1.目覚めた場所は、異世界でした。
「ちょっと、エリン! 起きなさい、遅刻するわよ!」
そんな声で、私は目を覚ました。
目の前にあったのは、知らない木製の天井。
体を起こせば見知らぬ部屋が目の前に広がっている。
家具の雰囲気やクローゼットのそばにかけられた制服を見るに、どうやら少女の部屋のようだ。
──どこだ、ここ。
私は密かに動揺する。
それもそのはず、どう考えてもここは私の部屋ではないのだ。
私に声をかけていると思しき人にも、私のものらしき「エリン」という名前にも、全くもって心当たりはない。
ドアの方に目をやれば、そこには三十代後半に見える女性がいた。
「自慢の娘が入学式から遅刻だなんて嫌よ? ほら、着替えちゃいなさい。ご飯もできてるから」
「は……はい……」
私はおずおずと頷く。
それを見た女性は「よろしい」と頷いて部屋を出ていった。
どうやらこの人は「エリン」の母親らしい。
そして……今日はどうやら、学校の入学式のようだ。
混乱しつつも、私はベッドから抜け出して姿見の前に立つ。
鏡に映ったのは──記憶にある自分とは、全く違った人物だった。
色白で紅をさしたように赤い頬。
艶やかにしなるまっすぐで美しい黒髪。
瞳は海に似た深みのあるブルー。
どこに出しても恥ずかしくない美少女だ。
顔立ちは母親とよく似ており、血の繋がりを確信するには十分すぎるほど。
──そっか。この体は『私』じゃ、ないんだ。
わかりきっていたことを再確認して、鏡から目を背けた。
私はハンガーにかけてあった制服を手に取り、着替えを始める。
三角形の襟がついたシャツにロングスカート、フードがついたダークグレーのローブ。
服を改めて確かめたところで、奇妙なことに気がついた。
──なぜ私は、この服を「制服」として認識した?
どこからどう見ても、この服は私の知っている「制服」ではない。
魔法使いのコスプレ、と言われた方がしっくりくる代物だ。
それをなんの違和感もなく「制服」として認識している自分を奇妙に思った。
その上体が、部屋のどこになにがあるのかをしっかりと覚えているのだ。
下着はここ、通学用の鞄はこれ、必要な書類はここにある……などなど。
どうやら私の脳味噌には、この体の持ち主「エリン」の記憶も混在しているらしい。
いや、むしろ紛れ込んだのが私の意識、と言った方がいいか。
先ほどはあまりにも突然のことに驚いてしどろもどろになってしまったけれど、落ち着いて思い出してみればエリンの母親のことも、父親のことも、妹のことも覚えている。
──なんとか生活を送ることはできそうね。
──でも、早く元の体に戻りたいな。
──あれ? そもそも、なんでこんなことになったんだっけ……?
そして、私は気がついてしまう。
──私、なんて名前だったっけ。
名前だけじゃない。
自分がどんな生活をしてきたのかも、家族が何人いたのかも、どんな町に住んでいたのかも、一切覚えていない。
ただただ「自分はこの世界の人間じゃない」という違和感だけが胸の奥に引っかかっている。
理解しがたい恐怖を覚えて、寝巻きを脱ぐ手が止まった。
……けれど。
「エリン? 大丈夫?」
階下から聞こえてくる母の声を聞いて我にかえった。
泣き言を言っても、こんな曖昧な証言では笑われるのがオチだろう。
──まずは、「エリン」の日常を送らきゃ。
私は母に「今行く!」と答えると、手早く制服に着替えてキッチンへ向かった。
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