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狼の詩  作者: 十夜
10/15

月1

那月は、気分が悪かった。

馬の上下動が追い打ちをかけてくる。

(なんでもいいから、とにかく落ち着ける場所に降ろして・・・。)

揺れの影響を受けないように、できるだけ馬の体にしがみつく。

そうすると、回された腕が腹に食いこんで更に吐気を覚える。


那月が女だと分かってから、場は大変賑やかになった。

興味深々に顔を覗きこむ者、やたらと話しかける者、挙句の果てには面白半分に触ろうとする者まで。

揉みくちゃにされなかったのは、強面の男が横でむっつりと陣取っていたからに他ならない。

那月をどのように連れていくかで場がざわめいた時にも、この男が有無を言わさず自分の馬に那月を乗せたために、残りの男達はしぶしぶ引き下がった。

スパイの疑いが晴れるまであからさまに警戒していたのに、ルーグの仲間でないと分かった途端に好奇心が抑えきれなくなったらしい。

厳めしい見かけによらず、ミーハーな連中なのかもしれない。

(私は動物園の珍獣か!)

那月からすれば、ココア色の肌に鮮やかな目の色、妙ちくりんな服装の彼らの方がよっぽど珍獣だが、如何せんここでは那月の方がマイノリティだ。


「だから、俺は何度も言おうとしたんだって!」

「どこがだ。お前はまた面白がって黙っていたんだろう!」

「シャンはいつも人の話を聞かなすぎなの。だいたい見れば女の子だって分かるだろ、普通。」

「こいつのどこが女に見える!お陰でルーグの奴らに付け込まれただろうが!」

頭上で飛び交う応酬にも突っ込みたい気持ちは、あるのだが何より気分が悪い。

「おまえも何故言わない!初めから言っておけばこんなことには・・・」

(あんた、最初から聞かなかったじゃないのよ・・・)

げっそりとしながら、恨みがましく背後をちらりと振り返る。

ああ、気持ち悪い。

「どうした、お前。顔色が悪いが・・・」

今更気がつくな。最早べったりと馬に寄りかかるしかない那月は呻いた。

「お腹すいた・・・」

どんな非常事態でも、正常に機能する自分の胃袋の繊細とは程遠い健康さにがっかりする思いだった。


「昨夜のやつ食べなかったの?」

正面に座ったアルが不思議そうに聞いてくる。

(あんな状況で食べれる訳ないでしょ!)

抗議したつもりだが、口の中のパンの様なものを噛むのに必死で、もごもご言ってるようにしか聞こえない。

空腹のあまり気分が悪くなった那月のためにか、頃合いだったのか、ココア色の肌をしたチンピラの集団は、会合の原っぱから4、5時間馬を歩かせたこの場所で荷を降ろした。

あたりは夕焼けに染まっている。

若い男たちがせっせとキャンプの準備を始めた。

木の棒を組み合わせて、昨夜と同じテントを作っている者もいる。

(今夜も外で寝るのか)

彼らに保護されているのか、軽く捕まっているのか謎だが、この鬱蒼とした森に一人放り出されても困る。

どこに行ったらいいのかも分からないし、食べ物も持っていない。


差し出された固いパンの様なものは、顎が外れるかと思うほど固い。

「良く噛め」

顎をさする那月を眺めていたシャンがぼそりと呟いた。

背に腹は代えられないので、必死にがじがじやっているとほんのり甘みがにじみ出てきた。

「おいしい・・・」

すきすぎた胃袋におちるとひりひり痛む様だったので、那月はゆっくり少しずつ飲みこんだ。


「それで、これからおまえはどうするつもりだ?」

少し離れた石に、腰かけたシャンが切り出した。

何故か那月と顔を合わせずに、横を向いている。

「連れて行って欲しい場所があるなら、俺が連れて行ってもいい」

今更それを聞くのかと思いながらも、ただ流されるままに彼らについてきてしまった状況を考える。

とにかく東京に帰りたいが、それにしてもここがどこなのか分からない。

そして、今この場にいる誰も東京など知らないと言う。

「家に帰りたいけど・・・。ここはどこ?」

彼らに会ってから何度となくぶつけてきた質問だ。

案の定、シャンは頭がおかしいのかとでも言うよう目を細め、アルは聞き分けのない子供を根気よく窘めるようにゆっくりと答えた。

まるで那月が、頭の弱い可哀想な子だとでも言うように、一語一語はっきりと。

「ここはオマハ。そして、今俺たちはイマカワナの森を進んでいる」

アルに負けず劣らずゆっくりと、幼稚園児に言い聞かせるように穏やかな声で再度尋ねる。

「だからそのオマハってのがどこかって聞いてるの。私はそんな地名聞いたことないんだよ」

肩をすくめてアルがシャンを振り返った。

(お手上げだね)

とでも言っているように見える。

沸騰した鍋を抑えていた蓋が、がたがた言いだしたようだ。

こんな風に、馬鹿にされるのは好きではない。

シャンはじっとこちらを見ている。

「よく思いだしてごらんよ。故郷に帰れない理由でもあるのかい?」

その変に優しい口調に、那月の苛立ちはピークに達した。

お腹も満たされて、むくむくと力が湧いてきたこともある。


「だから私の故郷は東京だって言ってるでしょ!おかしなことなんて何も言ってない!小さい子供相手みたいな話し方しないでよ!」

周囲にいた男たちが何事か、と目を見開いてこちらを見ている。

肩で息をしながら、地面についた手で土を握り締めた。

ひんやりとして少し湿った柔らかな土。

色々な可能性を探りながらも、一つの答えが頭の片隅に出来上がりつつある。

それをなんとか否定したくて、考えないようにしたくて。

「地図をかいて」

例えここがどこだったとしても、地理さえ分かればなんとかなる。

アルは、思ったより那月が深刻な表情をしていると気がついたのだろう、取り繕うような表情をやめた。

意外そうに那月を見ながらも、シャンは近くに落ちていた棒きれをとり、地面に書き始めた。

大きなトンガリ帽子を中心に左右に小さなトンガリ帽子が続く。

「これが母なる山、シャスタ。あれだ。」

シャンが指差した方向には、あの雲を突き抜けた頂上の見えない険しい山があった。

トンガリ帽子の左下に、変なマークを描く。一本の棒とその先端に6つの点を付け足している。

「ここは、ルーグの領域、草原だ。その先には砂漠が広がる」

中央には大きな木のマーク。

「シャスタのひざ元に広がるのが我らの森イマカワナ。俺たちは今このあたりにいる。」

草原と森の境目あたりをシャンが指差した。

森の右隣にはなだらかな山が描かれる。

「東は、ククルカの牧草地。丘が続いている。」

ひとつも聞きもらすまいとする那月を一度見上げてから、シャンは最後に一番下に波線と渦巻きを書いて棒を置いた。

「南は海だ」

この際訳の分からない地名は無視するとして、ここと似た地理に覚えがないかと那月は必死で頭を巡らせた。

あの迫力のある山をこれまでテレビでも写真でも見たことはない。

日本で砂漠があるのも鳥取砂丘くらいしか知らない。

もはや分かり切っていたことだが、ここが日本でないのでは、と敢えて小さく考えた。

「北に山脈、西に草原と砂漠、東に丘陵地帯で南に海、で中央に森か・・」

頭を抱えてじっと地図を睨みつける様子を注意深くシャンとアルが見守っている。

「ここは大陸なの?それとも島?砂漠があるってことは幾つか限られるか・・・」

世界地図を頭の中でめくり続けていると、微かに甘い匂いがしたので顔をあげた。


「面白そうなことをしてるじゃないか?」

両手に湯気のたつ器をもって、あの黄土色の目をした美青年が近づいてきた。

シャン程ではないにしても、かなり背が高く、刺青の施された腕は逞しい。

もはや美形だけの男じゃないと分かっていた那月は、わざと顔を顰めた。

「さっきはどうも」

会合で彼がとった行動を決して許すつもりはない、命に差し障りのない限り。

那月は、シャンとアルも彼のさっきの行動に不快感を抱いていると直感していた。

(ここで舐められちゃ困る。かといって怒らせてもまずい)

しかめっ面で目も合わせようとしない那月に苦笑して、器を片方差し出してくる。

「体が温まるよ。飲んでみて」

ああ、なんてタイミング!

喉がカラカラだったことを思い出してしまった。

それに器からはほんのり甘い匂いがしてくる。


「なにしにきた」

冷やかな声は、シャンからだ。

青い目がまたしても濃くなっている。

そんなシャンを一瞥して、すっと真剣な表情になった彼は屈んで那月と目線を合わせた。

「さっき会合では本当にすまなかった。私とて考えがなかった訳じゃない。だが君に嫌な思いをさせた」

しまいには那月の右手をやんわりと捧げ持つようにして目を覗きこんでくる。

アーモンド型の目にシミ一つない肌、形のいい唇。

瞳が光に当たると金色に見える。

その瞳が心なしか潤んでいる。


目が逸らせなくなっている那月に囁きかける様にして、彼は続けた。

「私は、タロウ。そう呼んでくれ」


「たろう?」

「ああ、それが私の名だ」

蕩ける様な笑みで彼が答えた。

(たろう?タロウ?・・・太郎!?)

もはや耐えられなかった。


地面を叩きながら笑い転げる那月をそれぞれが呆然と見守っている。

「太郎って、あっはは!普通ー!いやいやかえってレア!?あーはははっ!その顔で太郎!太郎なのにかっこつけてる!きまらないわあ!はは・・・げほっ!!」


なぜ自分は笑われているのか。

もしかしたら女性にここまで笑われるのは、しかもどこか馬鹿にしたような笑い方をされるのは初めてかもしれない。

タロウと名乗った青年は信じられないものでも見るように腹をかかえてぶるぶる震える物体を見下ろしている。


シャンはシャンでタロウに靡かない女がいることに驚いていた。

タロウがその気になった時に、彼から目を逸らせる女などいないのだ。

那月は見惚れるどころか、笑い転げている。

アルも同じことを考えているようで、最初こそ驚いていたが、呆然とするタロウを見てにやにやしている。

「あー、そうだったそうだった!名前を名乗ってなかったんだ!」

固まっているタロウをわざとらしく押しのけて、笑いすぎてせき込む那月の背を撫でてやっている。

「俺はアル。その目つきの悪いのがシャン。出会ったときバタバタしちゃったから言いそびれちゃったねえ、君の名前は確か・・ムトー」

(バタバタした、の一言で片づけやがった)

時々、この親友の図太さが羨ましくなる。

得体が知れないとはいえ、自分が昨夜掴んだ首は折れそうなほど細かった。

自分のごつい手を眺めて、ぐっと握り締めた。

敵であれば、首を絞めるのに何のためらいもないが、相手が女だったというのは寝覚めが悪い。

「私は那月。武藤那月」

目尻の涙を拭っている。

何が面白いのか分からないが、まだ笑いの波が引いていないらしい。


「女の子はそんなに大声で笑うものじゃないよ」

引き攣った表情でタロウが、暗に非難する。

確かに、女が感情を露わにするのは褒められたものではないが、何故か那月を窘める気にはならなかった。

初めて笑っている顔を見たからかもしれない。

(これを初めから見てれば、男と間違うことなどなかった)


ふとこちらを向いた那月の表情が突然固まり、息をとめた。

目を見開いて、口をぽかんとあけたままシャンの背後を凝視している。

何事かと振り返ると、月が姿を現したところだった。

「今日は満月か」

もうそんな時間かと何気なく呟いたシャンの言葉を、那月が頼りなげな声で聞き返した。

「月?」

瞬きを忘れたように空から目を放さない。

空の3分の1を占める程の銀色の見事な月だった。


大分間が空いてしまいました。

お越しいただいてありがとうございます。

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