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第26話 魔女のほうき


 夜も半ばに差し掛かったころ。

 娼館、銀の魔女亭の酒場の中空をほうきが飛んだ。


 ちりとりも飛ぶ。皿はかろうじてニアナが身体を張って確保している。今日は調査のことがなく、夕食後から厨房を手伝っていたのが幸いした。他の女もそれぞれ自分の客を護ったり護られたり、あるいは我関せずで顔を寄せて抱き合ったりなどしている。

 

 「ばか! あほ! とうへんぼく! あんたなんか馬に蹴られちまえ!」


 追われている男は常連客だ。しばらく酒場のなかを逃げ回っていたが、黒髪の女がとうとう椅子を持ち上げて投擲する態勢に入ったのでこれは叶わぬとばかりに戸口に走る。転倒し、ごろごろと転がるように外に出た。あとを黒髪の女が追おうとしたが、ぱっと跳びついたニアナによって背中から羽交い絞めにされた。


 「放してよお」

 「ど、どうしたの、あれあなたの一番のお客さんでしょ」

 「あああああん!」


 女は床に崩れ落ちて両手で顔を覆った。ぶんぶんと大きく頭を振るので背後のニアナの顔面を長い黒髪が打つ形となる。顔をしかめながらニアナは女の背をぽんぽんと叩いた。


 「なになに、なにがあったの、喧嘩したの?」

 「うう、あの人さ、あたしが一番だって言ってたのにさ、そのうち身請けしてやるって言ってたのにさ、北の花街で働いてる一番のべっぴんを探してる、知らないかってさ、それをあたしに訊くんだよ、酷いじゃないかあ」

 「……え、べっぴん、さん?」

 「うん、あの人きっと、あたしに飽きたんだ。新しい女、探してるんだ。だけどそんなこと言えないから、親分が女を探してるって、誤魔化してさ」

 「……親分、さん……」

 「ひぐ、なんかね、親分の親分の、そのまた親分みたいな人が、女を探してるとかなんとか言ってた。そんな偉い人が探す女なら、街で一番のべっぴんだろうって……うまいこと言ったつもりだろうけど、馬鹿みたい」


 ニアナはしゃくり上げながら怨嗟の声を上げ続ける女の背から手を放した。女の言うとおり、単なる痴話喧嘩なのかもしれない。本当に見目の良い女を探しているだけの話かもしれない。それでもニアナはなにやら首筋を冷たい空気が撫でていったような気がして、ぶるりと身体を震わせた。


 女は奥から出てきた女主人おかみに肩を抱かれて二階に上がっていった。ニアナが散乱したほうきやら椅子やらを片付けて、さてそろそろ休む支度をしようかなと言うところで、戸口から新たな客が入ってきた。


 「いらっしゃ……あ、アム……ゼン、さん」


 黒革のつばひろの帽子を軽く持ち上げて、戸口をくぐったアムゼンはいつものように気障な挨拶をしてみせた。だがどこか悄然としている。

 ニアナは奥の席に案内して水を出し、隣に座った。卓に肘をつき、指を組み合わせてその上に額を乗せ、アムゼンはふううと長い溜息を吐いた。


 「な、なんだか……疲れてますね……」

 「……ええ、まあ、ちょっと……朝からずっと、侍女たちに責められておりまして……」

 「え、侍女さんたちに? どうして?」

 「……いえ、それは良いのです。それより、旦那様から伝言をお預かりしております。少し不穏な動きがある、次に連絡するまでしばらく動きは控えてほしい、とのことです」

 「……不穏な動き、ですか」


 女を探している。親分のずっと上の、親分が。

 先ほどの黒髪の女の言葉を思い出す。


 「ええ。街のごろつきどもが何やら動き出しているようなのです。具体的な狙いはわかっておりませんが……ああ、お店の女性がたには、旦那様が怪しんで探りを入れてる、とご説明されてはいかがでしょうか」

 「わかりました。たぶん大丈夫です……あの人は、元気にしてますか?」


 あの人、という言葉にアムゼンは頬を緩めた。その音になにか温かいものを感じたのだろう。


 「はい。ただ、新しい情報が続けて入りまして、その裏どりに忙しく動かれています」

 「新しい、情報……薬のことで?」

 「ひとつはその関係です。もうひとつは、相手方の事情について」


 そう言ってアムゼンは殊更に顔を寄せ、声を絞った。

 ひとつは、隣国の動き。大量の薬品、この国では違法である危険な薬を用意し、それをどこかへ送り出そうと準備している様子がある。そしてズーシアス家が貿易、通関のことについて王宮の官吏とひんぱんにやりとりをしている。


 「……それって」

 「ええ。おそらく、この国へ持ち込むつもりでしょう。ただ、我が国では違法な薬品です。許可されるはずがない。なのにそうした大きな動きに出る。とすれば……」


 ニアナにもその先の言葉は予想できた。遠からず、違法ではなくなる。それは、政治が変わるから。国の首脳が入れ替わるから。


 「……王が長くご体調を崩されていることも、そして……もしかすると、第一王子が幼いころにお命を危ぶまれたことも。すべては、ひとつの意思に基づいているのかもしれません」

 「……もうひとつ、は……?」

 「いささかぼんやりとした情報なのですが、ズーシアス家はなにか、大きな秘密を抱えている。そういう話があります」


 それが薬のことだろうとニアナが不思議な顔をすると、アムゼンはかぶりを振った。


 「いえ、そちらではなく。ズーシアス侯セドナ自身、あるいは、邸に置いて王宮へ戻そうとしない第二王子にまつわる、なにか……薬などよりもっと、根の深い……」


 アムゼンの言葉の最後は、なにか独り言のように口のなかで紡がれた。それを幾度か繰り返して、深い思索のなかへ沈んでゆく彼に、ニアナは思わし気な視線を向けている。

 


 ◇◇◇



 「いち!」


 早朝の公爵邸、その中庭。草に載った朝露が輝いている。

 侍女長の号令により、前列の三人がほうきを突き出した。ほうきと言っても、柄の方である。それなりに堅牢でしっかりしたつくりの柄には、先端に金属の蓋が取り付けられており、それが尖っているのだ。

 侍女らは三人ずつ横に並び、柄を両手で抱え、両足を前後に踏み張っている。


 「にい!」


 侍女長ヘレーネの声に合わせてほうきの柄が突き出される。同時に侍女らの脚がだんと地面を踏みしめる。ヘレーネはその様子を見渡して、満足げに頷いた。


 「よろしい。だいぶ形になってきました。よいですか、無理はなりません。なりませんが、旦那様も、あの忌々しい執事長もまったくあてにならない今、わたくしども自身の手で奥様をお探し申し上げなければなりません」

 「はい!」


 侍女たちの声がそろっている。みな運動の直後で顔が上気し、充実感に溢れた表情を浮かべている。


 「ようやく手に入れた情報によれば、奥様は街の北部のどこかでお暮しだったとのこと。きっと今ごろ、涙に暮れてその懐かしい家に引きこもっておられるのです。なんとお可哀そうなことでしょう。お救い申し上げなければならない。我らの手で!」

 「はい!」

 「ですが、北部といえば下町。貧民街、花街、そんな恐ろしい場所もあります。わたくしどものような可憐な乙女がそういった場所に踏み込めば、必ずやならず者の狼どもが牙を剝いてくるでしょう。ですが、負けてはなりません。奥様のため、そしてローディルダム家の侍女としての誇りにかけて!」

 「はい!」

 「奥様のために!」

 「奥様のために!」

 「公爵家の誇りにかけて!」

 「誇りにかけて!」


 眩しい陽光を全身に浴びて、こぶしを振り上げる侍女たちの額から汗がきらきらと飛んだ。


 




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