焼芋屋甚太郎
笹原甚太郎が焼芋屋を始めて数週間が経つと、荷車を曳いて街を歩く姿もサマになってきた。
当初は新参の移動販売で売れるか心配だったが、丹精込めて育てた芋は冷めても美味く、絶妙な塩味が芋の味を更に引き立てると評判になり、既に常連も出来ていた。元手がかかっていない分だけ市価より若干安く、懐に余裕のない人にも買いやすいことが一番の決め手だった。
サツマイモにうす塩味をつけて蒸し焼きにした焼芋が好評で、調子に乗った甚太郎は「塩焼〜き芋、お芋〜!」と声を張り上げながら売り歩いた。
サツマイモがない時期はジャガイモや他の芋を売ることにしていた。焼いたジャガイモに塩を振ったり、醤油を垂らしたりして塩分を濃くした物を売ると、これもまたよく売れた。
この調子なら、上手くいけば1年で必要な資金が貯まるかもしれない。甚太郎はほくそ笑んだ。
稀にではあるが、縄張り意識の強い同業者に睨まれたり路地裏で胸倉を掴まれ凄まれたりもしたが、街が駄目なら工場の近く、工場が駄目なら炭鉱の近くと、移動販売の強みを活かして売り場を転々とし、ほとぼりが冷めた頃にまた訪れて顧客を取り戻す、ということを繰り返していた。
それなりに儲けは出ていて、なんならこのまま焼芋屋で生計を立てるのもいいかもしれない…と考えることもあったが、食べ物なんて流行り廃りが激しいし、きっとそのうち焼芋よりも美味くて手軽な食べ物が出てくる筈だ。その前には違う業種に鞍替えしないと生き残れない、と甚太郎は考えていた。やはり自分の持つ人脈とノウハウを活かせる総合建材店のほうがいい。しかも建物は人間がいる限り絶対必要だし、流行り廃りなんて関係なく需要があるので建材店が不要になることは未来永劫ない。我ながら良い着眼だった、と甚太郎は悦に浸っていた。
ある日、新規の顧客を開拓しようとまだ来たことのない路地を歩いていた。あまりガラの良くない通りで、一種異様な雰囲気もあった。
「兄ちゃん、ここにはおっかないのがいるから用心したほうがいいよ」
通りがかりの子供が声をかけてくれた。歳の近い人間が焼芋を売り歩いているのを見て心配になったのだろう。
「ありがとうな。しかし、おっかないのって何だい?」
「おっかないオッサンがいるんだ。カタワなのに喧嘩が滅法強くて、いつも怒ったような顔で歩き回ってる。目玉も片方ないんだぜ」
子供らしい顔を一生懸命に顰め、声を潜めて教えてくれる様子が可笑しくなり、甚太郎は思わず吹き出しそうになるのを腿をつねって堪えた。
「そうか、それは喧嘩をふっかけられないよう気をつけないといけないな。教えてくれてありがとう」
「うん。気をつけて。財布もしっかり直しておいたほうがいい」
小ぶりな芋を1つ貰い、上機嫌で子供は去っていった。
かたわで喧嘩が滅法強いとは…恐ろしい人間もいたものだ。これは早く違う場所に移動した方がいい、と考えて方向転換しようとした瞬間、何かが視界を捉えた。
ボロボロの服にボサボサの髪。纏わりつく異様な空気。見るからに危険そうな隻腕隻眼の男が、甚太郎の前に立っていた。
…ああ、これは間違いない。
些か遅きに失したようだ、と甚太郎は心の中で己の運のなさに溜息を吐いた。
今日の男の子ワード「縄張り」
ある個体が排他的に占有する地域のこと。子供が「縄張り」と称する地域は、多くの場合「行動範囲」と同義である。あたかも自分が強い存在だと相手に思わせることで有利に立とうとする、闘争本能が見え隠れする表現法といえる。