閑話 ある陸曹の話
1960年6月某日、大阪府 信太山駐屯地
第4陸曹教育隊は、恐らく最終期になるであろう公募陸曹の課程教育を実施中であった。
笹原弘宗3曹は、訓練前のひと時に曇天を見上げながら煙草をふかして過ごしていた。米軍払い下げの使い込まれたM1ライフルを肩に吊り、咥え煙草のまま鉄帽の庇をクイっと上げて目を細める。肩のライフルがカチャリと音を立てた。まさか自分にこんな日が来るとは…と、しばし感慨にふけってしまった。
学がなければ世渡りも出来ないと考え、親のスネを齧るのは嫌だったから働きながら八幡大学の夜間学部に通い、法学を勉強した。法律関係の仕事に就きたかったが、歯医者が儲かるという話を聞きつけ、医科歯科大の歯学併設コースを受講し、将来は歯医者になるつもりだった。朝鮮特需もとうの昔に終わり、日本全国どこも不景気で、良い就職先を見つけるのは難しかった。
卒業も近づいたある日、自分の素晴らしい人生プランを父親に話したのが失敗だった。「歯医者が医者なら蝶々蜻蛉も鳥のうち」と鼻で笑われ、一瞬で怒りが沸点を超えた。事情があって引け目を感じているのもあったが、大学を卒業したら即家を出て行ってやると決意を固め、大学卒業と同時に家を飛び出した。
父親は偏屈な頑固者だが、非常におっかない人だった。満洲国では駐屯地司令を務める立派な陸軍将校だった筈なのだが、当時の思い出には碌なものがない。例えば馬賊の首を刎ねて生き血を吸った刀を突き付けて「躾」というのは、幾ら何でも度が過ぎるだろう。よく小便を漏らさず折檻に耐えたものだと思う。そんなキチガイな父親に反発するのも仕方のないことだ。
街中をうろついていたら自衛官募集のポスターを見つけ、「大卒だから今なら3曹で入隊できる」というセールストークに惹かれて入隊を即決した。何故か自分一人だけ関西の教育隊送りになったのが納得いかないが、実家に戻る気はなかったのでどうでも良かった。
満洲引き揚げのカオスに比べれば、自衛隊生活はまるで天国だ。敗戦当時、小学校を接収して作られた日本人収容所では、人間が家畜のように扱われていた。大人の男は校庭の端に穴を掘らされていた。日本人が死んだ時に埋められる墓穴だ。女の子は髪を短く切り、顔に炭を塗り付けて性別がバレないよう隠していた。女とわかれば露助に強姦されるからだ。見るからに品性のない露助の兵隊共が我が物顔で闊歩していた。常に空腹に悩まされ、毎日が忍耐の繰り返しだった。
煙草を吸っていると、もしもソ連が攻めてきたら…と唐突に疑問が浮かんできた。少なくとも自分は自衛官として露助と直接戦う立場にある。圧倒的物量を誇る上、スプートニクを打ち上げるような力を持つ国に到底勝てるとは思えないが、自分は無抵抗のまま黙って嬲り殺しになることなんてなく、攻めてきた露助共を自分の手でブチ殺すチャンスを持っている。
なんだ、やっぱり自衛隊っていい仕事じゃないか。
煙草を吸い終わり、吸殻を煙缶に片付けてグラウンドに向かおうとしたところでふと掲示板が目に入った。真新しいポスターが貼られている。
「航空自衛隊 飛行幹部候補生募集中」
パイロット要員の募集だった。よく見ると、募集対象者は「大卒」となっている。パイロットといえば、フライトペイをたんまりと貰えるし航空加給食も出る。非常に魅力的な仕事だ。こんなところで学歴が物を言うとは!
戦闘機に乗り自由自在に空を飛ぶ、なんともロマン溢れる仕事じゃないか。ペイもいい。
雲の隙間から僅かに覗く青空を見つめ、笹原3曹はファイターパイロットへの道を目指すことに決めた。
今日の訓練は、いつもより気合が入りそうだ。




