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そのご

  彼女を待っている間に教室にちらほら残っていた生徒たちも帰っていき、そのうち教室には俺一人になった。

 人影はないものの、時折廊下をパタパタと駆ける音やグラウンドで部活に励む野球部の掛け声、吹奏楽部のラッパか何かの音が響いてくる。

 人の気配はそこら中からするし、雑音は絶え間なく聴こえるのに、一人だけの教室は不思議と静かな落ち着きがあった。


 いつのまにか空も夕焼けに染まり始め、開け放した窓からぬるい風が入って来る。

 連絡をしてからけっこう時間が経った。そろそろ委員会も終わる頃合いだろうかと、俺は時間を確認するためにスマホを開こうとした。


「山本くん」

「おわっ?!」


 教室に俺一人だと思っていたところに突然声が降ってきたので、驚いてスマホを落としそうになる。


 顔を上げると、短く切り揃えた黒々とした髪と切れ長の目が印象的な、武将のようなの凛々しさの女子生徒の横顔があった。クラスメイトの樋谷さんだ。


 樋谷さんは俺の座っている机の前に、窓に背を向けて立っている。いつ教室に入って来たのだろうか、音も気配も一切しなかった。

 あまりにも唐突な登場に一瞬幻だろうかと思ったが、それにしては鮮明すぎる気がするし、俺が幻覚を見るとして樋谷さんが出て来る可能性は限りなく低いはずだ。はっきり言ってそこまで親しくはない。


樋谷さんは俺を呼んだきりまっすぐ前を見続けている。つまり俺は呼ばれたのにも関わらず、呼んだ本人にそっぽを向かれている状態である。

 

 あまりにもこちらを見ないので、俺はいま声をかけてきたのは本当にこの人だったのだろうかと不安になってきた。

樋谷さんが俺に話しかけて来ることなんて委員長として用事がある時くらいで、それ以外の個人的な用事で呼ばれたのはたったの一度きりだ。そしてそれは俺にとって、いい思い出とは言い難かった。


 窓から差し込む夕日が逆光となって樋谷さんの顔に影がかかり、表情は伺えない。強い日差しのせいで、影は濃くくっきりとしていた。

  夏の夕日の作り出すオレンジと黒のコントラストの強さ、微動だにしない姿、元来備えている武将のような風格が相まって、今の樋谷さんには俺から声をかけるのが躊躇われるような迫力があった。


 長い沈黙に心臓がどきどきと音を立て始める。このどきどきは当然ときめきから来るものではなく、今俺が立たされている意味不明な状況での緊張とストレス由来のものである。

 実際は数十秒もなかったであろう静寂が、永遠のもののように感じられた。


「……樋谷さん? どうかした?」


 耐えかねた俺が恐る恐る尋ねてみると、樋谷さんは微動だにしないまま、抑揚のない早口で話し始めた。


「二階渡り廊下にて、彼女が三年三組の長谷川に絡まれている。同じ委員会であるのをいいことに、ここ数日彼女への接近を図っている模様」

「は?」


 話し方が独特すぎて話の内容がまったく頭に入ってこない。

呆気に取られている俺を尻目に樋谷さんは言葉を続けた。


「今すぐ向かえ。我々との誓いを忘れるな」


 樋谷さんの台詞じみた言葉はその殆どが頭の中を素通りしていったが、俺の耳はかろうじて「誓い」という単語を拾った。そしてその言葉は、俺の脳裏に忌まわしい記憶を思い起こさせた。


 俺と樋谷さんが業務連絡以外で唯一会話した、いわゆる「K・F・C不平等協定事件」である。これは今俺が名付けた。

 この事件により俺は樋谷さんに対する、真面目でしっかり者のクラスメイトと言う認識を改めることとなったのだ。


 彼女と付き合いたての頃、俺は俺の彼女の非公認ファンクラブ「K・F・C」会員の女子生徒たちに校舎裏へ呼び出されたことがある。

 このクラブ名はあくまで彼女の名前の頭文字から取ったものであり、ジューシーに揚げた鶏肉を提供する某ファストフードチェーンとは無関係だと言うのは、名付け親たるファンクラブ会長の言だ。


 そしてそのファンクラブ会長こそ、我らがクラスの委員長であり、今俺に向かって何か喋っている樋谷さんその人であった。






「彼女の決めたことなら仕方ない……私たちは、山本くんを彼女の恋人と認める。その代わり……山本くん、誓えるよね?」

「ち、誓う?!」


 三ヶ月ほど前の放課後、突然校舎裏に呼び出された俺は、樋谷さんを筆頭とする女子生徒十数人に囲まれビビり散らかしていた。


「そう、これ。私たちの提示する三つの約束を守ると誓えるなら、私達はあなたを彼女の恋人として認め、邪魔せずに見守ることを約束する」


 樋谷さんはそう言って契約書のようなものを俺に差し出した。そこには俺が守るべき三ヶ条と、署名欄が印刷されていた。ここにサインしろと言うことなのだろう。


「こんな怪しいもんに同意する訳ないだろ! あんた達になんの権利があるんだよ!」


 泡を吹きながらもかろうじて絞り出した、俺の至極真っ当な主張に、樋谷さんは「ええっ?!」と大袈裟に驚いて見せた。


「彼女の恋人になろうという人間が、こんなことも守れないと言うの?」


 樋谷さんが言うのに合わせるように、ファンクラブの皆さんは俺に向かって、まるで汚いものを見るかのような視線を浴びせる。統率の取れすぎたその動きは、今思い出してもすごく不気味だった。

 そして同年代の女子集団からの冷たい視線は、繊細な男子高校生の心を折るのに十分だった。少なくとも俺の心は折れ、言った。


「ち、誓います……」


 かくして俺は、彼女を悲しませない、彼女を邪な男どもから守り抜く、彼女に指一本触れないという三つの誓いを立てさせられることとなった。


「うん、協定成立。山本くん、これからよろしくね」


 俺が名前を書いた契約書を眺めて満足した様子の樋谷さんは重々しく頷き、俺に手を差し伸べた。


 俺は何もよろしくしたくなかったし、誓いの三つ目はめいっぱい破る気でいたが、場の雰囲気に負けて曖昧な笑みを浮かべながら樋谷さんと固い握手を交わした。

 ファンクラブの皆さんはにこやかに拍手をしていた。統率が取れすぎていて怖かった。


 そして俺はこの一件以来、なるべく樋谷さんに近づかないようにしていたのだ。






 俺が恐ろしい記憶に思いを馳せている間に、樋谷さんは要件を済ませたらしい。

「以上だ」と言ったのを最後に、こちらに一瞥もくれることなく音を立てずに俺の前から去り、まだ照明をつけていない教室の闇に紛れて消えた。世が世なら腕利きの忍びになっていただろうと思わせる、見事な身のこなしであった。


 樋谷さんの姿見が見えなくなってからも俺はしばらく呆然としていたが、グラウンドから野球部の一際大きな掛け声が聞こえてきてハッと我に帰る。


 やっぱり登場から退場までの流れが唐突すぎる。俺はもう一度幻覚の可能性を疑ったが、もしあれが俺の頭が作り出したものならば、もう少し整合性のある展開にするはずだ。

 普段しっかり者で通っているクラスの委員長がわけわからん口調で一方的に喋った挙句、忍者のような立ち去り方をするという発想は俺の頭にはない。やっぱりあれは現実なのだろう。


 この段になって俺はようやく、樋谷さんが何の話をしていたのか思い出す余裕ができた。

樋谷さんは確か始めにこう言っていた。


「二階渡り廊下にて、彼女が三年三組の長谷川に絡まれている。同じ委員会であるのをいいことに、ここ数日彼女への接近を図っている模様」


「二階、彼女が三年の長谷川に絡まれている。同じ委員会、ここ数日接近」


「彼女が三年に絡まれている」


 その言葉の意味を理解するなり俺は椅子を倒す勢いで立ち上がって、二階の渡り廊下へ走り出した。

 樋谷さん、教えてくれてありがとう、でももっと普通の伝え方にしてくれと思いながら。






ここまでお読みいただきありがとうございます。

6話完結と書いていますが嘘です。全7話になると思います。

よろしければ最後までお付き合い頂けますと幸いです。

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