第六話 虚空
「ミラ!それ……!」
思わず私は。隠れていた草むらから飛び出していた。
ミラの手のひらーーそこは真っ黒に黒ずんでおり、小さな黒い粒子状の何かがそこから浮かんでは消えていく。
私が飛び出してきて驚いたミラは、思わず尻餅を付いてしまった。
「やめて!お願い……これ以上近づかないで……!」
そう言ってミラは私の前に手を突き出す。私は気づいた。
ミラが尻餅をついた時に無意識についた手。その場所は、明らかに抉れて、黒ずんでいた。
暫くして黒ずみは消えたが、抉れは消えていない。
ーーミラが、やったのか。
そう思った私は、思わず恐怖を覚えてしまった。
さっき触れて無くなったのは土だった。でも、これが自分だったらーー
そう考えただけで、思わず後退りしてしそうになる。
でも、今は耐えるんだ。怪物との戦闘の時に心に決めたんだ。
「皆を笑顔にする」って。
これは、そのための第一歩だ。
私は、できる限りの笑顔を作りながらミラに話しかけた。
大丈夫、私は怖がったりしない。危険かもしれないけど、きっと役に立つから。だからーー
***
「……何、ミラが?」
フィオナは家の中で、僕ーーミラの、この能力について先生に相談しているのだろう。
「ーーだから、先生に相談しに行きましょう!」
「……え?」
「先生なら、何かわかるかもしれないじゃないですか。
ほら!そうと決まればすぐに戻りましょう、付いてきてくださいね!」
……僕は、そう言われるがままにここに戻ってきてしまった。
僕は、自分の手を見つめ、その拳をぎゅっと握りしめた。
この力が怖い。
触れたものを消してしまう力。魔物にも無機物にも、人間にも――効いてしまうかもしれない、そんな力。
フィオナを抱きしめたら、僕は彼女を殺してしまうのだろうか。
――考えたくない。
僕は視線を落とし、黒ずみを隠すように強く拳を握りしめた。
ふと、拠点の中からかすかに声が聞こえた。
フィオナの声だ。
「……ミラの手が……危ないの……でも……どうしたら……?」
途切れ途切れの言葉が、窓越しに聞こえてくる。
僕は胸が締めつけられるのを感じながら、そっと窓の向こうを覗き込む。
窓ガラスの向こうでは、フィオナが不安げな顔をして先生に話していた。
……僕はどうなるんだろう。
フィオナの声がまた聞こえた。
「……ミラを助けて……このままだと、ミラが……」
……怖い。
フィオナは僕のことを心配してくれている。それが痛いほど分かる。でも、それと同時に、僕はまた自分の力に対する恐怖を思い出してしまう。
少しして、先生がふと立ち上がり、扉を開けて僕を見つめながら言う。
「ミラ、こっちに」
恐る恐る近づくと、先生はじっと僕の手を見つめた。
そして、おもむろに手を取ろうとする。
「っ……!」
僕は思わず手を引っ込めた。
「……触らないで。危ないから」
先生はため息をつきながら言った。
「大丈夫。ちょっと試したいことがあるんだ」
そう言うと、先生は僕の腕を軽く掴み、拠点の外へと連れ出した。
「日の当たる場所に行くぞ」
外は眩しいほどに太陽が輝いている。
「ミラ、手を広げて。光に当ててみろ」
僕は言われるがままに、黒ずんだ手のひらをゆっくりと陽の光にかざす。
すると。
黒ずみが……消えていく。
驚いて、思わず手を握ったり開いたりするが、もうどこにも黒い痕はない。
「……なんで?」
「やっぱりな」
先生は腕を組み、話を続ける。
「お前のそれは「虚空」……禁忌魔法の一種だ。触れたものを消し去る能力だが、日の元では使えない性質を持つ」
先生はそう言って、僕に何かを手渡す。
「これをつけてみろ」
先生は、一組の手袋を僕に渡した。
「これで、力を抑えられるはず」
恐る恐る手袋をはめる。
手袋は……消えなかった。
少なくとも、これで不用意に誰かを傷つけることはない。
……本当に、よかった……。
「ありがとう……先生……」
先生は、こちらを見て微笑みながら言う。
「じゃあ、訓練を始めるぞ」
……え?
「何唖然としてるんだ?せっかく魔法が発現したんだ。利用せずして何になる?」
後から知ったが、この手袋、通常魔法を無効化して、囚人の魔法行使を防ぐためのものだという。
手袋をつけた状態では能力を発動できない。
でも、手袋を外し、光の当たらない場所で意識を集中させると、指先から黒い波紋のようなものが広がるのが分かった。
最初は恐る恐るだったが、何度か繰り返すうちに、制御のコツが分かってきた。
一つ面白かったのは、フィオナの反応だ。
最初は、「ふふん、ミラにあの過酷な訓練を耐え抜くだけの力量がありますかね?」とか言ってドヤってたが、意外にもあっさり訓練が終わった私を見て、半泣きでこちらを見てたからな。
「よし、基本制御は習得できたな。それなら次は実戦だ」
そう言って先生は、私を森の中に連れていく。
そこで待っていたのは、一匹の魔物。
鋭い爪を持つ大きな狼のような魔物が、低く唸っている。
「ミラ、あの魔物を“消して”みろ」
ごくり、と喉が鳴る。
手袋を外し、恐る恐る、魔物の体に触れた。
すると、魔物の一部が黒く染まり、そのまま粒子となって崩れ去っていく。
魔物は、その場から悲鳴すら上げずに消滅した。
……やった。
僕はやっと、この力を受け入れられそうな気がした。
この力を、皆を「傷つける」のではなく、「守るため」に使える。
そう思うと、少し、この力に誇りを持てたような気がした。
それから数日後。
僕たちは、最初の街へと到着した。
高くそびえ立つ見える城壁。その向こうには、僕の知らない世界がまだまだ広がっている。
***
「急がなきゃ……」
私はそう言いながら、重いカバンを抱えて街を走る。
見えた、目的地だ。
私は、焦りから全く周りを見ていなかった。
横から来た、五人くらいの女の子たちに全く気づかなかったのだ。
ドン!
ぶつかった反動で落としたカバンが鈍い音を立てて落ちる。
「いてて……」
「ごめんなさい!全然前を見てなくて……」
「それより、大丈夫ですか?とても急いでましたけど……」
ぶつかった焦りで一瞬忘れかけていた。
まずい、もう時間が来る。
カバンの中身は幸い、ほとんど散らばっていない。
私は、落ちた小物を拾ってカバンに詰め込み、軽くお辞儀をしてから目的地へと急いだ。
***
私たちが到着した最初の街「リュシオン」は、海と山に囲まれた中規模都市である。
街に入ると、いろんな所で料理や食材を売っていた。
見たことない食材もあるし、ここを離れる前に買い込んでおくことにしよう。今は、それよりも……
「久しぶりのちゃんとしたご飯、せっかくだし贅沢しませんか?」
私たちは正直、限界だった。
森も、最初の頃は楽しかったが、一ヶ月も経つと調味料類も枯渇してくる。
後半の1週間ほどは、毎日、正直美味しいとは言えない保存食か、狩ってきた魔物の素焼き(調味料無し)を食べる日々……思い出すだけでも嫌になる。
せっかくまともま料理が食べられる場所にいるんだ、多少贅沢しても別に大丈夫だろう。
「肉!絶対肉!」
「肉もいいけど、街の名物料理も気になりますね。ここ、港も近いですし、魚介とか……」
「どっちも食べれるとこがいちばんいいの!」
「はいはい、みんな落ち着いて。まずは、お店を探そう」
先生が場をまとめ、私たちは大通りを歩き出す。
向かうはグルメ街。さあ、何を食べようか……
「……おい、あれ見ろよ」
私の隣にいたミラがふと立ち止まり、進行方向とは違う場所を指さす。
その視線の先に、少女がいた。
紫色のショートボブを揺らして走る小柄な体躯。
それに見合わない大きなカバンを抱えて、こちらに向かってきている。
私たちが状況を理解することには、すでに避けれない距離まで少女は近づいてきていた。
まずい、ぶつかる……!
ドンッ!
荷物が地面に落ち、鞄からノートや小物がバラバラと散らばった。
「いてて……」
「ごめんなさい!全然前を見てなくて……」
「それより、大丈夫ですか? とても急いでましたけど……」
私が少女に声をかけると、彼女は何かに気づいたように、慌てて荷物を掻き集める。
「……まずい、もう……!」
少女はそれ以上の言葉を残さず、カバンを抱え直し、小さなお辞儀だけして再び走り去った。
その直後だった。
腕に付いているコンパスが、カタッと動いた。
コンパスの針は、ピタリと、少女の背中を指し示していた。
「……今の子だ」
「えっ、今の子って……」
「器だ。間違いない。コンパスが動いた」
先生は短く答えると、迷わず少女の進んだ方向へ駆け出した。
私たちも、急いで先生をを追いかける。
食事は、後回しだ。
街中を抜けると、立派な建物が見えてきた。
彫刻と緞帳に彩られた、その建物はすぐにわかる。観客たちが列をなしている、街でも有名な大劇場だ。
「あの子、ここに……?」
私たちは入り口までたどり着き、切符売りの係員に話しかける。
「さっき、急いでここに入っていった女の子、見ませんでしたか?」
「紫髪の子かい?ああ、今日のメインの子だよ」
「……メイン?」
係員はにこやかに頷いた。
「すぐに始まるから、中に入って待ってな。今日は当たりの日だよ。あの子の演奏は素晴らしいんだ」
私たちは少し戸惑いながらも、チケットを買って劇場の中に入った。
赤いカーペット、豪奢な天井装飾、光り輝くシャンデリア。
数千人を収容できる大劇場の、ほとんどの席に観客がいる様は、彼女の演奏の素晴らしさを示唆していた。
私は座席に着くと、再びコンパスを確認する。針は、舞台の方向を指し示していた。
カツ、カツ、カツ……
ハイヒールの音が劇場内に響く。
劇場全体が、息を呑むように静まり返った。
その音の主ー紫髪の少女は、バイオリンをその華奢な肩に添える。
右手で弓をそっと持ち上げ、左手で指板を押さえる。
弓の毛が、弦に触れる。
キイィ……と空気を引き裂くような、それでいて心を震わせるような音が、劇場全体に響く。
演奏が、始まった。
音が光のように、舞台から客席へと波のように押し寄せる。
ああ——これは、ただの演奏じゃない。
違う、絶対に。
「何かが宿っている」……そんな確信だけが、心に積もっていく。
彼女の指先が、指板の上で踊る。
音が次々と繋がり、旋律が生まれ、劇場全体を包んでいく。
ふと、自分の腕を見ると、強く、コンパスの針が彼女を指し示していた。
やはり、彼女が五人目の『器』だ。
でも、それ以上に、私自身の体がそれを理解していた。
この少女は、普通じゃない。まるで、私の全てを飲み込むような——
「しっかりしろ、みんな」
そう言って先生は、私の肩を掴む。
あれ?私、今……
「少し、じっとしてろ」
そう言うと先生は、何かを取り出して小声で詠唱を始める。
「対魔結界、作動」
その瞬間、私たちの周りに小型の結界が展開される。
一体なぜ?今は、演奏を聴いているだけーー
「……えっ?」
私たちは、衝撃の光景を目の当たりにした。
結界が、あり得ない勢いで破壊されようとしている。
……あの子が、やったのか?
「……これが、彼女の禁忌魔法だ。」
先生は続ける。
「禁忌魔法「共鳴」。音によって周囲に影響を与える。奴は、この力でここにいる観衆全員を操ろうとしている」
紫髪の少女は何者なのか……
五人は少女を止めることができるのか——。
次話に続く!