ある商売人見習いの話(回想)
登場人物のちょっと前の話です。
ウチは弁当屋の看板娘として料理の勉強をしながら売り子をしている寺岡文子といいます。お父ちゃんはウチを師範学校に入れて勉強させようとしてましたが、勉強なんて退屈なことしたない、学校なんて行きたないと文句言って喧嘩した結果、めでたく弁当屋の跡取りとして働くことになりました。どうせお嫁に行くんやったら、それまで自分のやりたいことやればええ、なんなら若いうちから仕事ばかりやって仕事人間と思われてたらお嫁の貰い手もおらんくなってくれるんちゃうか、と思てました。
弁当屋いうてもお祖父ちゃんの頃までは料亭をやっていて、それなりに繁盛していたらしいです。それをお父ちゃんが「鉄道がどこにでも敷かれていく世の中、料亭でのんびりお食事しましょうなんてのは流行らん、汽車で食べるお弁当を出せば確実に売れる」と鼻息荒くお祖父ちゃんを説得し、お弁当屋になったそうです。
ウチも学校を出たらお料理の勉強しよう思てたら、「お前は経営も料理も勉強せなあかん、どないしてお弁当を売るか自分でやって勉強しなさい」とお父ちゃんに言われ、売り子をすることになりました。
初めは色々ありましたが、何ヶ月か経つと仕事にも慣れて、もっと売れるようにするには何をすればええのか考えながら売るようになりました。そんな時、「九州に仕事がてら旅行に行こう」とお父ちゃんが言い出しました。遠い親戚が八幡でやってる材木商のお店に寄ってから温泉に行き、何日間か逗留するという旅でした。休みのなかなかない我が家では珍しい行事なので、反対する人はいませんでした。
寄り道先の八幡の材木商では神戸で手に入らない珍しい木材を見してもろて、幾つかはお父ちゃんの伝手で知り合いに融通してあげることになったとかでお父ちゃんと親戚のおじさんはえらい喜んでました。でも私はそういう話を聞いても正味退屈で、店員さんの話していた「知り合いが街で売り歩いてる美味しい焼き芋」のほうが気になってました。
せやから、街中を少し見てから出発しようという話になった時、ウチは慌てて「焼き芋屋さんの焼き芋が食べたい」とダダを捏ねて、焼き芋屋さんを探すことになりました。
件の焼き芋屋さんはすぐに見つかりました。結構な人だかりで、一目で美味しい焼き芋を売るんやなとわかりました。けど、ウチは焼き芋の味だけやない、売り方にも工夫があるはずやと思い、焼き芋売りのお兄さんをじいっと観察しました。
耳を引く呼び込み文句にお勘定の速さ、品物の説明のわかりやすさ等々、凄いとしか言いようのない売り子の鑑のような人でした。それに、ウチより少し歳上くらいにしか見えへん男の人が、爽やかな笑顔で焼き芋を売る、何よりもこれが一番の売れる秘訣やと確信しました。ウチが目を離せへんかったのが何よりの証拠です。
周りの人から色々聞いたところ、材木屋さんで何年も修行してこの前独立したばかりで、色んな人と商売する練習のために焼き芋を売り歩いているということでした。若いのにそこまで考えてるとは、尊敬してしまいます。
いつかうちの店で一緒に働いて貰えへんか、もしあかんかったらせめてお友達にでも…と思たけど、まあ無理な話やろうなと寂しい思いをして終わりました。その後は、寂しさを紛らわせたくても折角の温泉でも心までは暖めてくれんのやなと一日中温泉に浸かりながらぼーっと過ごし、身も心もしっかりふやかしてから神戸に帰ってきました。
なるほど、焼き芋を買った時のあの瞬間が大事な出会いやったなと後々になってわかりました。こういうのを、お茶の世界では一期一会というらしいですね。ウチはピンと来ました。この出会いと同じように一人一人のお客さんを大事にせなあかん、と。これぞ売り子の極意やと。お父ちゃんが勉強させたかったことが何となくわかってきた気がしました。せやから、一期一会の大事さを教えてくれた焼き芋売りのお兄さんにまた会えへんかな、と毎日考えてます。会ってお礼を伝えて、出来れば商売について色々教えて貰いたいなと思てます。これからはお宮さん参りのお賽銭ももう少し増やすので、何卒また会わしてほしいです。よろしゅうお願いします。




