、また一段と降りるたびに、
その足元から淡い光の粒が立ち上る。
まるで大地そのものが跪き、
神の降臨を迎えているかのようだった。
「聖女様! 光の御子よ!」
「どうか我らをお救いください――!」
歓声が爆ぜる。
泣き声、祈り、歓喜。
熱狂の渦が広場を覆い、
その中心でミリアは静かに、微笑んだ。
だがその笑みには、
人の温もりも、驚きも、ためらいもなかった。
それは“完璧”という名の造形。
計算された角度で浮かぶ神像の微笑。
瞳の奥には、
一瞬だけ、虚ろな“無”が滲んだ。
ミリア(心の声):「……この声。この光。すべて、神の御心のままに。」
光が彼女の頬を撫で、
鐘の音が再び響く。
祝福のはずのその音が、
リカの耳には――どこか、冷たく響いた。
光が溢れていた。
聖堂の前に立つミリアの背を、朝日が覆い隠す。
逆光の中で彼女の輪郭だけが浮かび上がり、
まるで“人”というより、ひとつの象徴のようだった。
白光は次第に強まり、
空気そのものが焼けるように揺らめく。
遠くで花を撒く子どもたちの笑顔が、
光の中でぼやけ、歪んで見えた。
上空を舞う花弁が――
ふと、色を失っていく。
淡い桃色が灰に変わり、
触れもしないのに、焦げるように崩れ落ちていく。
だが、誰も気づかない。
群衆は熱狂に酔い、
その熱を“神の祝福”と信じている。
「御加護あれ――!」
「聖女ミリアの祈りにより、今日も我らの大地は保たれん!」
神官の声が、
まるで儀式の呪文のように広場へ響く。
ミリアは両手を胸の前で組み、目を閉じた。
祈りの言葉が唇から零れるたびに、
周囲の光はさらに膨れ上がり――
白い輝きは、もはや“熱”そのものとなっていた。
幸福と狂気が、同じ温度で混ざり合う。
その光景を、群衆の中でただ一人、
リカだけが“怖い”と思った。
ミリアは目を閉じた。
まぶたの裏で光が脈打つ。
皮膚を焦がすような熱が、頬を撫でていく。
――それでも、痛くない。
「この熱は、神の愛。」
胸の奥で、静かにそう呟く。
焼けるような息も、光に溶ける鼓動も、
すべては“清め”の証。
「清めの炎は穢れを焼き、すべてを新たにする。
だから私は、燃やす。恐れずに。迷わずに。」
白い指先に力を込める。
祈りを捧げるたび、光が強く脈打ち、
空気が震える。
遠くで誰かが歓声を上げる。
その声が、次第にノイズを帯びていく。
ざらついた音が、頭の奥に響いた。
声:「――対象安定。観測、継続中。」
一瞬、光が途切れる。
ミリアは静かに微笑み、
虚空へ囁いた。
「……はい、神よ。」
その声には疑念も恐れもない。
ただ、完全なる従順と、
崇高な確信だけが宿っていた。




