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レディオガール

作者: 星賀勇一郎






「では、今日はこの曲でお別れしましょう。曲は……」


 その声の後ろに静かに曲が流れ出す。

 男はプラタナスの下に停めた車の中で今日もそれを聴いた。

 最後の曲が始まると同時に彼女はスタジオを出る。

 その時間に合わせて車を走らせると通用口から出て来た彼女をいい具合に迎えに行ける。


 冷えた車をゆっくりと走らせて、車はスタジオへと向かった。







「お疲れ様でした」


 真理乃はスタッフに挨拶をしながら、大き目のバッグを肩から提げ、通用口を出た。

 少し坂になった駐車場の入り口を上ると道に停まった車に乗り込む。


「お疲れ様」


 悠二は温かい缶コーヒーを渡した。


「ありがとう」


 シートベルトを閉めながらそれを受け取ると真理乃は微笑んだ。

 悠二はその笑顔を確認すると車を走らせた。


「今日の選曲は片桐さんだろ……」


 真理乃は缶コーヒーをドリンクホルダーに置くと、悠二を見た。


「流石は悠二ね。もう何でもわかっちゃうのね」


 車はウインカーを出して大通りに出る。


「マニアックなんだよ、片桐さんは」


「会った事も無い癖に」


 真理乃は笑った。

 そして一緒に悠二も笑う。


「腹減ったろ……」


「もうペコペコ……。差し入れがドリンクだけだったから」


 真理乃は缶コーヒーを取る。


「今日は何」


 横に座る真理乃をちらっと見て、


「今日はとんかつ……。かつ丼にも出来るけど」


 真理乃は眉を寄せた。


「今日はウスターソースでとんかつ気分」


「とんかつソースじゃなくて」


 車は坂を上り始める。


「とんかつソースって甘いのよね……」


 悠二は無言で何度か頷く。


「分かるよ。あの甘さが欲しくない時ってあるな……」


「そうなのよ」


 坂の上のマンションのガレージの中に車を入れると、ゆっくりとシャッターは閉まって行く。


 二人は車を降り、地下のガレージからエレベーターで、部屋のある階まで行く。


「今日最初から聴いてた」


「当たり前だろ」


「嘘、嘘……。また途中からでしょ」


 小声で話しながらエレベーターを降り、部屋のドアを開けて明かりをつける。

 すると真理乃がその明かりを消して、悠二にキスをした。

 悠二はキスをしながらまた明かりをつけるが、それをまた真理乃が消す。

 そして真っ暗な玄関で二人は抱き合った。

 悠二は玄関の鍵を閉めて、明かりをつけた。


「飯が先だって……」


 真理乃の顔を覗き込んで言う。


 真理乃も悠二の顔を見上げて頷く。


「私もそう思う……」


 部屋の明かりをつけると、テーブルの上に夕飯が並んでいる。


「すごい……。流石はプロね……」


 真理乃は腕を組んでそのテーブルを眺めた。


「ああ、一応イタリア仕込みだからな」


 悠二は真理乃の髪を撫でて瞼にキスをした。


「ビールにする、ハイボールにする」


「うーん。一杯目はビール」


 悠二は冷蔵庫を開けながら笑った。


「はいはい……」


 悠二は自分の店を二店舗回している。

 今は雇ったシェフに任せ、経営に注力していた。


「ほら……ビール……」


 よく冷えたグラスに上手く注いでテーブルに置く。


「ありがとう……」


 真理乃が礼を言うと悠二も向かいに座った。


「さあ、食おうか……」


 二人は手を合わせて食事を始める。


「日本って国はさ、すべてのモノに神が宿るって考えてるんだ。だから食べ物の神に手を合わせ「命を分け与えて頂き有難うございます」っていう気持ちが「頂きます」って言葉なんだよ」


 悠二はビールを飲んだ。


「そうなの……。その話、おもしろい。今度使っていい」


 真理乃はバッグから手帳を出してメモした。


「じゃあ、海外では頂きますってやらないの……。お祈りしたりするじゃん……」


「お祈りはキリストに、食事を頂ける事を感謝してやるんだよ」


 真理乃は感心した。


「これ、すごく美味しい……」


 とんかつの横に添えられたポテトサラダを食べて微笑んだ。






 今日の選曲、あれ絶対片桐だよな。


 男は暗い部屋でキーボードをカチャカチャと叩いた。

 するとすぐに書き込みが入る。


 あのマニアックさは片桐確定だな。


 でも、俺は結構片桐チョイス好きだけどな。


 俺は仙堂チョイスの方が好きだな。


 真理乃チョイスって今月、まだ無い気がするな。


 モニターに文字が溢れて行くのを見て、男はニヤリと笑った。


 真理乃チョイスは二十日に一度くらいだろうな……。


 気が向いたらって感じじゃね。


 G・オサリバンが二曲入ると真理乃チョイス確定だな。


「ギルバート・オサリバンは仙堂も好きなんだよ……。お前ら何にも知らねぇな……」


 男はそう口にしたが書き込むのはやめた。

 自分が一番、真理乃の事を知っている。

 それだけで十分な優越感を得る事が出来た。


 机の脇に置いたピーナツを掴み、押し込む様に口に入れ、ボリボリと音を立てた。


「最近は斉藤和義にハマってるしね……」


 またピーナツをボリボリと食べながらモニターに流れるコメントを見つめていた。


 そしてモニターの上にあるアイコンをダブルクリックすると、録音したラジオの音が流れ始めた。






 目覚めると既に悠二の姿は無い。

 Tシャツ一枚でベッドを抜けると、冷たい水でこれでもかという程に顔を洗う。

 それが真理乃の始まりだった。

 そして悠二がお湯を張った風呂に入る。

 風呂を二十分程で出るとバスタオルを身体に巻いて髪を乾かす。

 そしてまたTシャツを被る様に着ると、テレビをつけて食卓に座る。

 食卓には悠二が用意した食事が並べてあり、携帯電話とテレビを見ながら食事を食べる。


 サンドイッチを口に入れて、保温してあるコーヒーをカップに注ぐ。


 SNSの悠二からのメッセージを見て微笑む。

 伝言はテーブルの上に置いたメモ。

 なんてモノはもう古く、今はSNSでメッセージを入れておく方が確実だと真理乃は言う。


 テレビやネットニュースなどで気になった内容を箇条書きにしてプロデューサーの片桐にメールを送ると直ぐに電話が鳴った。


「真理乃ちゃん、おはよう」


 片桐だった。


「おはようございます。今日はそんな感じで良いですかね……」


 サンドイッチを食べながら言う。


「良いんじゃないかな……。真理乃の今日の音楽のコーナー、それだけ頼むよ……」


 片桐は軽い口調で言う。


「はいはい。後で送ります」


 真理乃は電話を切った。

 そしてサンドイッチの最後の一口を食べるとコーヒーを飲んで立ち上がり背伸びをした。


「さあ、仕事仕事……」


 真理乃はTシャツを脱ぎながら寝室に入って行った。







「真理乃ちゃん。おはよう」


 スタジオ前でタクシーを降りると、スタッフが声をかけた。


「あ、おはようございます」


 挨拶すると手帳を見る。


「今日の音楽、柴田淳なんだって。俺も好きなんだよ……。どうしたの、失恋でもしたの」


 真理乃はそのスタッフに微笑むと、


「たまには悲哀ってモノを感じておかないと喜怒哀楽がおかしくなってしまう気がして」


 そう言う。


「何だそりゃ……」


 スタッフは声を出して笑った。


「まあ、今日も乗り切ろう」


 スタッフは走って行った。


「真理乃。お疲れ様」


 スタジオを歩く真理乃に並んでプロデューサーの片桐が歩く。


「もらった原稿、チェックOK。あれで組み立てて」


「はーい」


 手帳に書き込みしながら歩く。

 そして数人に挨拶しながら自分の控室に入る。


「真理乃さん。ファンからの差し入れ届いてますよ」


 控室の入り口で世話係のヒカルが言う。


「ありがとう……。そこ置いといて……」


 自分の机に座って、パソコンを立ち上げ、メールを開いた。

 特に重要なモノは無く、携帯電話でチェック済みだった。

 ただ一つ、アドレスが表示されていないメールがあり、そのメールをクリックして開く。

 その瞬間、真理乃は硬直した。


「真理乃ちゃん。あんな遅くにとんかつ食べても大丈夫なの」


 そう書いてあった。







「食ったのか……。とんかつ」


 片桐はメールを見ながら訊いた。


「食べた……。悠二……千賀が作ってくれたヤツ……」


 片桐は口を尖らせて頷いた。


「じゃあ千賀君と真理乃しか知らない事なんだな……」


 真理乃は小さく頷いた。


「千賀君からのメールではないのか……」


「多分……。メールなんて送ってくるとも思えないですし……」


 真理乃は顎に手を当てたまま椅子の背もたれに寄りかかった。


「適当に書いたメニューが、偶然当たっただけかもしれん……」


 片桐は真理乃の肩を叩いた。


「深く考えるな……」


 そう言うと微笑んだ。


「なんだこれは……」


 テーブルに積まれたファンからの差し入れを片桐は見た。


「ああ。差し入れですよ。良かったら皆さんで……」


 真理乃は首を伸ばしてそれを見た。


「みんな喜ぶよ。いつも腹、空かしてるしな」


 片桐はケーキの箱を抱えて出て行った。


 真理乃は不気味なメールが気になって仕方なかった。


 あの部屋……。

 見られてるのかしら……。


 部屋の中の記憶を辿るが、それらしきモノも無かった。


 片桐さんの言う様に偶然当たっただけかもしれない。


 真理乃はそのメールをクリックして消去した。







「どうしたんだ……。浮かない顔して……」


 悠二は運転しながら訊いた。


「うん……」


 真理乃は渡されたいつもの缶コーヒーを飲みながら窓の外を見た。


「昨日さ……」


 真理乃が口を開くと同時に携帯電話が鳴った。

 バッグから携帯電話を出して電話に出た。


「真理乃。お前、差し入れのケーキ食ったか」


 片桐が小さな声で言う。


「片桐さん……。どうしたの」


「ケーキ食ったスタッフ全員が嘔吐してるんだ」


 真理乃は身体を起こした。


「え……」


「お前が無事ならそれでいい」


 片桐は苦しそうに息を吐きながら言った。


「片桐さんも食べたの」


 返事はなかった。


「ごめん、引き返して……」


 悠二は頷くとUターンさせ、アクセルを踏み込んだ。


「何よ。どうなってるのよ」


 悠二はただ事ではない様子に真理乃を見つめる。


「何があったんだ」


「私への差し入れ、食べた人たちが嘔吐してるって」


 真理乃がスタジオに電話をかけると仙堂が出た。


「仙堂さん。どうなってるの」


「真理乃か。今救急車が来た。ひどい順番に病院へ送ってる」


 真理乃は青ざめ、電話を切った。


 悠二は車をスタジオの駐車場に入れた。

 ドアを開けて真理乃が走って行く。

 ちょうどストレッチャーに乗せられた片桐の姿が見えた。


「片桐さん」


 声を上げて片桐に近付いた。


「真理乃。気を付けろ」


 片桐は救急車に乗せられた。

 数人の横たわるスタッフを見ながら真理乃はスタジオの中に入って行った。

 吐瀉物の臭いが充満している。

 事務所で電話をする仙堂を見つけて駆け寄った。


「仙堂さん」


 仙堂は手を上げて待て言う。

 電話を切ると机の上で手を組んで息を吐いた。


「意図的に仕組まれた食中毒だそうだ」


 真理乃は呆然とした。


「誰からの差し入れなんだ……」


 真理乃は首を横に振った。


「ヒカルちゃんが持ってきたんだけど、ただファンの方からって……」


「ヒカルもさっき、病院に運ばれた」


 仙堂は頭を掻きながら目を閉じた。


「これは完全にお前を狙ったモンだろう……」


 仙堂は真理乃の傍で囁く様に言う。


「心当たりはないのか」


 真理乃は顔色を無くし、首を横に振った。


「そうか……」


 仙堂は椅子に座ると頭を抱えた。


「とにかく気を付けろ……。誰がやったのかわからん。内部の人間かもしれん……」


 真理乃は力なく頷きゆっくりと事務所を出て行った。

 駐車場に出ると、数台の救急車が赤色灯を回しながら停まっていた。


 真理乃の姿を見つけて悠二が駆け寄る。


「真理乃……」


 悠二は真理乃の肩を抱いて車に乗せるとスタジオを出た。


 スタジオから出て行く車を見て、男はニヤリと笑い、自分の車をゆっくりと走らせた。







 悠二はグラスに入った酒を置いた。


「飲め……」


 真理乃はコクリと頷き、グラスを手に取る。


 真理乃の向かいに座り、自分も酒を飲んだ。

 話を聞いて、背筋が凍る思いだった。


「心当たりはないんだろ……」


 真理乃は小さく頷く。


「ファンがやったのか……。内部の人がやったのかもわからない……」


 悠二は目を伏せて頷き、グラスをテーブルに置いて、真理乃の横に座り、肩に手を回した。


「今日はそれ飲んで寝ろ……」


 真理乃は悠二に力なく微笑むと頷いた。






 食中毒の件が外部に漏れない様に手を回し、仙堂は朝から走り回っていた。

 結局ケーキを食べた十二名のスタッフが入院し、残った者たちで番組を組み立てていた。


「仙堂さん。手伝うわ」


 真理乃はスタジオの廊下を歩いてきた。


「真理乃……」


 仙堂は何か言おうとしたが止めて、手に持った資料を渡した。


「この秋山のポジションをカバーして欲しい。秋山の代わりの特別ゲストとして参加している体で行く」


 仙堂は進行表に赤ペンで丸を付けた。


「わかったわ」


 真理乃はブースへと入って行く。







「今日は特別ゲストがいます。倉本真理乃さんです」


 そんな声が聞こえ、男は慌てて、録音ボタンを押した。


「真理乃……」


 そう呟くと、SNSの画面にカチャカチャとキーボードを叩いて入力した。


 真理乃がゲストで出てる。


 本当だ。

 真理乃だ。

 

 朝早くないか。一日持つのか。


 秋山の代わりに真理乃か……得した気分だ。


 どんどんSNSの画面は流れて行く。


「真理乃……。無事だったんだな……」


 男はニヤリと笑った。







「次の曲は、オアシスでドント・ルック・バック・イン・アンガーです」


 そのやけに発音の良い声に合わせて真理乃はスイッチを入れ、ブースのDJに親指を出した。


「真理乃ちゃん、助かったよ……」


 男は椅子をクルリと回した。


「困った時はお互い様ですよ」


 真理乃は次のCDをセットした。


「この後はこれで良いんですよね……」


 CDのジャケットを覗き込み親指を出した。






 真理乃はスタジオの屋上のベンチに座って、自分で握って来たおにぎりを口にした。

 弁当届いていたが、流石にそれを食べる気にはなれなかった。

 目の回るような忙しさで、腹は減っていた。

 お茶を買って、一人、屋上にやって来た。


「真理乃……」


 仙堂は微笑みながら真理乃の横に弁当を持ってやって来た。

 そして真理乃が食べるおにぎりを見て、横に座った。


「流石に弁当、食う気にはなれんか……」


 割り箸を口に咥えて割った。


「そうですね……。流石に……」


 仙堂は小さく頷きながら弁当を食べ始める。


「今、桑原にお前のコアなファンの洗い出しをさせている。メールアドレスと電話、住所なんかもわかるからな……」


 真理乃は頷く。


「本当にファンの仕業なんでしょうか……」


 仙堂はフライを口に入れると、


「わからん……」


 とだけ言う。


「ファンってのはさ、ある一線を越えると、時に狂気となる……」


 真理乃は俯いたまま聞いた。


「自分のモノにならないのなら、いっそ殺してしまいたい……。そんな古典文学の様な気持ちになる奴もいるのさ……」


 仙堂は冷えて固まる白米を食べた。


「殺しても……、誰も得なんてしないんだけどな……」


 真理乃の顔を見て微笑んだ。


「午後から警察が入る……。いつまでマスコミを抑えられるか……。頑張ってみるよ」


 仙堂は口の中に食べ物を入れたまま言う。


 真理乃は暗い表情で頷き、おにぎりを食べ、曇った空を見上げた。






 刑事の事情聴取を終え、控室に戻ると、夕方になっていた。

 ふとケーキの箱が置いてあったテーブルを見る。

 今日はすべての差し入れを受け付けていない。


 真理乃は机に座って、自分の番組の進行表をパソコンに入力した。

 番組内で流す音楽をデータベースから拾い、その一覧表を入院している片桐の代わりに仙堂にメールで送る。


 直ぐにメールの返信が入った。


「ALL OK」


 仙堂の短いメールに微笑み、進行表を完成させて、それを出力した。


 その進行表を見ながらペンを入れる。


 ドアをノックする音が聞こえた。


「はい」


 返事をすると、二人の刑事が顔を覗かせた。


「刑事さん……」


 真理乃は立ち上がった。


「少しだけ良いですか」


「ええ、あまり時間は無いですけど……」


 刑事たちはソファに座った。

 真理乃は缶コーヒーを出して刑事たちの前に置いた。


「これなら安全なので……」


 そう言うと刑事の向かいに座る。


「宇根元遼平という男をご存じですか……」


 先輩の刑事が訊いた。


「宇根元遼平……」


「ええ、確かウリ坊という名前で……」


「あ、はい。ウリ坊さんなら……」


 ファンの一人で、熱心にリクエストや応援メールを送って来る男だった。


 刑事は顔を見合わせ頷き、身を乗り出した。


「この宇根元ですが、千賀悠二さんの店の元スタッフでして……。半年程前に店を辞めてます……」


 若い方の刑事が説明した。


「はぁ……」


 真理乃は瞬きしながら頷いた。


「それが何か……」


「辞めたというよりも、辞めさせられたという方が正しいですかね」


 真理乃は首を傾げて、


「つまり、悠二……千賀を恨んでいると……」


 刑事は小さく頷いた。


「まあ、憶測ですが……」


 そう言うと立ち上がった。


「これ、頂いて行きます……」


 二人の刑事は缶コーヒーをポケットに入れると部屋を出て行った。







「では、今日の最後の曲になります。曲は……」


 真理乃はいつもと変わらない口調で番組を終えた。


「お疲れ様でした……」


 スタジオの廊下を通用口へと歩いて行った。

 ドアを開けると表の道に悠二の車が見えた。

 真理乃は小走りに駐車場を抜けて、車に近付いた。

 その時だった。

 黒いワゴン車が荒々しく停まり、数人の男が降りてきた。

 真理乃はそれに驚き、立ち尽くした。


 悠二が慌てて車から降りて来て、真理乃を無理矢理連れ去ろうとする男たちに、


「何だお前ら」


 そう叫んだ。


「何をやっている」


 物陰から二人の刑事が姿を見せ、パトカーがワゴン車の前と後ろを挟む様に停まった。


 男たちは警官に押さえつけられ、次々に手錠をかけられた。


「良かった……。大丈夫か……」


 悠二は真理乃に近付く。

 そして真理乃の傍まで来るとその歩みを止めた。


 苦痛に歪む悠二の顔が真理乃にも見えた。

 アスファルトに膝を突く悠二の陰に一人の男が手にナイフを持って立っているのが見えた。


 悠二は振り返るとその男を見た。


「宇根元……貴様……」


 悠二は宇根元の服を掴みながら崩れ落ちた。


 真理乃は叫び声にならない声を上げた。


 二人の刑事が直ぐにその宇根元を押さえつける。


 真理乃には目の前で起こっている事が夢なのか現実なのかわからなかった。


「良かった……間に合って……」


 宇根元はアスファルトに頬を付けながらそう呟いた。






 真理乃は刑事から缶コーヒーを受け取った。


「今回の事件の首謀者は……」


「悠二……ですね……」


 真理乃は焦点の定まらない目で言う。


 刑事は小さく頷いた。


「千賀悠二の店は既に破綻しておりまして……」


 刑事も缶コーヒーを開けて口にした。


「千賀はあなたに数億の保険をかけていました。あなたが死亡した場合、その保険金は千賀に入るようになっていました……」


 真理乃は俯いて、目を閉じた。


「危ない所から金を借りていたようでして、その取り立てに耐え切れず犯行に及んだモノだと思われます……。あの黒いワゴンの連中はその闇金の仲間です」


 真理乃の前をストレッチャーに乗せられた悠二の遺体が運ばれて行く。


「宇根元はその計画を知ってしまい、店を追い出されたようですね……。まあ、彼も立派な犯罪者ですが……」


 刑事も振り返り、悠二の遺体が乗せられた救急車を見た。


 ゆっくりと走り出す救急車を見ながら真理乃は立ち上がった。

 そしてその救急車をいつまでも見つめていた。







「はい、では最後の曲になります。曲はビートルズでドント・レット・ミー・ダウンです」


 真理乃はゆっくりと席を立ち、ヘッドセットを外し、机の上に置いた。


 ブースを出ると花束を持った片桐の姿があった。


「真理乃。お疲れ様」


 花束を真理乃に渡した。


「ありがとうございます」


 真理乃は頭を下げた。


「本当に辞めちゃうんですか……」


 ヒカルはすがるように涙を流した。


「そのうち戻ってくるわ……。少し休ませて……」


 ヒカルの頭を撫でながら真理乃は微笑んだ。


「どうするんだ……これから……」


 仙堂が真理乃の顔を覗き込む様にして訊く。


「しばらく南の島にでも行ってくるわ……」


「そうか……」


 仙堂は真理乃の肩を抱いてみんなの前に押し出した。


「倉本真理乃さん。お疲れ様でした」


 その仙堂の声で周囲のスタッフは拍手した。

 その拍手はいつまでも続く様だった。







「先輩……」


 若い刑事は大声で呼んだ。


「お前、うるさいよ……」


 先輩刑事は広げた新聞の陰から顔を出す。


「どうしたんだ……」


 若い刑事は手帳を広げて言った。


「倉本真理乃も、千賀悠二に二億円の保険をかけていました」


 先輩刑事はゆっくりと立ち上がった。








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