第四話 襲撃
第四話「襲撃」
「フィオナ、お前はしばらく、魔法を使ってはダメだ。」
先生の言葉を理解できずに、私はポカンと口を開ける。
「お前の禁忌魔法が判明した。お前に宿っているのは『全能者——オールラウンダー』、全属性を操れる禁忌魔法だ。いきなり使うには危険が伴いすぎる。
下手に使えば、皆を巻き込んでしまう可能性がある。制御できるようになるまでは、私の前では使わないでほしい」
じゃあ、私は魔法を使えない……?こんなに皆に、頼りにされるチャンスなのに……
「でも……!」
「ダメ」
先生の鋭い声は、私の胸に強く響いた。
「明日から訓練を始める。それまで、お前の魔法は禁止、いいな?」
言いたいことは分かる。先生が私のことをを思って言ってくれていることも理解できる。でも、それでも。
「……そんなことない、ちゃんと使える!」
私はそう言い張って、魔法を無理矢理使おうとした。でも——
「おい、落ち着けフィオナ!」
「私だって、みんなみたいにちゃんと使え——」
突然、私の周りに黒い瘴気のようなものが広がる、それは徐々に増えていき、私の全身を飲み込んでいく。
「フィオナ!」
先生は、急いで私をそれから引っ張り出し、魔法の詠唱を始める。
「"聖なる光よ、穢れし瘴気を裁きたまえ。
戒めの鎖を編み、闇を閉ざし、混沌を鎮めよ。”
聖律魔法、ルミナス・バインドッ!!」
詠唱が終わった瞬間、瘴気の周りに無数の魔法陣が展開され、辺りが光に包まれる。光が止んだ時には、瘴気は跡形もなく消えていた。
私は、その光景を見ながら呆気に取られていた。瘴気に呑まれかけた時のあの感覚は、私の身体に深く刻まれていた。それは、深く、どす黒い、死んだ方がマシだと思えるような恐怖と苦痛。
「フィオナ、フィオナ!」
そう先生に呼ばれ、ようやく私は我に帰る。罪悪感と安堵でいっぱいになり、思わず泣き出してしまう。
「ごめんなさい、先生……怖かった、怖かったよぉぉ……」
そう言って泣きじゃくりながら胸に飛び込んでくる私を、先生は強く抱きしめた。
***
広場では、ミラ、セレナ、ノエルの三人がそれぞれの魔法を使っていた。
ミラは水の魔法を操り、小さな水球を浮かせ、セレナは草の魔法で周囲に花を咲かせ、ノエルは風の魔法でものを浮かせて遊んでいる。
楽しそうな声が広場で響く中、私は1人、少し離れた場所ででごろんと寝転びながら、それをじっと見つめていた。
皆、楽しそうだな——
魔法を使って、自分の力を伸ばしていく仲間たち。それに比べて、自分は……
「はぁ……」
深いため息が漏れた。
私だけ、魔法が使えない。
それが、どれほど悔しいか。
私は、ぼんやりと自分の手を見つめながら考える。魔法を使えない自分が、この旅の中で役に立てるのだろうか。皆の足を引っ張るだけなのではないか。そんな思いが、頭の中をぐるぐると巡っていた。
「……フィオナ」
不意に、優しい声が耳に届く。
「……先生」
隣に座った先生は、そっと私を見つめる。
「……悔しい?」
「……うん。すごく」
「そっか」
先生は、それ以上何も言わなかった。ただ、私を見ながら、しばらくの沈黙の間、穏やかな表情を浮かべていた。
「……先生は、さ、最初から魔法、上手く使えたの?」
ぽつりと、私は尋ねる。先生は少しだけ考えてから、静かに答えた。
「ううん。最初はめちゃくちゃだったよ。魔力の暴発もしたし、上手く狙えないこともあった」
「えっ……意外……」
「最初から完璧なやつなんてほとんどいないよ。大事なのは、どうすれば制御できるかを知ること。そして、どうすれば『自分の魔法になるか』を考えること」
「……さっき、」
ぽつり、ぽつりと私は話し始める。
「私が変な黒いのに呑まれかけた時、すっごく怖かった。痛くて、苦しくて……死にたいとも思った。あんなのを他のみんなに味あわせてしまうくらいなら、私、魔法、使わない方が、いいんじゃないか、って……」
私は、涙を流しながら先生にそう吐露する。
「……あれは、あの「黒いの」は、負のエネルギーだ。属性を未抽出のまま無理矢理出力しようとするとあんな現象が起こる。
さっきのお前は、我を忘れていた。落ち着いてやれば、きっとできるようになる。
そうすれば、お前の能力は皆を笑顔にすることができる。だから、そんなに思い詰めないでくれないか?」
「……うん」
先生はその返事を聞いた後、そっと私の頭を撫でてくれた。
「焦らなくていい。明日から、ちゃんと訓練しよう。きっと、お前はできるようになる」
「……うん!」
私は目を閉じて、先生の身体に身を任せる。彼女の手の温もりが、少しだけ彼女の心を軽くしてくれた気がした。
***
魔法の制御訓練は、私の想像をはるかに上回るほど過酷だった。
魔力制御を弱めすぎると、再び瘴気が私の全身を纏い、逆に強めすぎると魔法は不発に終わってしまう。
瘴気から受ける耐え難い苦痛から、次第に私は恐怖心で、魔法の使用を躊躇うようになっていった。
先生の行う訓練のほとんどは模擬戦、魔法を使わない私の手は先生の模擬刀に打たれて何度も血で滲み、足は鉛のように重たく感じた。それでも、私は諦めずに立ち上がる。
「……まだやれるよ、先生」
今の所、全く疲れを見せていない、目の前にいる先生は微動だにせず、冷静な視線で私を見ていた。
「その意気だ。しかし、次はもっと早く動け。」
「えっ、ちょ——」
先生の蹴りは容赦なく私の腹部を打ち抜く。私は咄嗟に、衝撃を後ろに退がることで和らげ数メートル後ろに着地したが、先生の追撃の方が早い。
先生は私の懐に素早く潜り込んで、模擬刀の先で私の顎を突く。
されるがままに倒された私の首に、先生の模擬刀が強く押し付けられた。
「……ぐっ……痛い……」
「立て、フィオナ。」
冷酷で鋭い先生の声が、痛いほどに私の鼓膜に突き刺さる。私は歯を食いしばり、手を地面についた。全身が痛みを訴えている。それでも、私はゆっくりと立ち上がった。
「先生、もう一回……!」
「悪くない動きだ、受け身もしっかり取れている。判断も素早い。
……だが、お前の本当の武器は魔法のはずだろう?何故魔法を使わない。
魔法に怯えているようじゃ、いつまで経っても制御できるようにはならないぞ」
先生は剣を収め、私に魔法をかける。私の身体が緑色の粒子に包まれた途端に、全て傷は癒え、痛みもなくなっていた。
「回復魔法と鎮痛魔法をかけた。今日はここまでにしよう。ゆっくり休め。恐怖心さえ払拭できれば、必ずできるようになるはずだ」
「はい……」
私は額の汗を拭いながら、皆の元へ戻った。ミラ、セレナ、ノエルは既にそれぞれのベッドで休んでいる。
悔しい……でも、やっぱり怖い……怖がっちゃダメってわかってるのに、なんで……
今日も私は自分の手を見つめ、悔しさで嗚咽する。数十分、息を殺して泣いていただろうか。私は泣き疲れ、そのまま夜の微睡に呑まれていった。
***
……あたりが煩い。加えて、明るい光がゆらゆらと揺らいでいる。揺らぐ光……炎………?
「襲撃だ、起きろっ!」
先生の怒声で、私たちは目を覚ます。火を放たれたのか、すでに辺りは炎に包まれている。火の手は、火元から一番近い私のベッドにみるみるうちに近づいてきていた。熱い、痛い。
ベッドに引火した火は、恐怖で思わず前に出した腕を飲み込んでいった。振り払おうとするが、全く火の勢いは収まらない。このままじゃ、身体まで……!
「ウォーターバブル!」
そうミラが叫ぶと、彼女の手から大量のシャボン玉のような者が発生する。それは炎全体を包み込み、ぱちん!と弾ける。シャボンの中には水が入っており、一瞬で火は鎮火された。
「フィオナ、大丈夫!?」
「うん、だいじょ……痛っ」
炎に飲まれた私の腕が激痛を訴えていた。見ると、暗い室内でもはっきりとわかるほどに白く爛れてしまっていた。
「フィオナ、ちょっとだけ痛いかもだけど、我慢してね!」
「フィオナ!じっとしてて!」
そう言ってミラが限界まで温度を下げた水を私の腕にかけ、セレナが特製の草葉でできた包帯でその場所を覆う。
「魔物の襲撃だよね?」
「ええ、外で先生が戦ってくれているわ」
「手伝いにいかないとなの!」
私を置いてけぼりにして、他の三人は外に出て戦いはじめる。先生は、私たちが今いる場所と、家を跨いで反対側で戦っている。
先生が向こうの戦闘を片付けるまでここで耐え、先生の救助を待つのが私たちの役目だ。
一番強いのはノエル。彼女の風は刃物のように鋭く、どんどん魔物の肉を八つ裂きにしていく。
次にミラ、彼女は魔物の頭だけを水で覆って窒息死させている。
セレナは攻撃特化ではないため、蔦を魔物に這わせて拘束し、他二人の攻撃をサポートしていた。
私も、一緒に戦わないと……!
そう思った。でも、三人と一緒に外に出た私は、なんの力にもなれない。
私が今右手で持っている模擬刀で奴らの頭を殴っても、少し血が出る程度で奴らにはなんの致命傷も与えられないだろう。
だからと言って魔法を使えるわけじゃない。
今使っても、また瘴気に飲まれるか不発になるかだ。不発ならまだしも、瘴気が発生した場合、この至近距離では仲間達も同じ苦しみを味わうことになるだろう。
私は、恐怖心と悔しさの狭間で、皆の戦いを見ていることしかできなかった。
すると——
ドスン。
低い地響きが鳴り響く。
森の闇がざわめき、獣のうなり声のような響きが空気を震わせた。
私たちの目の前に落ちてきたのは、3、4メートルほどの、ゴツゴツした大きな黒い塊。それがゆっくりと形を持ち、月明かりに照らされる。
巨大な腕が、闇の中からゆっくりと現れる。
太い、異常なほど発達した筋肉。 爪は岩をも砕くほどに鋭く、黒曜石のようにギラギラと光っている。
ボロボロの漆黒の外套を羽織っているが、その下にある肉体は完全に異形だった。
肉の裂け目から覗くのは、ねじれた骨のような突起。 皮膚は部分的に剥がれ、まるで何者かに寄せ集められたような不自然な身体つきをしていた。
そして——顔。
顔の中心には、ただひとつだけ赤い単眼があった。鼻は髑髏のように窪み、口は異常なほど裂け、鋭く黄ばんだ牙と長い舌がそこから見え隠れしている。
すると、それの眼が不自然なまでにギョロリと動き、ゆっくりとフィオナたちを見据えた。
ゾクリとした悪寒が背骨を駆け上がる。
——何かが違う。
先程まで三人が戦っていた魔物とは、まるで別の存在。
嗜虐的な笑みを浮かべているように見えるその顔から、確かな「知性」を感じる。
それはただの魔物ではないと、戦闘経験の浅い私たちでもすぐに分かった。
怪物が、喉の奥で唸るように笑う。
「オマエラはうまそうだなアー、ニク付きもヨくて、マりょクも蓄えてる。こりゃあァ今日はゴチソウになるかもなア」
その声は、まるで複数の喉が同時に喋っているように響く。 重く、ねじれ、耳の奥を不快にこすりつけるような響き。
怪物が一歩踏み出すたびに、地面が重圧に耐えかねて軋む。
腐敗した息が鼻をつき、全身の毛が逆立つような感覚が広がる。
「マズはァ、そこのヨワソーォなケガしてるコからァ」
怪物の単眼が、私を射抜く。
その瞬間、私は凍りついた。
——殺される。
本能がそう叫んでいた。
喉がひゅっと詰まる。
呼吸ができない。
身体が金縛りにあったかのように硬直する。
次の瞬間、獣じみた咆哮と共に、怪物の巨大な爪が私に振り下ろされた。
私は、反射的に体を横へと投げ出す。
その直後、鋭い爪が私のいた場所を薙ぎ払った。
ガガァァン!!
地面が深く抉れ、土砂が舞い上がる。
避けた——そう思った。
「……あれっ?」
私の視界が右に揺れた。 何かがおかしい。 身体のバランスが取れない。 ふわりと、彼女の視界の片隅に、血しぶきが舞うのが見えた。
そして——
地面に、私の右腕が転がっていた。
………あっ
痛みは、一瞬遅れてやってきた。
「――っあああああああぁぁぁぁ!!!」
灼熱のような激痛が、肩から脳天へと駆け上がる。 骨が断たれた感触がする。恐ろしく綺麗なその断面は、怪物の爪の鋭さと恐ろしさを同時に物語っていた。 血は吹き出し続けている。腕があったはずの場所がありえないほど軽い。 頭の中で警鐘が鳴り響く。
視界が、揺れる。
まともに立っていられない。
「フィオナ!!」
ミラの絶叫で、私はかろうじて意識を取り戻す。
私は、痛みとショックで地面に膝をつき、荒い息を繰り返していた。
「ヒィヒヒヒヒ……アァ、サイコォォォォ!!!」
怪物が嬉しそうに喉を鳴らしながら、こちらに自らの巨体を見せびらかすかのように腕を大きく広げる。その赤い単眼は、楽しげにゆらゆらと揺れていた。
「フィオナ!! しっかりしなさい!」
セレナが咄嗟に駆け寄り、私の右肩を押さえた。すぐに草の包帯を取り出し、腕の傷口を止血しようとする。
「みんなにげて……おねがい……せんせいのとこにいって……」
「こんな状態で放っておけるわけないじゃない……!」
「フィオナ!しっかりして!」
ノエルが、恐怖で震えながらも彼女を心配そうに覗き込む。
あれ……?私……死ぬの……?
私は血の気を失い、痛みと寒気で震える。
ミラとノエルは歯を食いしばりながら、怪物に向き直った。
「……絶対に許さない」
「……痛い目に合わせてやるの」
その目には、確かな恐怖と怒りが宿っていた。
「みんな、フィオナを守って! 先生が来るまで耐えるの!」
セレナが叫ぶ。 2人は迷いなく、私に背を向けて怪物と対峙する。
だが——
「ククゥ……マァァだ、タタカウ気かァァ?」
怪物は愉悦の声をあげる。
「オマエらァ……オマエらァァ、タノシィイイイイ!!!」
ミラが水、ノエルが風の刃を飛ばすが、怪物はそれを難なく爪で弾き返す。
「そんな……効かない!?」
「こっちはどうかしら!」
私のの止血を終えたセレナが、蔦を絡めて怪物の足を拘束する。しかし、怪物は軽く足を振るっただけで、それを引き千切る。
「そんな……嘘でしょ……?」
怪物は舌なめずりをしながら、じわじわと距離を詰める。
「サァァァオマエラァァァッ、イイ悲鳴をアゲロォォ!!!」
その声とほぼ同時に、ミラが弾き飛ばされた。
「ぐっ……!」
怪物の手が、彼女の体を軽々と弾き飛ばす。彼女の身体は幹に叩きつけられ、崩れ落ちた。
「ミラ!!」
セレナが駆け寄ろうとするが、その身体を怪物が掴んで持ち上げる。
「……い゛っ……!」
ミシミシと骨が軋む音。
「セレナを離して!!」
ノエルが風の刃を放とうとするが、怪物はセレナを盾にしてニタニタと笑う。
「カハハァ!! ドォしたァ!? 仲間を斬ってミロヨォぉぉ!!」
ノエルは躊躇う。
その一瞬の隙に、怪物の蹴りが彼女の腹部を貫いた。
「ぐっ……!!」
ノエルの小さな体が宙を舞い、そのまま地面を無抵抗に転がる。
「ノエルッ!!」
残ったのは、掴まれたままのセレナ一人。
だが、そのセレナも——
「アァァ、タノシィィィ!!!」
怪物はセレナを思い切り握りしめる。
「ぎ……ゃっ……!」
バキリ、と、嫌な音が響く。
「セレナッ!!」
それが、自分の仲間の身体から発せられた音なのだと理解した瞬間――
「やめて……やめて!!」
私の悲痛な叫びは、無残にも森の静寂の中で消えていく。
「こんなのおかしい……!」
涙が溢れそうになる。膝は震え、全身は冷たくなっていく。失われた右腕の痛みが、まるで冷たい針のように突き刺さる。
「オマエはヨワイナァァァァ」
怪物は嗤う。その赤い単眼は、愉悦の表情で私を見下していた。
「ヨワイヤツガァァァ、ナカマヲマモレルワケガァァァァナイダロォォォ」
怪物は意識を失ったセレナを無造作に地面に投げ捨てる。
「ぁ……っ!」
「オマエダケェェェ……ノコッタナァァァ」
怪物がゆっくりと私に向かって歩を進め始める。
ガシャン、ガシャン
足音が、大きくなる。
——足音が、止まる。
数秒にも、数時間にも感じられる静寂を感じた。
——鈍い、風切音がした。
—————再び、爪が振り下ろされた。
爪が振り下ろされたフィオナ……一体どうなってしまうのでしょうか……!次話に続く!