第一話 夜明け
「起きろ」
広々とした屋敷の一室。
そこに置かれたベッドの上で、薄桃髪を揺らしながらフィオナは寝返りを打ち、毛布に顔を埋める。
今日はなんの予定もないし、もうちょっとだけ――
「おい、二度寝をするな。」
鋭い声が微睡を裂き、同時に、柔らかな枕が彼女の後頭部に容赦なく投げつけられる。
「んぐっ……なんですか?せんせい、あさっぱらから……」
もそもそと毛布をたぐり寄せながら、彼女は文句をこぼした。
しかし、すぐに部屋の異様な雰囲気に気付く。
いつもなら騒がしい青髪の少女ミラや、緑髪のセレナ、普段なら寝起きの悪い白髪のノエルも、彼女の周りで既に起きて、座っている。
部屋の隅には、見慣れた女性――エリィが腕を組み、無表情で立っていた。
「全員、起きているな?」
彼女の声からは、冷たく、しかしどこか優しさが滲み出ていた。
少女たちは互いに顔を見合わせ、ぼんやりとした意識のまま頷く。
「今日は、お前たちに話さなければいけないことがある……大切な話だ、よく聞いてくれ。」
エリィの声が屋敷の中に響いた。
その瞬間、フィオナの眠気は一気に吹き飛んだ。
エリィは普段、余計なことを語らない。
そんな彼女が、こうやってわざわざ四人を集めて何か言うということは、何かがあったのだろうか。
そんなことをフィオナが考えていると、再びエリィが口を開ける。
「お前たちは、普通の人間ではない。」
一瞬の沈黙。
その後、ミラが目をぱちぱちと瞬かせ、セレナがこっそりとノエルの袖を引いた。ノエルは、不安げな表情をしている。
「えっと……どういうこと、先生?」
フィオナが、かすれた声で尋ねた。
「お前たちは『器』だ――八つの禁忌魔法を継承する。」
***
風が窓をガタガタと鳴らし、かすかに遠雷が響いている。
部屋の中心には少女たち、そして、隅ではエリィが壁に寄りかかり、腕を組んでいた。
部屋の中心にある長机の上に置かれた、一冊の古びた書物。
革表紙はひび割れ、幾度となく捲られたであろう頁は黄ばんでいる。その本を前にしたセレナが、静かに息を吸い込む。
「かつて、この世界には八つの禁忌魔法があった」
セレナが読み上げる声が、静寂に染み込むように響いた。
「それらをすべて集め、聖なる地で祈れば、いかなる願いも叶う。
しかし、その力を得る道はただひとつ――持ち主を殺すことのみ。
そして、その願いの代償は大きく、時に世界そのものをも変えてしまうほどであった」
ぴりっとした緊張感が辺りに広がる。ミラが難しい顔をしながら腕を組み、ノエルは背を伸ばして聞き入る。セレナは続けた。
「幾千年も昔、一人の勇者が現れた。
彼は苦しむ人々を救うため、幾多もの戦いを経て八つの禁忌を手に入れ、神へと願いを託した――」
エリィは無言のまま、静かに少女たちを見つめていた。
「彼は神に願った。『争いのない世界を』と。
願いは聞き届けられた。
神は人の在り方そのものを変えた。新たなる人類は魔力を与えられ、八人の王に禁忌魔術が授けられた。
彼らは争いを嫌い、力を持て余し、戦うことを「娯楽」として消費するようになった。
こうして、新たな秩序と共に世界は安寧の時を手に入れた――まるで美しき御伽噺のように。」
セレナが読み終わった書物を閉じた瞬間、一気に少女たちの緊張が解ける。
「……え?めっちゃいい話じゃん!」
「平和を求め、最後には願いを叶えた勇者様……ぜひいつか会ってみたいです……!」
ミラとノエルが、互いににこやかな表情で御伽噺の感想を話している。
しかし、その暖かな空気を切り裂くかのように、エリィは口を開ける。
「だが、この物語には続きがある」
静寂の戻った空間で、彼女は天井を見ながら物語の続きを暗唱する。
勇者と、彼が救おうとした旧き人々の末路について。
「彼らは『平和』の代償として、人ならざるものへと変えられた。
争いを求めながらも戦うことすら許されぬ姿となり、深淵へと落とされたのだ。
彼らは平和を求め、戦い抜いた。
だが、その果てに待っていたのは、争いを捨てられぬまま、争うことさえもできぬ運命であった。
彼らはその後、『堕ちた人類』と呼ばれ、深淵を彷徨いながら長き時を生き、苦しみ続けることとなるのだーー」
部屋に、先程とは一転し、凍り付くような空気が張り巡る。
そしてさらに、エリィは少女たちに告げる。
「これは御伽噺ではない。今も現実で起こっている、本当の話だ。」
ノエルが震えた唇を開ける。
「先生、それってまさか……あの「ネフィリム」のこと……!?」
「よく知ってるなノエル、まさに、その通りだ。」
エリィの淡々とした衝撃の発言に、少女たちはぞくり、と寒気を覚える。
「ネフィリムーー通称『堕ちた人類』は実在する。そして……お前たちには奴らと戦ってもらう。」
「無理無理無理!なんでそんなこと、私たちがやらなきゃいけないの?他の人に頼めないの?」
ミラが涙目で先生に訴える。
「さっき言っただろう。お前たちは八人の『器』の中の四人だ。運命サダメから、逃れることはできない。」
先生は真剣に、そしてどこか決意のこもった眼差しを四人に向けながら続ける。
「だが、お前たちが傷ついたり、死んだりすることは何より私が許さん。
奴らが本格的に動きを見せ始めるであろう日まで、まだ少しの猶予が残っている。
それまでに、私はお前らを徹底的に鍛えて、奴らを倒すための準備をする。」
「でも、私たちは四人しかいないよ?他の四人はどこにいるの?」
フィオナがそう言った後、エリィは壁から離れ、部屋の扉に向かいながら淡々と続ける。
「……その残り四人の『器』を見つける旅に今から出るって話をしてるんだぞ?
明日の朝には出る。今日一日で身支度を整えろ」
唖然とする少女たちを傍目に、エリィは扉を開けて一人部屋から退出しようとするが、何か思い出したように部屋に引き返して告げる。
「そうだ、私の職業を明かしておこう。これで、私がお前たちに嘘を吐いていないと信じてくれるはずだ。」
「いや、別に信じてないわけじゃないんだけど…」
苦笑いしながらそう言うフィオナの声を遮るかのように、身長の低いエリィは机の上に上がって続ける。
「私は「世界連合軍」、通称「エクソダス」の将軍、エリィ・イーヴァだ。ついでに名刺も渡しておこう。」
そう言うと、エリィは机から降り、少女たちに名刺を渡すと、部屋から一人、静かに退場していった。
「「「「…………はあああああああぁぁぁぁぁ!?」」」」
世界連合軍ーー通称『エクソダス』。
そこは、世界の連合機関であり、最大の戦力と資金を抱えている場所でもある。
基本的には反逆国の粛清や戦争国間の仲裁などが主の、世界的最高機関である。
そこのトップ十人は名前も明かされず、「本当は存在しない」やら、「実際は一人の統率者による独裁機関ではないか」などと陰謀論が囁かれていたりする。
しかし、その陰謀論の全てが嘘であったと、先のエリィの衝撃発言によって証明されたのであった。
頭が追いつかない少女たちは、雪崩のような勢いで部屋から出て、エリィが向かったであろうロビーへ急ぐ。
しかしそこには、エリィがいない代わりに、謎の石が埋め込まれ、私たちの名前が刻まれた革製のバッジが四つと、その横にエリィからの置き手紙が置いてあった。
「なんだろうこのバッジ、綺麗!」
好奇心旺盛なミラはそう言うと、何も考えずに自分の名前が刻まれたバッジを掴み取る。
「ちょっと!何があるかわからないんだから、もっと慎重に…」
そうセレナが言いかけるが、ミラがその忠告を無視してバッジを観察し始める。
バッジの中心には水晶玉のようなものが付いており、その中にはコンパスのようなものが埋め込まれてあるように見えた。
ミラの指先が、水晶玉に触れた、その時だった。
突然、部屋の空気が一変した。
バッジに埋め込まれた石が突然、青色の光を放ちながら辺りを包みこむ。
「な、なにこれっーー」
ミラが慌てて掴んだバッジを手から離そうとするが、既に少女たちの手にあったはずのバッジはそこにはない。
次に目を開けた時、何故かバッジは、彼女たちそれぞれの右腕にぴったりとくっつき、腕輪のような形状に変化していた。
「なんなの、これ!どうやってもはずれないの!」
ノエルが焦った口調でそう言い、皆で腕輪を外そうとするが、一向に外れる気配がない。
腕輪をよく見ると、嵌めているというより、皮膚に埋め込まれている状態に近いように見えた。
「もう!あなたが勝手に触るから……!いつも言ってますよね!『訳の分からないものには飛びつくな』って!」
ミラは、涙目になりながらセレナに説教を受ける。
「ま、まあまあ!いつかは触らないといけなかったんですし……そうだ!とりあえず先生の置き手紙を読んでみませんか?」
フィオナはそう言ってミラとセレナを仲裁し、エリィの置き手紙を皆で顔を合わせながら読む。
『皆、いきなりとんでもないことを言ってしまい、すまなかった。
もちろん、今すぐに全て受け入れて、旅について来いとは言わない。
もし何か不平不満があったらなんでも聞くし、旅に出てからの安全は私が保証するつもりだ。
何より、お前らが傷つくことは絶対に私が許さない。荷造りをしながら、どうするのかをゆっくり検討して欲しいと願っている。
追記:そのバッジには収納機能が付いている。
部屋のものを全部持って行きたければ持っていくことも可能だが、元容量の千分の一の重さが自分の右腕にかかると言うことだけは考えて持ち物を持っていってほしい』
少女たち四人は、顔を見合わせて言った。
「……私は別に先生のこと嫌いではないし、どこにでもついて行きますけどね」
「旅に関する不平不満?は正直ないかなー、楽しそうだし!」
「あの人いっつも突拍子にヤバいこと伝えてきたりするし……まあ、いつもみたいに振り回されるのも、悪い気はしませんね」
「わたしも、せんせいについて行きたい!せんせいと一緒にいればなんでもできる気がするの!」
「私も、先生に付いていきたいです!」
「そんなこと言ってフィオナ、あなた、先生のこと好きなんでしょ?」
「はあ!?ちっ違うます!」
「あっ噛んだ」
「フィオナ、すごーく慌ててるの?」
「もっもうやめてくださいよぉ……。」
そんないつも通りの他愛のない会話をしながら少女たちは準備を進め、一日が経った。
***
「……よし」
フィオナは、身支度を終えて屋敷のロビーに向かう。
ロビーには、既に他の四人が集まっていた。彼女は、皆と挨拶を交わす。
あの後、謎の腕輪は結局取れずじまいで終わった。
しかし、何故か装着感はほとんど感じられず、風呂に入ったり水をかけても濡れなかった。
蒸れなども感じないため、やはり、この腕輪は特別なものなのだろうか。
フィオナが腕輪を見つめ、暫くそんなことを考えていると、既に少女たちを椅子に座って待っていたエリィが話し始める。
「さあ、身支度は済んだな?」
「「「「はいっ!」」」」
「せんせい、この腕輪、すごいです!収納に加えて、好きな場所に物を出すこともできるなんて!」
「途中、ミラが間違えて屋敷にあるもの全部押し込んで地面に叩きつけられてたの、流石に焦ったけどな」
「びっくりしましたよね……そのあと、『荷物の出し方が分からない』なんていうから一時はどうなるかと……」
「うう……ごめんってばぁ……」
ミラは、腕輪事件の後にまたやらかした。
皆が荷造りを進める中、ミラは一人、面白がって周囲に設置されていたあらゆる家具や道具等を収納しては元に戻すということを繰り返していた。
その結果、誤作動でミラの腕輪にロビー内のあらゆる収納可能な物品が収納された……という経緯であった。
何気ない会話が一区切りついたところで、エリィが口を開ける。
「お前たち、これからの旅路で、沢山の困難や、大きな壁に度々ぶつかることになるだろう。でも、これだけは約束してくれ。」
そう言って彼女は続ける。
「私を、信じて欲しい。」
少女たちはその言葉に少しぽかんとした後、笑いながら続ける。
「そんなの、当たり前ですよ!」
「僕も、あんたのことは一応、信頼してるつもりだけど……」
「わたくしも、あなたのことをお慕いしております」
「わたしも、せんせいについていきたいの!」
そんな少女たちからの言葉を聞き、エリィは思わず顔を背ける。
「……では、出発しようか」
「あれっ?先生どうしたんですか?もしかして泣いてる……?」
「うっうるさいぞフィオナ!ほら、そんな事言ってると置いていくぞ!」
「あっ待ってよ先生!」
「フィオナ!おいていかないでください!」
そうして少女たちは、「皆でいればなんでもできる」とでも言わんばかりの満面の笑みを浮かべながら、残りの『器』を探す旅に出る。
朝日が昇る中、彼女たちはその第一歩を踏み出した。
それぞれが、自分なりの覚悟を背負いながら。
——第二話「旅の始まり」に続く
これからよろしくお願いします!予定としては、土〜月曜日に1、2回の頻度で更新していく予定です!