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邂逅

ある日の朝、甚太郎はいつも贔屓にしてくれている紳士がお供を連れて出掛けるのを見かけた。壮年の紳士が威風堂々としているのに対して、お供らしき少女は影が薄く、どことなく浮世離れした雰囲気が目についた。甚太郎は紳士のことを「旦那」と呼んでいたが、実際にどんな仕事をしているのか知らないし、何故お供に少女を連れているのかもわからなかった。しかし、少女の身なりからして女中見習いみたいなものなのだろうと予想し、頑張れ女中さん、と心の中でエールを送った。汽車に乗るのに荷物が少ないので、日帰りの仕事に出かけるところなのだろう。甚太郎はなんとなく見送って仕事に戻った。

その日の午後、件の紳士が帰ってきた。隣にいる女中見習いさんは具合が悪そうだ。弁当を買ってくれそうもないし、そもそもあんな状況の人間に声を掛けるほど愚かではない。甚太郎は横目に眺める程度でいた。しかし、少女が隅に蹲り、嘔吐し始めたのを見て、つい駆け寄ってしまった。

「大丈夫か?具合が悪いのか、暫く休むか?医者を呼んでこよう。お前はここで休んでいなさい。それとも何処か場所を移すか?」

「…申し訳、ありません…少し休めば、大丈夫です…」

「こんな真っ青になって、大丈夫なものか!医者を手配しよう。ここで休んでいなさい」

少女を見かねてというよりは、旦那に助言したくなり、甚太郎は声をかけた。

「旦那、矢鱈と騒いではいけません。お嬢さんは休ませてあげれば大丈夫ですよ」

甚太郎は紳士に話しかけつつ、さり気ない動作で懐紙を取り出し、嘔吐物にそっと被せた。商売を始めた頃、千代姉に「懐紙と手拭いは常に持ち歩きなさい」と言われて以来、言いつけを守っていたのが功を奏した。

「君は、いつもの弁当売りか」

「毎度ご贔屓に。…お嬢さんは具合が悪くて苦しそうな顔をしている訳ではありません。恐らく乗物酔いでしょうが、旦那に迷惑をかけていることが心苦しく、悔しんでいるだけです。今はそっとして休ませてあげてください」

「ふむ、そうか…」

少女の目を見て気付いたのだ。あの目は、自分の不甲斐なさに苦しんでいる人間の目だ。この街に来る前、鏡に映った自分の顔が同じ目をしていたのを覚えている。

甚太郎は売り物と一緒にゲン担ぎで持ち歩いている仁丹を取り出し、少女に渡した。

「乗物酔いに効くから飲んでください。私は旦那と話したいことがあるので、しばらくあちらにいます」

少女は無言で頷き、仁丹を受け取ってくれた。


「この度は失礼しました。笹原甚太郎と申します」

甚太郎は旦那に自己紹介し、当たり障りのない話を始め、適当に時間を潰すつもりでいた。しかし旦那のほうが甚太郎に興味を持ったらしく、これまでの紆余曲折を全て喋る羽目になってしまった。十五歳にもならないうちに会社を作って潰してしまうという行いを説明した際は、我が事ながら赤面してしまったが、旦那は真剣に聞いていた。


暫くすると少女が起き上がり、「ありがとうございました」と頭を下げて回復を伝えてきた。旦那は心底ほっとした様子で、甚太郎に対して感謝の言葉を告げた。

「私は中野家の当主として、君にお礼をしたい。近日中にお店の方に遣いを出させてもらうよ」

「ありがとうございます。しかし、大したことではないので気にされなくても大丈夫ですよ」

「いや、君ともう少し話がしたくてな、招きに応えてくれると嬉しい」

「そういうことでしたら、喜んでお受け致します」

良い笑顔で語る旦那に妙な既視感を覚えつつ、甚太郎は招待に応じることにした。

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