再見、楊大哥
笹原甚太郎16歳。仕事は順調満帆、持ち前の器用さと頭の回転を武器に一端の商人として十分通用する能力を既に得ていた。仲の良い友人と過ごしながら、恵まれた環境の下で勉強や教養も学生以上に深めており、ある程度の社交の場でも恥をかくことはないだろうと周囲の大人からも評されていた。また、外国語、シナ語を使いこなせることは甚太郎にとって大きなアドバンテージであり、密かにこの能力を活用して何かできないだろうかと考えたりもしていた。
神戸に辿り着いた時、仕事と住む所を提供してくれた弁当屋の跡取り娘、文子嬢には大きな恩義がある。一時期よりも甚太郎に対するアプローチがやや控え目になったが、「レディにはレディの嗜みがあるんや」と時々複雑な顔をする文子嬢に対してどう接するべきなのか、ヘタレな甚太郎は未だに決めかねていた。
そんな様子を間近で見ている詩織嬢も、甚太郎と文子が親密にしているところを見ると「仲のよろしいことですね」と小言を呟き甚太郎が慌てて釈明するという場面が出てきて、女性関係に疎い甚太郎はこの状況を誰かに相談すべきなのではないかと考えていた。相談相手の筆頭候補は、シナ語の先生であり仕事の先輩でもあるヤン兄貴である。
しかし、ヤン兄貴が唐突に「仕事を辞める」と告げたことで、女性との接し方など相談している場合ではなくなった。
「ヤン兄貴、5年も勤めて今では港のクーリーの顔役までやってるのに、何で辞めるんですか?」
「何でって、そらようけ儲かる仕事が他に見つかったって事やで。俺は日本だけ相手に仕事して満足しとる訳やない。これからは世界中相手にできる商売をせなあかん」
「…もしかして、世界中で荷運びするって言ってた、あの話ですか?」
「おう小僧、覚えとったか!せや、あの話や。実は奉天で運び屋始めようかって上海のオジキから連絡があってな。手始めに満州でデッカい山がある言うてな、そこでバンバン稼いで、5年後にはシャムやインドやセイロンなんかと定期航路作って、美味いライスカレーを自分とこで作れるようにすんねん」
これは冗談だろう、と甚太郎は思って苦笑した。
「何や、笑い事ちゃうぞー。ゆくゆくはアメリカやヨーロッパとも結んで、俺等東亜の人間が運び屋ひとつにしてもどんだけ色んなことできるかっちゅうことを知らしめたんねん。中野伯爵にも色々教えてもろたからな」
「そうだったんですか?」
「せや。伯爵は身分や国籍なんぞ関係ない言うて、これからは東亜の結束でみんな豊かになろう、せやから君らも頑張れって色んな事教えてくれたぞ。俺等も伯爵には感謝してる。ホンマの事を言うと、仕事辞めるのはちょっとだけ心苦しいわ」
だったら辞めるのをやめてくれ、と喉まで出かかったが、甚太郎はぐっと堪えた。
「まあ、小僧やお嬢様や商会の連中が一人前に港の仕事もクーリーの使役も出来るようになったから、恩は少しは返せてるかな、とは思てんねん。いつまでもここにおったら、俺は自分が大将になれる機会を失ってまう。ここらが潮時や」
ヤン兄貴も大きな事を成し遂げたいという人だった。
受けた恩は大きいが、返す機会があるのかは分からない。もしいつか再会することがあれば、胸を張ってお礼を言えるような人間になろう。甚太郎は心の中で誓った。
「日本との付き合いは続くし、またどっかで会ったら、そん時はよろしゅうな」
ヤン兄貴は物凄くいい笑顔だった。
数日後、ヤン兄貴と数名の仲間達は何の跡形も残すことなく去っていった。
「再見、楊大哥」
甚太郎はポツリと呟いた。
ちょっと色々あって更新が遅れておりましたm(_ _)m
週1ペースを取り戻すように努めます。
記憶が曖昧なところは、兄弟であーでもないこーでもないと相談しながらストーリーを練り直しております…「史実と違うだろ!」という所が結構出てくると思いますが、ご容赦ください。父が実際に目の当たりした話は、判るように注記していく予定です。
相談の合間に、兄が原案者でありストーリーがポンポン出てくる架空LEアクション「横田広域警察24時」を気分転換がてら書いています。
https://ncode.syosetu.com/n6484hl/
近年のサバイバルゲームでも人気のジャンル「架空LE」「ご当地LE」モノをお好みの方は、是非ご覧ください。




