笹原甚太郎は落胆する
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甚太郎が商売の勉強を始めてから1年以上が経ち、尋常小学校の卒業まで1年を切った頃。
ある日突然、先生から「中学校や、師範学校に興味はないか?もしくは、大学などはどう思う?」と聞かれた。
勉強を教えることや、勉強すること自体に面白さを感じていた甚太郎は、
「そうですね、面白そうですね」
と精一杯冷静なフリをして答えた。先生は満足そうな顔で深く頷いていた。
翌日の夕方、甚太郎が畑の雑草取りから帰宅すると、なんと校長先生が家に訪れていた。何となく顔を合わせたくなかったので姿を隠しながら話し声に耳を傾けてみると、意外な提案が耳に飛び込んできた。
「笹原さん、甚太郎君は我が校始まって以来の、いや恐らく九州一の秀才です。是非とも上の学校に行かせるべきです」
校長先生が熱のこもった声で父親に話しかけていた。その提案は甚太郎にとってまたとないものであり、実現すれば、もっと勉強する機会が与えられる。
「最近では福山商店で測量や関数計算、方程式なども学んでいると聞きます。しっかり勉強すれば、将来は帝大に進み、この国を代表するような学者にだってなれるかもしれません」
計算は野望の達成に必要だから必死になって勉強していただけだが、この際それはどうでもいい。父がどう答えるか、甚太郎は固唾を飲んで待っていた。しかし…
「校長先生、お話はありがたいのですが、甚太郎は三男坊。上の学校に行かせる必要なんてありません」
甚太郎はその言葉を聞き、奈落の底に突き落とされたような衝撃を受けた。
「百姓に学は要らないし、何より学費を払うだけの金がありませんよ」
校長先生をからかうような声で父親は続けた。
父親の不快な言葉が耳に入り、瞬間的に頭に血が昇ったせいで、甚太郎は一瞬でショック状態から立ち直ったが、校長先生は打ちひしがれたように黙り込んでしまった。一寸後、絞り出すような声で
「そうですか…残念です」
と一言だけ発した。いや、そんな簡単に諦めるなよ!と甚太郎は思った。
結局は金なのか、と甚太郎は沸々と込み上げる怒りを抑えるのに必死だった。詳しくは知らないが、亥之助兄が帝大に行くことになれば、月謝も下宿代もきっと凄いことになるのだろう。ああ、金さえあればもっと勉強できるのに!
しかし、家長である父の決心を覆すことは出来ない。そう思うと、ぶつけようのない怒りをどうすることもできなくなり、一気に気が抜けてしまった。
甚太郎はがっくりと肩を落とした。瞼の裏に、真っ赤な顔で花束と手紙を差し出す奈緒の顔がチラチラと映った気がした。
「金か…」
思わず呟いてしまった言葉を噛み締め、いよいよ野望の実現を本格的に目指す踏ん切りがついた、と甚太郎は思った。
その決意が自らの人生を思わぬ方向へ大きく変えてしまうことを、甚太郎はその時まだ知る由もなかった。
本作品に興味を持っていただき、ありがとうございます。
少年期編は今しばらく続きます。甚太郎少年の活躍を見届けていただけると幸いです。