出立前
明日の早朝に出発しようと決め、甚太郎は必要最低限の場所に挨拶回りすることにした。
初めに嫌々ながら父親に事情を話す。「どこに行くつもりなのか」と聞かれたので、「神戸に行きます」と答えた。異国情緒のある大都会だし、港が開けているから仕事はいくらでもあるだろうと考えている。嫌味でも言われるかと思ったら、「そうか」と一言発したきりだった。
気味が悪いのでさっさと部屋を出て、外回りに行くことにした。
福山商店ではまず大旦那に挨拶し、職人達の伝手をそのまま譲り渡した。夜逃げがばれると不味いので、明後日の昼までは黙っておいてもらうように頼んだ。大旦那は快諾してくれた。
気が重いが、完二と奈緒にも挨拶しに行った。話を聞いた完二は「悔しいなぁ…」と呟いたが、直後からボロボロと泣き出した奈緒を宥めるのに忙しくて別れを惜しんでいる暇がなかった。
「奈緒、レディは男の前でむやみに涙を見せるもんじゃないぞ」と注意すると、声を上げて泣くのは耐えたようだが、しゃくり上げながら質問してきた。
「じんたんは、ヒック…いつ帰ってくるのですか?」
「悪い奴等をやっつけられるようになってからだから少しかかるかもしれないが、ちゃんと帰ってくるから安心しろ。約束だ」
守れるかわからない約束をするのは苦手だったが、今回くらいはいいだろう。
「悪い奴等をやっつけないといけないから、この事は内緒だからな。誰かに言ったら帰ってこれなくなるから、約束な」
「じんたんが帰ってこれなくなるのは…いやだぁああ!」
折角落ち着いたと思ったらまた大きな声で泣き始めた。
「奈緒はずっと待っているから…うぅ、ちゃんと帰ってぎでぐださい…!」
「当たり前だ、なるべく早く帰ってくるよ」
奈緒の頭を撫でてやる。女の子の涙は苦手だ。
「これ、餞別」
と完二が風呂敷包みを差し出した。中を見ると、まだ新しい服が2着畳んで入っていた。
「奈緒じゃないけど、早く帰ってきてくれよ」
「ああ、わかった。ありがとう」
商売には綺麗な格好が大事だ。完二の思いやりが有り難かった。
これ以上いると奈緒が壊れそうな位泣いているので、名残惜しいが辞去することにした。
ヤスにはちゃんと会えるだろうかと考えながら歩いていると、珍しく実家近くの路上でヤスに会った。どこかに出掛けていたようだ。
「この度は済まなかった…用心棒として何の役にも立たなかった」
「いえ、路地裏以外では用心棒をお願い出来ないなと思っていたので…」
「そ、そうか…」
ヤスは専属で用心棒をやってくれているつもりだったようだ。
互いに申し訳なさで気まずい空気になった。
「…後の事は心配するな」空気を誤魔化すようなヤスの声。
「はい、よろしくお願いします…?」
とりあえず甚太郎は返事しておくことにした。
ヤスが立ち去った後、もうやることは何もない気がした。
明日の朝一番で神戸に向かう。
この先が楽しみなんだ、と甚太郎は無理矢理自分に言い聞かせた。




