平穏な休日
「ほう、ほなウチの心配するような事は何もないって言うんやね?」
「はい。安心してください」
待ち合わせの約束をすっぽかしてから1週間後、ようやく甚太郎は文子嬢と再会をはたした。
最初はひたすら「何があったのか」と質問攻めになったが、急な訓練や仕事で外出出来なくなったと伝えてなんとか宥めることができた。
「ならええけど…何かあったらウチにも教えてな。これでも由緒正しき『てら岡』の…やのうて今を時めく『お弁当の明治屋』の次期女将、おじい様の代からのお得意様には軍の偉い人もおんねんで…海軍さんやけど」
「海軍の偉い人に相談しても仕方ないですよ」
「知ってますー!言ってみたかっただけやねん」
文子嬢は顔を赤くしながら答える。本人にはどうしようもないが、伝手を頼ってでも力になってくれるというのは有り難い。
甚太郎が部隊で「狂犬」の渾名を付けられてからも、「生意気だ」という理由で袋叩きに遭ったことがある。その時は黙って耐え、「以後気をつけます!」の一言で済ませた。
更にその翌日、袋叩きにされても為されるがままになっていた甚太郎を面白がり、3人で再びリンチにかけた者達がいた。
甚太郎の堪忍袋の緒はすぐに切れてしまった。翌朝には2名が全身アザだらけに、1名は涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにした姿になっていた。3人は口を揃えて「何もありません」と証言したが、甚太郎を見ると酷く怯えるようになり、周囲の者は「ああ、また狂犬が暴れたな」と認識した。文子嬢と会う2日前の出来事である。
甚太郎は、他の誰にも気付かれないように闇討ちする技術をいつの間にか身につけていた。
久しぶりに再会した文子嬢は不思議そうな顔をしていた。
「何や、甚太郎さん雰囲気少し変わったな…なんちゅうか、大人になったような」
「そんなことない、と思いますが」
甚太郎は苦笑しながら答えたが、暴力に対するしきい値が著しく低くなっている自分に違和感を持ったのではないかと思い、ドキリとした。
「ま、まぁ男らしい甚太郎も悪くないとは思うけど…あ、いやその!悪くない言うんは好きとか嫌いとかいう訳やのうてやな!」
顔を真っ赤にしながら慌てふためくお嬢の姿を見ていると、落ち着いた気分になり心地良かった。短時間で大した内容でもなかったが、充実した茶話会になった。
「狂犬」と陰で呼ばれ、一部からは薄気味悪いと敬遠されている甚太郎だったが、大多数の同期は甚太郎に悪い感情を持っておらず、それなりに仲良くやっていた。むしろ「殴ってばかりで使えない上の連中にお灸を据えてくれた」と好意的に見る者が多く、本人の自覚は無かったが同期からの人気は高かった。
文子嬢との久しぶりの茶話会から帰隊した後は、2人で歩いている様子を偶然見かけた同期から「あの可愛い子とどんな関係なのか」「どこで知り合ったのか」などと質問攻めに合い、休日の夜の営内に立ち込める鬱屈とした空気を紛らわすのに大いに役立った。
当初はどうなるか不安で仕方なかった営内生活も、気がつけば同期と愚痴を言い合いながら日々を乗り越えていける程度に馴染んできたことが甚太郎は嬉しかった。




