この出会い、返済不可
「今日こそ客、3人超えたら勝ちやな」
「3人って……目標ぬるっ!」
相変わらずギリギリな生活。Wi-Fiはローソン、マイクスタンドは折りたたみ傘。
そんな時、子どもが「おっちゃん、芸人さんなん?」と無邪気に聞いてくる。
「芸人かどうかって?……ちょっと前まで“ただの借金のかた”やったんやで」
そこから、出会いの回想が始まる。
数ヶ月前
大阪・なんばの雑居ビルの五階。
エレベーターを降りた瞬間、どこからともなく流れてきたのは、やたら軽快なBGMと「夢はここから!」みたいなうさん臭いキャッチフレーズの連呼やった。
扉にはA4の紙が一枚、ガムテでペタリと貼られてる。
《第一部:お笑い×起業セミナー〜たった一ヶ月で劇場デビュー!?〜》
……なんやねん、劇場デビューって。そんな簡単にいけたら、苦労せんっちゅうねん。
でも、この時のワイには、そんなツッコミをする余裕もなかった。
高校を卒業したばっかで、バイトもしてへん。
「このままじゃアカン、何か動かな」って焦りだけが先走ってた。
中に入ると、意識高そうな若者らが並んでて、みんな妙にキラキラした目でスクリーンを見てた。
『好きなことで稼げ!』
『SNSを制す者が世界を笑わせる!』
『夢に“行動力”という燃料を注げ!』
なんや、燃えそうやん。
舞台にはスーツをバチッと決めた講師らしき男が立ってて、マイク片手にこう叫んだ。
「芸人や芸能人の時代は終わりました!これからは“自分で売れる”時代です!TikTokで10万再生!YouTubeでバズれば、劇場より先にファンがつく!」
拍手。うなずく参加者たち。
ワイはちょっと震えてた。
「ホンマにそんなんでいけるんか?」
そう思いながらも、胸の奥では――ワクワクしてる自分がおった。
『今ここで申し込んだ方には、特別プランをご用意してます!』
スタッフが持ってきた契約書。
月1万円から始められる“お笑いスタートアップ支援コース”。
マイクスタンドや動画機材のサポート付き、ローンでOK。
スタッフがやさしく笑いながら言うた。
「さ、夢に向かって、一歩踏み出しましょか?」
ワイの手が勝手に、判子を掴んでた。
そして――ドン。
音を立てて契約書に押された“印”。
なぜか今だけ、印鑑も無料貸し出し中やと。
親切っていうより……ちょっと用意が良すぎるやろ。
今、冷静に考えると、これ……悪徳や。
「笑いで起業!」って何やねんと思いながらも、夢にすがってローン契約してしまった結果。
契約して、ちょうど1ヶ月が経った頃や。
インターホンが鳴いた。
「インターホンが鳴いた……って、鳴くかい!!誰やねん泣かしたん!」
——その一言を、外にいた男は確かに聞いた。
チャイム越しに響いたその声に、男は眉をぴくりと動かした。
「……こいつ、誰もおらんとこでもボケてツッコんどるやんけ」
目で見て笑う芸じゃなくて、耳で聞いて伝わる“笑い”。
そんなもんを、何の観客もおらんとこで自然にやっとる奴が、まだおるんか。
胸の奥が、じんわり熱くなった。
ピンポーン。
再度チャイムを押し、ゆっくりとドアが開く。
スーツ姿の男は、目を細めて言った。
「三橋ユウトくんやな。……ローンの件で来た」
「え!? まだ1ヶ月やで!? は、早すぎひん!?」
「うちは対応が早いんや」男は笑った。「ついでに言うと、お前みたいなん、逃げんのも早いからな」
でもユウトは、笑わなかった。ただ、深く息を吐いて——こう言った。
「とりあえず……中に入って。」
その男は名刺をユウトに渡した。これが鬼塚カネトとの出会いだった。
「この家の家賃いくら払っとる?」
「……ばあちゃんの家や。ばあちゃんが家賃払っててくれてたんや。目が見えへんくなってもうて……せやから、毎日ワイが漫談して、笑わせてた」
「ほう」
「ばあちゃん言うてた。『家、キレイにしてたら、出る時にお金戻ってくるからな』って」
ユウトは笑いながら、少し涙目になっていた。
「せやから、ここ出るわ。そしたら、なんぼか返ってくるやろ?」
「…………」
鬼塚は黙っていた。でも、目の奥に何かが宿っていた。
「父ちゃんは夜逃げ、母ちゃんは病気で死んだ。ばあちゃんも去年亡くなって、ワイ、一人や」
そう言ったユウトの声は、まっすぐで、ひどくさみしかった。
静かな時間が流れた。
そのあと——鬼塚はふっと息をついて、ポケットから何か取り出した。
それは、折りたたまれた紙きれ。裏には、小さな舞台のチラシが写っていた。
「昔な……俺もお前みたいに、“笑い”で何か変えられる気がしとったんや」
「え?」
「けど、途中で折れてもうた。現実ってやつにな」
そして鬼塚は、不器用に笑った。
「けど、今日のお前見て思たんや。……やっぱり笑いって、ええな、って」
ユウトが黙って鬼塚を見る。
「お前……俺とコンビ、組んでみるか?」
「え?」
「取り立て屋が言うセリフやないのは百も承知や。けどな――お前とやったら、もう一回……夢見てもええ気がしたんや」
——その瞬間、ユウトの胸の奥に、ばあちゃんの声がふわっとよみがえった。
『あんたの声はな、目ぇ見えへん私にも届くんやで』
目が見えんばあちゃんが、笑ってくれた。
ワイの声だけで、毎日笑ってくれたんや。
ユウト:「……やってみるか、相方」
差し出した手に、鬼塚がしっかりと手を重ねる。
それは、借金の契約でも、取り立てでもない。
笑いの契約やった。
ユウト:「なんか知らんけど……めっちゃ嬉しいやんけ!」
——あの時、鬼塚さんが差し伸べてくれたその手が、
人生のどん底におったワイを、ほんのちょっとだけ笑わせてくれたんや。
*
「ねえねえ!ネタ見せてー!」
公園で遊んでたちびっ子に囲まれて、ワイは思わず吹き出してもうた。
隣では、あの鬼塚さんが、すっかり“相方の顔”でうなずいとる。
「ほな……いこか、相方」
「ほなな、いっちょやったるか!」
二人で段ボール箱を舞台に見立てて、軽く漫才を披露。
子どもたちはキャッキャと笑い、
その様子に母親があきれたように叫ぶ。
「ちょっとあんたら!こんなとこでやってる場合ちゃうで〜!」
ワイと鬼塚さんは顔を見合わせて、大笑いした。
*
ネタが終わって、静かになった段ボールの裏側。
ペンの音だけが、シャッシャッと響く。
今日もまた、ネタ帳に1ページが加わる。
「借金はな、現金で返すより、笑いで返す方がよっぽど難しい。
せやけど、笑いで人生取り戻せたら……それが一番、価値あるやろ?」
そして今日も、ネタ帳に――
ワイの声が走る。
……声は足ないから、走られへんけどな。
第2話、ここまで読んでくれてありがとうな。
声は形には残らへんけど、誰かの心にはちゃんと届く。
ユウトの声が、読んでくれた人にも、ちょっとだけ届いてたらええな。
次は、初めてのステージ。…段ボールちゃうで?ちゃんとした“舞台”や。
せやけど、心の中はいつも段ボールで寝てたあの頃のままかもしれんな。
また読みにきてな。