笹原甚太郎は行き詰まる
甚太郎は焦っていた。仕事をすればするほど困窮する。経営資金が目減りしていく。原因は分かりきっていた。
経営悪化の原因は、客によるツケの踏み倒しや支払いの遅延だった。
甚太郎は大人の悪意を理解できていなかった。
初めのうちは、笹原家に縁のある者や甚太郎を知る者達だけが顧客だったため、支払いを渋るような客はいなかった。しかし、顧客が増えるに従い、厄介な客も増えていった。
「支払いをツケにしろ」「今ちょうど手持ちの金がないから後で払う」
そうやって支払いを先延ばしにされ、次の仕事のために用意すべき資金が不足し始めた。
ある日、「そんなツケなど知らない。ガキがいい加減にしろ!」とツケを踏み倒され、遂に次の仕事を受けるだけの資金が枯渇し、甚太郎は途方に暮れた。その時を見計らったように、やけに人の良さそうな男が「子供でも金を貸してくれる所があるぞ」と金貸しを紹介してきた。
これは渡りに船とばかりに甚太郎は飛びついた。まとまった額の借金であっても、一度でも仕事が上手くいけばすぐに返済できる、そう考えていた。
しかし、目論見は見事に外れた。
せっかく受けた仕事は足元を見られて散々に値切られ、どうにか儲けを出すことは出来たものの、利子を返済するだけで一杯一杯だった。
甚太郎は細々とした仕事をこなしつつ、粘り強くツケの回収に駆け回り、時には逃げようとする客の足に齧り付き、店を存続させていた。
数少ないまともな顧客が「床の間を綺麗にしたい」と仕事を依頼してきた時、思い切って最高の仕事をしてやろうと考え、残った資金をかき集めた。取引のある中で最も腕の良い大工に声を掛け、床の間の設計を頼んだ。材料もいい物を使うため、福山商店で最高級の木材を注文した。素材選びに熱中する甚太郎を見て、福山商店の大旦那は心配そうな顔をしていた。
「甚太郎君、だいぶ大変そうだけど商売は大丈夫かい?」
「お気遣いありがとうございます。最高級の材木を注文できる程度には儲かっているので安心してください」
甚太郎の強がりを聞いた大旦那は、困ったような顔で微笑んだ。
数日後、届いた木材を受け取りに行くため資金を懐に入れ、甚太郎は福山商店に向かった。しばらく歩いていると、人相の悪いゴロツキが数人屯しているのが目に入った。どうにも嫌な予感がして回り道しようと考えたが、遅かった。
「小僧、ちょっと来いや」
いきなり胸倉を掴まれてビンタされ、一瞬意識を失った隙に路地に連れ込まれた。
懐に入れていた金をあっという間に奪われ、執拗に殴られ蹴られ、甚太郎は何度も気が遠くなりかけた。
「借りた金は返せ。5日後までに金を用意できなかったら容赦しねぇからな」
既に借りた金の2倍以上の利子を支払っているのに、一体あといくら支払えばいいのか。甚太郎は泣きそうになった。ゴロツキ共が去ってしばらく経った後、甚太郎はようやくノロノロと立ち上がり、福山商店に向かうことにした。
金を取られて支払いが出来ない以上、木材を受け取ることは出来ない。
福山商店で事情を大旦那に相談したところ、「そんな莫迦な話があるか」と怒り、資金援助を申し出てくれたが、甚太郎は断った。金銭問題で迷惑をかける訳にはいかない。
大工や職人達に頭を下げて回り、依頼主に謝罪し、皆から慰めの言葉を掛けられた。
へとへとになって帰宅した甚太郎は、事務所に入ると床に倒れ込んだ。
何故こんなことになった…?
殴られた頬が痛い。
ツケを全て回収できていれば良かった?
口の中が切れてジンジンする。
利子ばかり増えていくのにどうすればいい?
体中がバラバラになりそうなくらい痛い。
甚太郎は横になったまましばらく考え込んでいたが、唐突に起き上がって天井を仰いだ。
頭の中に、プツンと糸の切れる音が響いた。
「もう、無理だ…」
目から涙が一粒だけこぼれた。
甚太郎最大のピンチです。




