そのよん
「ごめん! 今日は友達と買い物行く約束してて」
彼女からの返信を見てため息が出そうになる。放課後、一緒に帰るのを断られるのは今日で三日連続だ。
もともと毎日必ず一緒に帰っていた訳ではないし気のせいだと自分に言い聞かせていたが、いい加減現実を見なければならないだろう。
俺は恐らく、彼女に避けられている。
彼女が俺の家から帰った後、夜になって彼女から連絡が来た。
今日はありがとう、急に帰ることになってごめんね、よかったらまた遊びに行きたい云々。
律儀な彼女らしいような、いつもより少し丁寧過ぎるような、微妙な文面だった。彼女の母親から連絡が来る直前のことには、全く触れていない。
若干の違和感はあったものの、その時の俺はとりあえず連絡が来たという事実に安堵し、別れ際に感じた不安は気のせいだと思うことにした。
俺だけが引きずるのも良くない気がして、何回も添削した何気ないふうの返事を送った。
それが金曜日のこと。
お互いまめに連絡する方ではないから土日には何度か他愛ないやり取りをしただけで、俺はこのまま何となく元に戻るのだろうと、漠然と考えていたというか、願望を抱いていた。
だが平日になり、彼女に会おうとしても不思議と会えない。放課後一緒に帰ろうと連絡しても断られるのもそうだし、休み時間に彼女に会いに行ってみても姿が見えず、クラスの人間に聞いたらさっきまで居たが今しがた出て行ったと言われる。
これは流石に、避けられている事を自覚しない訳にはいかなかった。
土日を挟んでもう五日も直接話せていない。
見ないふりをしていた不安が日増しに大きくなり、零したインクが滲んで広がっていくような、嫌な焦りがあった。
◇
木曜日、彼女がうちに来てから六日目になる。
帰りのホームルームが終わり、何とはなしにスマホの画面を開いた。今日はまだ、彼女に連絡をしていない。
「なあ山本! 数学の採点遅れてるとかで、テスト返却来週になるらしいぜ!」
どうしようかとぼんやり考えていたら、後ろの席の高城が妙に嬉しそうに話しかけてきた。
スマホから目を離さずに「へえ……」と気の抜けた返事をしたら、高城が不満そうな声で
「おいなんだよそのうっすい反応。嬉しくねーの?」
と言って背中を小突いてくるので、渋々後ろに振り返った。
「いや別に。返ってくるのが延びただけで、成績がよくなる訳じゃないだろ」
「そりゃそうだけどさー……嫌なもん見るのは後になった方がいいよ……。てかお前、最近なんかずっとテンション低くね? どした?」
唐突に聞かれてぎくりとする。傍目にも分かるほどおかしかっただろうか。
人から異変を指摘されるのは、今俺が問題を抱えていることの証明のようで、少し恐ろしかった。
何を言われるのだろうと身構える。
その瞬間、俺は他の人間も俺たちの異変に気付いている可能性に、はたと気づいた。
そもそも彼女と俺が付き合っているのは割と有名どころか、全校中に知れ渡っているのだ。ここ数日、一緒にいないことに気づく生徒が出始めてもおかしくない。
何せ高城が何かおかしいと思うくらいなのだから、他の人間が気が付かないはずがない。
そうなったら、また彼女を狙う輩が無限に湧いてくるだろう。というか、もう出始めているかも。
彼女がよこしまな男たちの視線に晒されている間、俺はあほ面でぼんやりスマホを眺めていたのだ。
「ははあ、分かったぞ」
恐ろしい可能性に戦慄している俺に構わず、高城は芝居がかった仕草で頷いた。
「どうせ赤点とって夏休みに補習くらわないか心配なんだろ! 安心しろ、お前を一人にはしねえよ。補習を受ける時は俺も一緒だぜ」
高城は下手くそなウインクをきめた。ウインクというよりも、目を閉じるタイミングがちぐはぐな瞬きにしか見えない。
強張っていた体から一気に力が抜ける。
そういえば、コイツはあの高城だったと思い出した。
「高城……」
「おう、なんだ?」
「お前は悩みがなさそうで羨ましいよ……」
心の声がそのまま漏れる。高城は「なんだとこの野郎!」と騒いでいた。
高城の能天気さに気の抜けた俺は、あまり深刻に考えずに会いにいってみようと思い立ち、教室を出て彼女のクラスへ向かった。だが、今度も彼女の姿は見えない。
もう帰ってしまったのだろうかと考えていると、穂積から「あ、山本じゃん」と声をかけられた。
穂積は一年のとき俺たちのクラスメイトで、今年も彼女と同じクラス。もっと言えば中学も彼女と同じでずっと仲がいいという、大変羨ましい立場の女子だ。
俺が彼女はもう帰ったのかと聞くと、
「え? 今日は委員会の集まりあるって言ってたけど……聞いてないの?」
と穂積に訝しげな顔をされる。
当然そんなこと知らなかった俺は、「ああ、そう言えばそうだったかな」などと、誰に向けてか分からない見栄を張った。
穂積は呆れた顔をして、少し迷うようなそぶりを見せたあと、
「あんたたち、喧嘩でもしてるの?」
と聞いてきた。
「いや、そんなんじゃないけど」
反射的に答えてからなんとなく後ろめたい気持ちになり、「別に喧嘩はしてない」と言い直した。
「なんで? なんか言ってた?」
さりげなく聞いたつもりだったが、探るような話し方になったかもしれない。
「何にも。でもなんか元気ないんだよね」
穂積は軽く下を向いて答えてから、おもむろに俺のことをじろりと見た。
「山本、なんか変なことしてないよね」
「しっ、してないよ!」
思わず声が上擦る。穂積はしばらくの間俺に疑わしげな目を向けていたが、そのうちやめて気遣わしげに軽く息を吐いた。
「まあ、あの子も結構思い込み激しいっていうか、一人で突っ走るとこあるからね」
いかにも彼女の事を分かっているというような言葉が、俺には少し面白くない。
穂積の方が付き合いの長いのは確かだが、俺だってそれなりに彼女のことは知っているつもりだ。
「そうか? すごいしっかりしてるし、そんなん思ったことないけどな」
俺が張り合うように言うと、穂積は微妙な顔をして
「あんたらはお互いカッコつけすぎ」
と言った。
穂積に「なんか知らないけど、ちゃんと話し合いな」と教室を追い出され、とりあえず自分のクラスに戻ることにする。
確かに穂積の言う通りだ。これ以上話さない時間が長くなっても、都合よく状況が好転するとは到底思えない。
というより、あと一週間ほどで夏休みが始まるのだ。このままでは会わずじまいで一ヶ月が過ぎ、そのまま話さなくなって自然消滅するという、最悪の道筋が見えすぎている。
夏休み明け、彼女がイケメンの隣で微笑んでいる姿が頭に浮かんだ。
そのイケメンは真っ白な歯を光らせて笑い、波乗りかなんかで日焼けした肌に筋骨隆々の体を見せびらかすように白いシャツをはだけさせ、何歳なんだか知らないが赤いスポーツカーを乗り回している。
そしてソイツにもたれるようにして腕を絡ませている彼女は、俺に向かって、申し訳なさそうな顔で言うのだ。
「ごめんね山本くん。好きな人ができたの」
そこまで妄想して俺はうわああと叫び出しそうになった。間一髪で叫ぶのは堪えたが、暑さが原因ではない汗がだくだくと出てきてにわかに寒くなる。
早急に彼女と話さなければいけない。そんな遊んでそうな男はやめろと彼女に言わなければ。いやこれは俺の妄想だったと、ひとりもんどり打つ。
とにかく、俺はこれ以上ない危機感を抱き、必ずや今日中に彼女と直接話すと決心をした。
「会って話したい。教室で待ってるから、委員会終わったら来てくれない?」
文章を何度も書き直して、結局それだけ送ることにする。送信ボタンを押すのにいつもより少し時間がかかった。