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かかとから

作者: らいらい

ふと立ち止まって、足元を見たときに――

「ああ、これが私の歩む道なんだ」

…などとは思わない。


ただ、「また立ち止まったな」と思うだけだ。

そして、また歩き出す。


一歩を踏み出すとき、何も考えていないわけじゃない。

踵で地面に触れ、

足裏全体でしっかりと支え、

最後に指先で地面を蹴る。


少しすれば、反対の脚で同じことを繰り返す。

ただ、それだけ。


数少ない友人に聞いたところ、

そんなことを考えながら歩く人は、いないらしい。


「ただぼんやり歩いて、目的地に着けば止まるだけ」

それが普通なのだとか。


「へぇ、そうやって歩けるんだね」

と感心はするけれど、

私はたぶん、そうはなれない。


踵から……という歩き方が、もう身体に染みついているからだ。


階段の話をしよう。

私は、今でもエスカレーターに乗るときにタイミングをはかる。


歩いてそのまま近づき、流れを見ながら、

一歩目を出すときに必ず一瞬、間が空く。

けれど、その一瞬が後ろを歩いている人には、どうやら迷惑らしい。


でも、考えてほしい。

段の途中に足を置いて、バランスを崩して転ぶほうが、

もっと迷惑だと思うのだ。

だから、きっと私はやめられない。


――それに、転ぶ確率が跳ね上がるのだから。


都会で一度だけ乗ったことがある。

エスカレーターの“平べったい版”。ウォーキングロードというらしい。


二度挑戦して、二度とも転んだ。

それ以来、私は都会の機械にちょっとした恐れを抱いている。


話を戻そう。階段の話だった。


上るときは、右足から。

階段の角に、ちょうどいい位置で土踏まずを添えるように置く。

そのまま、少したるんだお腹を持ち上げるようにして、

つま先に力を込め、体を引き上げる。


下りるときも、右足から。

今度は踵を先につけて、足裏全体を着地させる。

つま先には力を入れず、軽く腰を落とす。


この一連の動きもまた、自然に繰り返されていく。


友人はそんな私を笑う。

「転ぶのは、いろいろ考えてるからじゃない?」と。


私も笑い返すけど、

階段でたまに転んでる人を見ると、

「仲間かな」なんて、ちょっとだけ思ったりもする。


ここからが本題だ。


道を歩くという話ではなく、

人生の歩き方について。


赤ん坊が初めて歩こうとするとき、転ばずに歩けることはない。

それは、歩き方を知らないからだ。


でも、大人が人生でつまずくと、

とたんに「ダメな人」「失敗した人」と思われる。


けれど、私たちは皆、初めての人生を歩いている。

知識や経験を頼りにしているだけで、

実のところ、誰もが不器用だ。


他人から見れば、

失敗に見えるかもしれない。

間違っているように見えるかもしれない。


それでも、私の人生は私のものだ。

誰にも笑われたくはない。


大層なものじゃないけれど、

それでも、自分なりに歩んでいくつもりだ。


そして、私は他人の人生も笑わない。

転んでいれば、手を差し伸べる。

間違っていれば、優しく叱る。

あとは、また前を向いて歩いていけばいい。


ただ歩く、それが難しいと感じるなら、

まずは真似をしてみてほしい。


最初の一歩は――


「かかと」から、である。

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