5.これは「私」の記憶のようです。
それが夢であることを、私は最初から理解していた。
これは、エリン・シエルの奥に押し込められた「私」の記憶だ。
日の落ちた夜の闇に、雨がしとしと降っている。
傘がなければびしょ濡れになってしまいそうな強い雨。
いくら春とはいえ、濡れれば寒いし風邪を引いてしまう。
私は傘をさして家路を急いでいた。
塾での勉強に思いの外夢中になってしまって、気がつけば夜十時を越している。
足音すらかき消す雨音の中、私は歩く。
近道をしようと大通りから裏道に入り、水溜まりをかわしながら家を目指した。
……そんな時。
突如私の目の前に、人影が立ちはだかった。
私は思わず、足を止める。
「見つけた」
掠れた声が、聞こえた。
数少ない街頭の下、真っ白な髪がキラキラ光る。
当然その相手に見覚えなんかなくて、私は聞こえなかったふりをしようとした。
「えっと……すみません……」
彼の脇を通り抜ける。
その刹那。
がしり、と肩を掴まれた。
「ひ、」
思わず悲鳴をあげ、頭ひとつ分ほど高いところにあるその人の顔を見上げる。
ぎら、と光る赤い瞳があった。
「逃げようとしても無駄だ。残念だったな」
目の前の彼はそう言って、奇妙な文字列を口遊む。
まるで歌でも歌っているかのようだ。
その歌が止んだ、その時。
ただでさえ冷えていた体からさらに温度が抜けていく。
さしていた傘が手から落ちる。
体がふらりと傾いて、地面に倒れ伏す。
「……運が悪かったな」
その声を最後に、私の意識は途切れた。
……
は、と目を覚ました。
目の前に広がっていたのは、昨日眠る前に見上げた寮の天井だ。
枕元の時計を見れば、時間は起床一時間前。
──嫌な夢、だったな。
──あれは……ジーク先輩?
だとしたら、彼は「私」についてなにか知っているのだろうか?
ベッドから起き上がった。
どうにも、寝直す気分になれない。
窓の外を見れば、広々とした大地が遠くまで続いているのが見える。
塔の根元を見ればそこには手入れの行き届いた庭があった。
──散歩でもしてこようかな。
そんなことを、ぼんやりと考えた瞬間。
「……エリン? 眠れないの?」
「わ、」
聞こえたのは、メグの声だった。
今にも大声を出しそうになったけど、ミーシャを起こさないように慌てて口を覆う。
メグが隣のベッドで身を起こし、小さなあくびをした。
「……ごめんね、起こしちゃった?」
声を潜めてそう問えば、メグは首を横に振る。
「いいえ、気にしないで。わたくし、元々早起きなの」
「そっか……なら、いいけど」
「なにか、嫌な夢でも見たの?」
「うん……ちょっとね」
「環境が変わるとどうしても夢見は悪くなるものね」
「うん……でも、気にしないで。大丈夫だから」
「そう……?」
「そうだよ。……早起きしちゃったし、散歩にでも行ってこようかな」
「ひとりで大丈夫?」
「うん、起きた時誰もいないとミーシャが驚くだろうから。そんなに遠くへ行くつもりもないしね」
「わかったわ。いってらっしゃい、エリン」
私は石のエレベーターに乗り込んで、寮を出た。
来歴の手掛かりでしょうか?
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