始まりの刻み
――目を覚ました。
全身に鈍い痛みが走る。だが、それ以上に気になったのは、ここがどこなのかということだった。
周囲を見渡すと、見たことのない風景が広がっていた。大地は乾ききり、赤茶けた土が広がっている。遠くには巨大な石造りの建造物が見え、まるで中世ヨーロッパの城のような荘厳な佇まいをしていた。しかし、そんな建物とは裏腹に、周囲には戦の名残のようなものが見受けられた。崩れかけた城壁、折れた槍や剣、地面には焦げ跡が残り、所々に黒い塊のようなものが転がっている。
「……ここは、どこだ?」
立ち上がろうとしたが、身体に力が入らない。痛みが走るが、無理やりにでも起き上がらねばならないという本能的な焦りがあった。
そのときだった。
「……目覚めたか、異邦の者よ」
低く響く声。顔を上げると、そこには一人の男が立っていた。
男は異様な装いをしていた。漆黒のローブを纏い、長い白髪を風に揺らしている。その目は深紅に輝き、まるで獲物を値踏みするかのように仁を見つめていた。
「お前は……誰だ?」
「私の名はヴァルゼオン。この地に住まう者の一人に過ぎん」
「ヴァルゼオン……?」
聞いたことのない名だ。しかし、その名には妙な響きがあった。何か、記憶の奥底を引っ掻くような、そんな感覚。
「お前は、世界の理から外れた存在だ。おそらく、ここがどこであるかすら分かっていないのだろう?」
「……ああ、そうだ。俺は電車に乗っていたはずだった。それが、気づいたらこんな……異世界みたいな場所にいる」
「異世界……か。ふむ、そう認識するのも無理はない」
ヴァルゼオンは腕を組み、少し考え込むような仕草をした。
「お前が何者なのか、なぜここに来たのか、それを知るにはお前自身が”刻む”必要がある」
「……刻む?」
「そうだ。文字を刻め。己の存在を、この世界に焼き付けるのだ」
その言葉を聞いた瞬間、仁の頭の中で何かが弾けるような感覚がした。猛烈な頭痛と共に、無数の言葉が流れ込んでくる。見たこともない文字、それが次々と脳内に浮かび上がり、まるで彼の内側に何かを刻みつけるようだった。
「ぐ、ああああっ……!」
地面に膝をつき、仁は叫び声を上げた。目の前が歪み、視界が揺れる。だが、その中でひとつの言葉が、はっきりと浮かび上がった。
《記述の権能》
次の瞬間、彼の周囲の大気が震え、見えない力が渦を巻くように集まってきた。まるで世界が彼の存在を認識し、何かを与えようとしているかのように。
「……どうやら、お前は選ばれし者だったようだな」
ヴァルゼオンはそう呟き、薄く笑った。その目には、底知れぬ期待と興味が宿っていた。
仁はまだ理解できていなかった。自分が何を得たのか、そしてこれが何を意味するのかを。
だが、この瞬間から彼の運命は大きく動き出していた。
――彼はまだ知らない。
この世界の”物語”を、己の手で”刻む”ことになるということを。
(続く)