運命の胎動
王都の深夜。
風も止み、街の灯がひとつ、またひとつと沈黙に沈んでいく。
その中で、ただ神殿の高塔だけが、月光を受けて静かに輝いていた。
天頂のステンドグラスを透かした光が、床に複雑な文様を描き出す。
青、赤、金――祈りと血と、永遠を象るような模様。
その静寂を裂くように、鐘の音が響いた。
――ゴォン。
それは、祝福の音ではなかった。
まるでこの世界に下される“審判”の宣告のように、空気を震わせる。
ミリア(心の声):「……この鐘の音は、救いを告げるもの。
神は、まだ私を見捨ててはいない。」
月光の中、聖女ミリアはゆっくりと瞼を閉じた。
彼女の白衣が風に揺れ、光の粒が舞い上がる。
祈りの形をしたその姿は、神々しくもどこか脆い――まるで、信仰という名の硝子細工。
同じ瞬間。
遠く離れた街の片隅で、ひとりの少女もまた、その鐘を聞いていた。
リカ(心の声):「……違う。これは、誰かの罪を告げる鐘。」
リカは夜の窓辺に立ち、静かに拳を握る。
その瞳には、金と黒、二色の光が揺れていた。
鐘の音が響くたび、胸の奥で冷たい記憶が疼く。
ミリアの「祈り」と、リカの「抗い」。
交わることのない二つの心が、音の波の中でわずかに触れ合う。
神殿のステンドグラスが再びきらめく。
光が、赤と青に分かれて揺らめく――
まるで、救いと断罪の境界を描き出すかのように。
鐘の余韻が、王都の空を震わせていた。
その音の下――二つの場所で、まったく異なる祈りが捧げられている。
神殿の最上階。
聖女ミリアは静かに跪き、白い指先を胸に添えた。
彼女の唇が微かに動くたび、空気が光の粒となって揺らめく。
金の光が天へ昇り、夜の闇を裂くように輝きを増していく。
ミリア:「私は、世界を救う者。」
その言葉は、穏やかでありながら、どこか無機質だった。
彼女の瞳には慈悲ではなく、“使命”という名の機械的な光が宿っている。
光は清らかに見えて、触れたものすべてを焼き尽くす――
まるで救済の名を借りた、無音の炎。
一方、城下の廃礼拝堂。
リカは冷たい石床の上に膝をつき、手の中の短剣を見つめていた。
刃には、彼女の血が一滴、赤く光を放つ。
リカ:「私は、その“救い”に殺された者。」
その声は静かだが、確かな怒りと誓いを含んでいた。
血の跡をなぞるように、リカは掌を胸に当てる。
その鼓動は、神への祈りではない――神への反逆の誓い。
――祈る者と、抗う者。
光と闇。
ミリアの祈りが天へと昇り、同じ瞬間、リカの瞳の闇がそれを呑み込むように広がっていく。
光と闇が、螺旋のように絡み合い、ひとつの軌跡を描く。
その瞬間、二人の魂が遠く離れた場所で共鳴した。
まるで、始まりが同じ点から生まれたかのように――
“救世”と“犠牲”、二つの真実が、同一の輪の上でゆっくりと重なり始めていた。
三度目の鐘が、夜空を震わせた。
その音はもはや祝福ではなく、**世界そのものを呼び覚ます“警鐘”**のようだった。
神殿の頂上――月光の彼方で、空がゆっくりと裂けていく。
虚空の奥から、巨大な**“転輪”**が姿を現した。
それは光でも影でもなく、時間と因果そのものを象徴する輪。
黄金と蒼の光が交錯し、その表面には古代語が浮かび上がる。
「観測」「再構築」「逸脱」
刻印が輝くたび、空間がわずかに歪む。
まるで世界が“何かをやり直そうとしている”かのように。
声(神の声・ノイズ混じり):「観測者、再起動。干渉レベル、限界値突破。――因果、再構築を開始。」
聖堂の屋根が震え、石像が崩れる音が響く。
祈りの姿勢のまま、ミリアが静かに顔を上げた。
その金の瞳に、転輪の輝きが映り込む。
ミリア(心の声):「これは……神の意志。世界の更新……?」
けれど、その光を見上げる彼女の横顔は、どこか怯えていた。
胸の奥で、記憶にも似た痛みが蘇る――誰かを焼いた、あの夜の感触。
一方、遠く離れた廃礼拝堂。
リカもまた、同じ光を見上げていた。
彼女の瞳が**魂視**の力で開き、光の層を越えて、はるか上空の“転輪”を捉える。
その瞬間、
ミリアとリカの視線が――世界を隔てて交わった。
時が止まり、空間が一瞬だけ反転する。
光と闇、救済と犠牲。
ふたつの魂が、再び同じ円環の中で重なり合う。
リカ(心の声):「……また始まるのね、この因果が。」
ミリア(心の声):「――私たちは、まだ終わっていない。」
転輪がゆっくりと回転を始める。
まるで、運命そのものが再び起動を始めたかのように――。
夜の鐘が遠くで鳴り続ける。
それは天上の歯車が回転を始めた証のように、世界の境界を震わせていた。
神殿の高塔で、聖女ミリアは祈りの姿勢のまま、瞳を閉じる。
一方、王都の片隅で、リカは闇を見つめて立っていた。
――二人の距離は遠い。
だがその魂は、同じ“痛み”の周波数で震えていた。
空間がわずかに歪み、
月光の世界と影の世界が、音もなく重なり合う。
ミリアの白い衣が揺れる瞬間、リカの黒い髪が同じ風に靡く。
映像はゆっくりと溶け合い、やがて二人の姿がひとつの輪郭に重なって見える。
彼女たちの影が反転し――光の中に闇、闇の中に光が宿る。
ミリア(心の声):「もしこの痛みが罪なら――私は、受け入れよう。」
リカ(心の声):「もしこの怒りが罰なら――私は、それを抱いて進む。」
二つの声が、同じ旋律で響く。
祈りと呪いが重なり、赦しと復讐が一つの響きに溶けていく。
その瞬間、世界が息を止めた。
転輪が静かに輝きを増し、
天と地の間で、光と影が――再びひとつの円環を描いた。
夜が裂けるように、鐘の音が最後の一打を放った。
その瞬間――神殿のステンドグラスが、音もなく砕け散る。
無数の光片が夜空へと舞い上がり、
まるで天へ帰る魂のように、蒼と金の軌跡を描いて消えていった。
空の彼方。
雲を越えた上空に、**“転輪”**が再び姿を現す。
それは古代の歯車のようにゆっくりと回転し、
中心には、光と闇が渦を巻いて一つに溶け合っていく。
声(神の声):「……観測、継続中。――転生因果、再始動。」
冷たい機械音のようなその声が、
天から世界の隅々へと染み渡る。
――下界。
ミリアは崩れたステンドグラスの破片の中、
白い光に包まれて静かに目を閉じていた。
その表情は安らぎに満ちているが、頬を伝う涙は止まらない。
祈りにも似たその沈黙は、救いか、それとも贖罪か。
一方、リカは月光を背に、黒い影の中でゆっくりと目を開ける。
瞳の奥に宿るのは、かつて焼かれた痛みと、今は確かな意志。
拳を握る手のひらに、青い火がかすかに灯る。
ナレーション(または共鳴の声):
「救いと断罪、その境界に立つ二つの魂。
かつて交わり、今ふたたび巡り合う。
運命は――静かに胎動を始めた。」
風が吹き抜け、
光片と花弁が夜空に溶けていく。
そして、回転を続ける**“転輪”**の中心で、
世界そのものがわずかに軋み――新たな因果の時代が、今、動き出す。




