ある傭兵団の店じまい
「今回の報告は以上です」
「ご苦労」
屋敷では、伯爵領内の警備を担う傭兵団の隊長エルナンが報告を行っていたが、代官の反応はいつも通りに聞き流している雰囲気がありありだった。
「それと、来年の契約の件ですが」
「いや待て、その話は改めて……」
「改めての機会は不要にてお願いする」
「な……」
最後まで変わることは無かったなと嘆息するエルナンであったが、この話だけは有耶無耶にするわけにいかないと力を込めて要件を伝えると、代官は想像もしていなかったようで色を失っていた。
「何故だ! 今更辞めるなどと」
「今更ではありません」
詰め寄る代官の言葉に、エルナンはお前の耳は何のために付いているのだと心の中で毒づく。もっとも、だろうなと思っていたのでさしたる驚きも無かったが。
「もうね、やってらんねえんだわ」
この伯爵領は王国の東端にあり、昔から周囲の森に多くの魔物が巣食う地であった。
数十年前、魔物の集団暴走が発生したとき、先代伯爵は領軍を率いてこれを迎え撃ち、そのとき大きな戦果を上げたのがエルナンの傭兵団であった。
当時の傭兵団長は伯爵に恩義があるとのことで、この危難に馳せ参じ、死線を超えた激闘をくぐり抜けたのである。
戦いが終わった後、荒れ果てた伯爵領の復興のためにと、領内の巡回警備及び魔物や野盗の討伐を担う者を傭兵団内から募り、分隊として伯爵領に常駐させたのが事の始まりである。
そして時は経ち、当時傭兵団の一員であったエルナンが分隊長の座を継いで今に至っている。
「あれ以来魔物の数もかなり減ったし、犯罪の件数だって王国の貴族領でも指折りの少なさだ。もう俺たちがいなくても十分にやれるでしょ」
「待て待て、お主たちがいなくなったら、誰が警備するというのだ」
「領軍を再編したらよろしいかと」
元々魔物の数が多い辺境であり、それが故に都で罪を犯した者たちが隠れ蓑とするために頻繁に流れ着く治安の悪い地域であったが、傭兵団が警備を担うようになってから状況は大きく改善された。
しかし、傭兵団の役目もようやく終わりかと思われた頃、先代から跡を継いだ現伯爵は、その現状をよいことに領軍の規模を大幅に縮小し、領内警備を引き続き傭兵団に委託する形を採ったのだ。
「俺たちに委託費として払っていたものを払わずに済む分、領軍の再編費用に充てればよろしいのでは?」
「いや……それは……」
「なんで口ごもるの? まあ仕方ないか。俺たちに払う委託費じゃ、まともな戦力なんて維持できねえもんな」
エルナンは代官が答えられない理由を明確に分かった上で問いかけていた。傭兵団に委託しているのは、単に自前で戦力を保持する維持費と手間を惜しんで、安い委託費で任せていただけだということに。
戦力を維持するにはまず人を雇わねばならない。そして武器防具、糧秣、治療薬、夜営設備などなど、その費用は馬鹿にならない。
更に言えば戦力を維持するための日々の訓練や警備巡回計画、有事の際に亡くなる者がいれば補償は必要だし、事後処理にも手間がいるのだ。
「にもかかわらず、委託費は領軍が精強であった昔と変わらぬまま、やることだけアホみたいに増やされてよ。状況に見合った規模の縮小を提言しても、それはまかりならんと言われては、もうやりようが無いんですよ」
「ま、待ってくれ。分かった、分かったから。その件は閣下に申し上げて、来年からは必ず予算を……」
「出来るのですか? そんな余裕があるのですか?」
傭兵団が仕事を引き受けた当初は、荒廃した領地の復旧に多額の資金が必要な状況であった。だからこそ前団長は手が回らないであろう領内警備を破格の安さで請け負っていた。
事情が事情だからやむを得ない話だし、当時は傭兵団もそれで納得していたからそのときはそれで良かった。
だが今は状況が違う。当時は足りない運営費を、倒した魔物の毛皮や牙などの戦利品を加工用として売却した費用で賄うことが可能であったが、魔物の数が減少した今、そちらの収益も多くは望めない。
だからこそ部隊の規模を減らすなと言うのなら、委託費を増やしてくれと毎年言っていたのだ。
領内の復興は十分に果たしているし、領軍を縮小したのなら予算にも余裕が生まれるはず。なのに要望すれども委託費は一向に増えないとなれば、その理由は、浮いた費用を無駄に貯め込んでいるか、無駄に使っているかの二択しかない。
そして、現伯爵はその後者であった。
「都で伯爵閣下が豪奢な生活をしていると、この辺境にまで噂は届いております。その閣下が自分のための予算を削ってまで、こちらに融通するとは思えませんが」
「いや……必ず、必ず閣下に申して予算を増やして……」
「えっとね、金の問題だけじゃないんだよ。そもそも俺たちがここから引き上げる一番の原因は伯爵の態度にあるんだよ」
前伯爵は人格者であった。当初少ない予算で奮闘する傭兵団に対し、申し訳なさもあったのか下にも置かぬ礼で遇してくれたし、領地の復興が少しずつ進むにつれ、出来る限り予算も待遇も良くしてくれた。
ところが、代替わりして現伯爵の治世となるとそれが一変した。
「あの人が伯爵を継いだとき、傭兵団の仕事を見聞したいと物見遊山に来たことがあったな」
「物見遊山とは……口を慎め」
「他にどう言えと? 傭兵団の仕事を見聞すると言っておきながら、側近どもがあれはダメこれは危険と抜かして、準備運動にもならない程度の訓練と、全く危険の無い場所をプラプラ散歩しただけ。その結果どうなったか、覚えていないとは言わせんぞ」
エルナンが直接聞いたわけではないが、視察を終えた伯爵は周囲の者たちに、「傭兵団の仕事などたかが知れている。あの程度ならその辺にいる無能者でも十分に務まる仕事だ」と吹聴したのだとか。おそらく、領軍を縮小したのもそれが原因ではないかと考えられる。
「伯爵がアレを見てそう思うのは分からなくはない。だが、周りの者は何をしていた。俺はあのとき、これが領内警備の真の姿ではないし、場合によっては怪我人も死人も出る危険な仕事なんだと、そう言ったし、もし伯爵が思い違いをしているようなら正してくれと、そうお願いしていたはずだ」
「それは……」
「つまり、それを訂正しなかったってことは、オマエらもそう思っていたんだろ。おかげで最近は領民たちまで舐め腐った態度を取りやがって……」
それこそかつては、土地と自分たちの命を守ってくれた英雄として領民たちが讃えてくれた時代もあった。
しかし時が経って当時の記憶も風化し、魔物や犯罪の脅威に晒される機会も少なくなった今の領民たちの中には、傭兵団を大した仕事もしない無駄飯食いなんて揶揄する者が少なからず現われるようになった。
当時を知る年配者には今でも感謝を述べる者もいる。そしてそういう人たちは、少ない予算でやりくりする傭兵団に物心両面での支援をしてくれたりもしたが、やはりそれぞれの家で代替わりすると共に、そういった支援や寄付金も年々減少していったのだ。
「まあね、こっちも仕事でやってるから、いちいち感謝しろなんてことは言わないけどさ、あからさまに見下して、やることに文句言われる筋合いもないと思うんだが?」
領主がその存在を軽視していれば、自然と領民たちもそういうものかとなるのは不思議なことではない。
それが正されることなく時が過ぎた結果、今では傭兵団の活動に対し、「え? そんなことで?」くらいの文句を垂れる者が度々役所に苦情を言いに来たりしている。
「例えば……哨戒活動中に飯を食おうと店に入る。するとどうだ、傭兵団が勤務中に制服のまま飯を食っていると苦情が入る。ってか、飯くらい食うだろ、勤務中は飲まず食わずでやれっての?」
「いや、それは……」
アホみたいな話だが、本当にそう言ってクレームを入れてきた者がいたのだそうな。
「それは……じゃねーわ。それに対して役人は俺たちになんて言った? 出来れば人目につくところでは……って、隠れて食えってこと? わざわざ着替えるとか、営舎に戻って食えと? 非効率すぎない? 逆にそれと分かる奴が店で飯食ってたら、犯罪の抑止力になると思わない? 馬鹿なの? どうなの?」
「領民の声を聞くのも我々の仕事で……」
「聞くだけならそれこそ誰にでも出来るっつーの。夜警明けで帰りがけに酒場で一杯引っかけたら、こんな昼間から酒飲んでやがってって苦情も来たよな。仕事明けなんですけど? 私服なんですけど? 酔っ払って店で暴れたとかならともかく、寝る前に一杯やってからって、ちびちび飲んでるのがそんなに悪い? 昼間からって言うが、店が開いてるってのはそういう客もいるってことだろ?」
世の中偏屈な人や性格の悪い人はいるから、そういうことを言ってくる者がゼロとはならないだろう。
だけどそこは役所で上手く宥めるなり、言いがかりであれば突っぱねる位の対応をしてくれれば、エルナンだってここまでは言わなかっただろう。
「要はオマエらもその程度の認識だったってことだろ? そのくせ仕事だけは一丁前に成果を求めてきてよ。人が足りないから団員を募集してもロクな奴が来ないし」
業務が広範である以上、人材はそれなりに抱えなくてはいけない。
かと言って予算が少ないから給金もそれほど出せず、何とか正規の団員たちに我慢してもらって、地元の若者を採用する予算に回しても、領主が誰でも出来る仕事なんて揶揄するから甘い考えの者しか集まらなかった。
「ちょっと厳しい訓練を課したり、寝ずの夜番に回したりしたら、すぐに思っていたのと違うって辞めるわ、暴力的な指導をされたとか文句言われるし……魔物や武器を持った賊と命のやり取りすることもあるんだぜ、規律を守れなきゃ自分の命が守れねえってことも理解していない。全部伯爵の思い違いを正せなかったアンタらと、それを良しとしてきた連中の責任だぜ」
それでも前団長に宜しく頼むと言われたからここまでやってきた。武器が買い換え出来ないのをなんとか補修して使い続けたし、人が少ないのをカバーするように業務内容の効率化も進めてきた。
にもかかわらず、ちょっと到着が遅れて農地が荒らされれば補償しろと文句を言われ、乱戦のあおりで家が壊れれば修理しろと喚かれては、やる気も失せるというものだ。
「たしかに魔物の数も減ってきたし、犯罪も少なくなってきたから、俺たちの仕事に疑問を持つ者もいただろう。それでも何かあれば被害も出るし、命をかけて戦う場面もある。偉そうにするつもりは無いが、尊重くらいはしてもらいたかったものだ」
「だからと言って撤退することは……残された領民たちが憐れだとは思わんのか、お主たちが去れば、再び被害が増えよう。それでも構わんと言うのか」
「そうやって人の良心に物を委ねる考え方はいかがなものだろうか。そもそも論で領民を守るのは領主の仕事であり、俺たちは任されただけだ。そして、その条件が任務を遂行するのに足りないから、俺たちはこれ以上続けられない。ただそれだけのことでしょう」
情に訴えかける代官の目論見は、ものの見事に打ち砕かれた。彼はここを交渉のスタートだと思っていたようだが、エルナンにしてみれば以前から訴え続けていた今更の話であり、交渉決裂の意思を持って話しているのだから、聞き届ける謂れは無い。
「要望を伝える度に待って待って、改めて協議の場を……と申してどれくらいの時が経った? これまでは前団長が受けた恩義に報いるということだから我慢したが、こちらも団長が代替わりしてしばらく経つ。もう十分に恩は返しただろうというのがその見解だ」
そう言うと、エルナンは一通の書状を開いて見せた。
「これまでの態度を契約更新の意思無しとみなし、団長から正式に契約満了の申し入れを預かった。言っておくが王国の公証人が作成しているゆえ、この書面を無かったことには出来んぞ」
「そんな……なあ、考え直せ。お主たちもここを去ったところで新たな仕事が見つかる保証はあるまい。条件は必ず見直すから」
「馬鹿を言え、団長がもういいだろうと仰せなんだから、新しい仕事が決まっていないはずがあるまい」
彼らは所属する傭兵団の分隊であり、ここを去ったところで本隊に合流するだけ。そして、その団長が呼び寄せると言うことは、呼び寄せる理由があるからにほかならない。
「おかげさまで北の辺境伯様が兵力を求めている。こちらよりずっと良い条件で受け入れてくれるとのことだから、俺たちの仕事の心配はしてもらわなくて結構だ」
北の辺境伯領は近年隣国との小競り合いが何度となく続いており、戦いに長けた傭兵を募っていた。
無論、今の仕事に比べて戦になる可能性が高く、それはつまり命を落とす危険も十分にあるわけだが、エルナンたちはそれが自分の仕事だと分かっている。
見合うだけの報酬も出されず、人々に蔑まれながらつまらない仕事をするくらいなら、たとえ危険性が高くとも、自分たちを求め、礼を尽くして見合う報酬を払う雇い主のために働きたいと思うのは当然だろう。
「そういうわけで、年末には伯爵領から部隊を完全に撤収する。そのつもりで」
「本当にいいんだな……後でやっぱり雇ってくれと言っても知らんからな!」
「そんな心配はいらん。それよりも、領軍を再編するのか別の傭兵に頼むかは知らんが、そっちを早いところ準備した方がいいんじゃねえのかな? もっとも、同じ予算で俺たちと同じ仕事を請け負う奴がいるか見物だけどな」
「ええい、もういい! お前たちなんぞこちらから願い下げだ。どこぞへなりと行くがいい!」
「言われなくてもそうしますよ」
こうして、予告通り年の瀬が近づく頃から、傭兵団は伯爵領からの撤退準備を粛々と進め始めた。
最初は単なるブラフだと高を括っていた領民たちも、次々と運び出される傭兵団の荷駄を見るにつれ、本当に出ていく気なのだと分かったのだが、時既に遅しである。
そして契約の満了日、最後の一団として出発するエルナンたちの様子を、領民たちが通りのあちこちで見守っていた。
これまでの仕事に対し感謝を述べ、別れを惜しむ者の声に少しばかり心が痛んだものの、撤収反対と叫んでいた者たちの声が、次第に「俺たちの生活を何だと思っている」とか「裏切り者!」といった罵声に変わるにつれ、やはり出ていって正解だなと、エルナンは心の中で呟くのであった。
◆
その後、警備体制の見直しを余儀なくされた伯爵領であったが、元々エルナンたちがお友達価格で請け負っていた仕事だ。同じ予算額で請け負う傭兵などどこにもおらず、ようやく引き受けた傭兵団も、それなりの仕事しか担うことはしなかった。いや、出来なかったと言うべきだろう。
領民たちから見ると、以前より警備の頻度は減るし、何かあっても駆けつけるまでに以前より時間もかかるしで非難囂々だったようだが、傭兵団からは「これがこの予算で出来る最大限だ。嫌なら他を見つけてくれ。多分引き受ける奴はいないよ」と言われる始末。
事ここに至って、ようやくエルナンたちが想像以上に身を粉にして働いてくれていたのだと気づいたが、前任者の働きで平穏な生活に慣れてしまったせいか、自分たちで足りない分を補うといった行動をする者もおらず、治安は以前よりも悪くなり、伯爵も本格的に領軍の整備を意識し始めたが、そちらも資金難や軍備のノウハウ不足で苦慮しているらしい。
「よーし、突撃ぃ!」
もっとも、その頃には北の国境で隣国軍と干戈を交える度に功績を上げ、厳しい環境にありながらも相応に礼遇される身となっていたエルナンと傭兵団の面々には、知る必要もない話ではあるが……
お読みいただきありがとうございました。
全国で運転士不足により、バス路線が次々と減便・廃止となっているニュースを見て思いついた短編でございますが、見返すと、自称聞き上手の某○○メガネさんがスーパーだかなんだかを視察した件もネタにした感があるな……