会合3
「ほんの冗談だ。気を悪くしないでくれ。おれもシャイアンの戦士と無闇に争いたくはない。」
殊勝な言葉を連ねながら悪びれた様子もなく、なんとか笑いを収めたロウは肩をすくめた。
那月の男疑惑の件で場の雰囲気が若干和らいでいる。
人を出しに使っておいて、その那月を放ったまま彼らはまた難しい話を始めた。
そんな中、ロウがさりげなく向かい合う3人の表情に目を走らせたのを那月は見逃さなかった。
(リラックスしてるように見えて、この人は分からないように警戒している。)
30代前後と思われるこのロウという男は、明るく気易そうに振舞っているが、その実、常に爪を研いで
相手の隙を窺っている。
それに比べて、こちら側に座る若者達は3者3様だ。
一番こちらに座るアルというたれ目の青年は、これが気心の知れた集まりだとでも言うように飄々として、面白そうに各々の表情を眺めている。
真ん中の黄土色の目をした美青年は、会合の場にふさわしくすっと背筋を伸ばし微笑みすら浮かべてロウに向かい合っている。
一番奥のシャンといかいう鈍い男は、不機嫌そうに眉間に皺を寄せながらあらぬ方へ視線をやっている。
(ばらばらだ、大丈夫なのかな、この人たち。)
首長らしきロウという男を中心に乱れのないルーグ側に比べると、こちらの男たちは何やら好き勝手な態度である。
表面上は緊張感は和らいだとはいえ、どこに地雷が埋まっているか分からないようなひやりとした空気がところどころに漂っている。
那月が一言でも声をあげて妨げようものなら、たちまち地雷を踏みぬくような気がしてその場を見守るしかない。
(なんとか、あっちの仲間って疑惑は晴れたみたいだけど、これからどう扱われるか分からない・・・。)
槍男に至っては何やらまだ怒っているようで、舌うちでもしそうな顔で時折こちらを睨んでくる。
(あたしは一言も男だなんて言ってないでしょーが!自分が鈍いだけでしょ!)
と突っ込みたかったが、那月はぐっと堪えた。
「では、約定の証としてこいつを受け取ってやってくれ。我らルーグの戦士が仕留めた虎の毛皮だ。」
ばさっと無造作に広げられたのは、赤みの強い黄色と黒の鮮やかな縞模様の虎だった。
(狩って、皮を剥いだんだ・・・。)
虎だということが信じられないほど大きなその毛並みは豊かで、未だ風にふわりとなびいている。
堂々と狩りの様子を語る彼らが、この巨大な虎を仕留める獰猛な顔を持っていること、そしてそれを当たり前に受け入れているこの空気の異常さに、背中を汗が伝っていく。
最早那月は認めるしかなかった。
---ここは日本ではない。まして虎を狩ることが日常なんて場所がまだこの世界にあるんだろうか。
「さすがは、猛る獅子の名をもつルーグ族ですねえ。こんなに立派な虎は見たことがありませんよ。」
相手を持ち上げるようなことを言いながら、少しも気持ちの籠っていない口調でのたまったアルがすっと膝を進めた。
「我らが首長よりはこちらを約定の証として、ロウ殿へお納めいただくようにと言付かっています。」
捧げるようにそっと差し出されたのは、1mを超えると思われる幾重にも枝分かれした角だった。
その仕草は、敬いが込められていた。
この角は彼らにとって特別なものなのだ。
鹿か何かの角なのだろう。
こんなに力強くて伸び伸びとした大きな角を持つ生き物がいるということに思いを馳せて那月は思わずほおっと息を吐いた。
(きっとすごく大きくて、堂々として、立派な鹿なんだろうな。)
この角に見合う逞しい体の孤高の鹿があの険しい山を振り仰ぐところを想像すると、胸が高鳴る。
「これは素晴らしいな。オオジカはシャイアン首長殿のスーリだったか。有り難く頂こう。」
耳脇で束ねた髪を荒々しく払い、身を乗り出して角を眺めていたロウは何気ない口調で切り出した。
「ところで、この度はラバサ首長はおいででないのか?なぜ秘蔵の戦士達だけを送れだされたのか?」
あたかも今思いついたかのように、首を傾げて聞いてくるところが却って嘘くさい。
見るからに気性の荒らそうな彼が、無理に丁寧な話し方をするところがちぐはぐすぎて不気味だ。
(何か重要な質問なのかな。)
一瞬空気が張り詰めた気がするのは気のせいだろうか。
少しの間をおいて、黄土色の目をした彼が口角をあげて微笑んだ。その隣に座るシャンと那月の脇にいるアルの表情は一切変化がない。
「ロウ殿が気になされるのも当然のこと。我々シャイアンの事情につき合わせてしまい申し訳ない。首長は我々を試されている。」
「ほう?」
「首長は、この先シャイアンを任せる者の器を図ろうと我々を送り込んだんですよ。」
いかにも困ったというように肩をすくめてアルが付け足す。
おお、と手を打ってロウが破顔した。
「では、そちら方が時期首長候補ということか!これはこれは光栄なことだ。」
「おれはてっきり、ラバサ殿がこの会合においででないのは、なにかのっぴきならない事情があるのかと思ったが。」
くくく、と笑いながらも、獲物を見定めるライオンの様に瞬きひとつせずロウは続けた。
「例えば、この場に来られない理由でもあるのか、と。ラバサ殿もさすがにお年だからなあ。」
「ルーグの首長殿。」
それまで不気味なほど静かにそっぽを向いていたシャンが、ひたりとロウを見据えていた。
ただでさえ逞しい体が、腰を上げた訳でもないのに一回り大きくなったように見える。
「シャイアンのオオジカを侮辱されているのか?」
吹き寄せる風と共に、低い声が地面を這い、那月の体を縛りつけた。
シャンの青い目は怒りのためか色濃くなっている。
ルーグの首長以外の二人は咄嗟に腰をあげかけている。
「お前たちもとの位置に座れ。」
部下を静かな声で窘めながらも、ロウは細めた眼をシャンから離さない。
「よせ、シャン。」
顔は正面をむけたまま、黄土色の青年が静かに牽制し、シャンの方も渋々体の力を抜いたようだが、深い青色の目を相手から背けはしなかった。
「いや、無礼なことを言って済まなかった。おれも野次馬根性が治らんものでな。」
場をとりなす様に明るく言い放ったロウは、思いついたように那月の方を向いた。
「おい、そこの娘!酒をつげ!」
「え?」
張り詰めた雰囲気の中、いきなり振られて咄嗟に反応できない。
「こっちに来て酒を注げと言っている。早くしろ。」
ロウは大きな壺を差し出し、酒を注ぐには大きすぎる椀つきだしてくる。
「あ。」
あまりに高圧的に命じられて思わず壺を受け取ると、予想以上の重さによろけて壺を傾けてしまい、ロウの膝を濡らしてしまった。
「・・・すみません!」
(殺される!虎を仕留める様な輩に酒をぶっかけてしまった!どーしよ!)
慌ててジャケットを脱ぎ、ロウの膝を拭う。
恐る恐る目をあげてその表情を窺うと、二重のくっきりした大きな目を見開いて那月を凝視している。
(あああ、取り返し付かない!どうしよう、どうしたらいい?)
膝を必死に拭いながらも、僅かな希望を込めてシャイアンの3人を振り返る。
アルは明らかに「あちゃ~」という表情をしているし、シャンはますます眉間にしわを寄せて怒った顔をしている。
真ん中の青年だけは、何か面白い発見でもしたようにロウの表情を見守っている。
(いくら身内ではないにしても、乙女がピンチの時に助けもしないとは、こいつら~!)
自分の力でなんとか切り抜けるしかないと開き直った那月は、平謝りしかない!と向き直ると、ロウは一転して鷹揚な笑みを浮かべてこちらを見つめている。
「気にするな。いいから酒を注げ。」
ロウの視線が腕の先から這うように登ってくるのを感じて身震いする。
(なに、こいつのやらしい視線は!)
壺と椀をかたかた言わせながらなんとか白く濁った酒らしき液体を注ぎ、視線で促されて他の男たちにも同じように振舞った。
「なんであたしこんなとこで酌なんてしてる訳・・・。」
「我らルーグとシャイアンは兄弟も同じ。先の争いは水に流し、ここに絆を結び直したい。」
小さく呟いた那月をよそに、ロウは改まった口調で声を張り上げた。
男たちは相手の首領自らが杯を掲げるのに、ある者は躊躇いなく、またあるものはしぶしぶ杯を持ち上げ中身を飲み干した。
それぞれが持ち寄った食べ物やら動物の毛皮やらを披露しあう中、那月の緊張は嫌でも高まってきていた。
酌をさせられてから、ロウは那月が傍を離れるのを許さなかった。
(あたしは一体どうなるの?こいつらの仲間じゃないことは分かったみたいだけど、解放してもらえるのかな。)
(でも、こんなどことも知れない場所で放り出されてもどうしたらいいのか・・・。)
視線を彷徨わせ不安げな那月の様子を、ロウが目に留めたのが運のつきだった。
「この女子はどうされる?そちらの者でもないのだろう?」
突然自分が話題に上り、那月はびくっと身を震わせた。
「こうしてじっくり会合を見聞きしたのだ。よそへやるわけにもいくまい。」
「身元が知れないのならば、おれが引きとろう。この抜けるように白い肌にはルーグの衣装が映えるだろう。」
にやにやとこちらを好色そうに見るロウの目は、何か良からぬことを考えているのを隠しもしていない。
こんな場でなければ、ワイルドな男前だわ、で済んだかもしれないが。
---嫌だ。碌な目に合わない気がする。
シャイアンとかいう彼らに捕まってからも、碌な目には合っていないが、このロウについて行って事態が好転することはきっとない。
だが、今この場に那月を庇ってくれる人間はいない。
無駄だと知りながらも、なんとか逃げられないかと周囲に視線を走らせると、槍男と目が合った。
口を真一文字に引き結んで、眉間にしわを寄せ、何かに押さえつけられでてもいるかのように腕を組んでこちらを睨みつけている。
(あんたは、最初からあたしを疑ってたんだからあたしがどうなろうが知ったこっちゃないんでしょーよ!)
「我々もすんなり彼女を渡すわけにはいかない。」
那月に救いの手を差し伸べたのは、またもや黄土色の目をした青年だった。
「彼女は、狼の縁を受けている。我々とて彼女が必要だ。」
重大な打ち明け事でもするように、重々しい口調だった。
「なに?それは本当か?」
ルーグ側の男たちの目線がさっと那月に集まる。
「あーあ、言っちゃった。」
アルが投げやりに呟いている。
「縁って、そんな大したことじゃ・・・」
「つまり、この娘のスーリということか?」
揃いもそろって、人の話を聞かない連中だ。
縁といっても、それは少なくともいい方の縁ではない。
(拉致されたんだか、食べられそうになったんだかは定かじゃないけど。)
思い出して、この訳の分からない状況は全てあいつが発端だという事実に辿りつく。
(あの犬!)
那月があさっての方向に怒りを滾らせる中、男たちの話は続いていた。
「そうか、そちら方の言い分も分かるが・・・。俺は何しろ珍しいものに目がなくてなあ。」
再び那月をじろじろと眺めて、困ったと息を吐いた。
「このように白い肌、艶やかな黒い髪は見たことがない。」
「そこまでロウ殿が望まれるのであれば仕方がない、我々が譲りましょう。その代わり条件を提示したい。」
「ちょっと、人を物みたいに言うのやめてよ!」
自分の身の振り方を勝手に決められそうになっていることに気がついて、那月は焦って主張したが、見事にスルーされる。
「そろそろ、我々もコメの民と直接交渉がしたいのですよ。あなた方を通すのではなく。」
にこりと笑む彼は、那月を助けようとしている訳ではなかった。
交渉のネタに那月を利用しようとしているだけだ。
(だめだ。自分の身は自分でなんとかするしか。)
仕留められることを知りながら背を向けて逃げる兎の様に、那月は半ば無駄だと知りながら手をつき脇に逃げようと飛び出した。
「ぶはっ!」
と、巨大な壁にぶつかり跳ね返りそうになったところを腕を掴まれ、そのままに壁に引き寄せられた。
温かな壁だった。
「この女は俺が貰い受ける。俺が見つけたのだから最後まで責任を果たすのが筋だ。」
恐る恐る壁を見上げると、そこにはこれまで敵とばかりに自分を睨み続けていたシャンの顔があった。
間がかなり空いてしまいました。
また見に来て頂いてありがとうございます!