幸福な日々
ふむ。 それでお前さん昨日、 飛び降りようとしたな?
え?
ふむ、 そして、 やめたな。
え、 どうして……。
ふむ、 神の、 俺の声が聞こえたはずだぞ?
「やめろ!」
とな。
——目の前でいきなり大声ださないでください……心臓に悪いわ。
はははは! 己の心臓を止めるようなことをしようとしていたお前さんが何を言うのか。 ……ふむ、 まあいい、 それでお前さん、 なんでやめたんだ? 飛ぶことを?
その……声が……したから、 頭が痛くなるくらいの声。 それで、 こわくなって力が抜けて立てなくなっちゃったの。
ふむ、 力が抜けた時にそのまま落っこちなくて良かったな。 というより、 お前さんは本気でなかった。
わたしは、 本気だった!
ふむ、 そうか? だが声は聞こえたな?
はい……声は聞こえた。 でもカミさまの声じゃなかった。 ……思い出せなくなっちゃったけど。
ふむ、 隙がなければ声も届かないぞ。 お前さんには迷いがあったから、 だから届いた。
じゃあ本当にカミさまの声だったの? どうしてわたしを助けたの?! わたしはもう少しで……。
ふむ、 助けることに理由が必要か?
必要よ! それに、 死ぬことを阻止することが助けることになるの?
ふむ、 だが、 お前さんが毎日のように願っていたことは死ぬことなどとは対極のことであった。
どうして? だってわたしは心の中で願っていただけで、 ここでお祈りしているときも口には出していなかったのに。
お前さんが、 神に願い事をして、 神であるこの俺がその願い事を受け取った。 それに何の不自然がある?
だってカミさまは、 あなたは自称神様で、 本当の神様じゃないし、 テレパシーみたいに声を聞いたり、 とか、 そんなのぜんぶ、 不自然じゃない!
ふむ、 お前さんは、 虫が知らせる、 という言葉を聞いたことはあるな。 人間にも五感の感覚を超えたところで外部からの、 何か、 を受け取る力が備わっている。 そして常に外部へ、 何か、 を発してもいる。 それは誰でも持っている力だよ。
でもなんで? なんでとめたの? もう少しで楽になれたのに……。
ふむ、 楽にはならんぞ。 お前さんがもしあのまま飛んでいたとしても、 命だけは助かった、 だが身体はまったく悲惨な状態……ふむ。 例えればな、 一度踏みつけた蟻が死なずにそのまま生き続けることを想像してみるといい。 それはまったく、 楽ではないぞ。
そんな……。
お前さん、 人間の命は短いのになぜ、 さらに短くしようと思うんだ?
だって、 今が、 つらいから……。
ふむ。 今のつらさが一生続くわけではないだろう?
悩み事のある日の長さは一生分に感じるの……。 悩みのない神様にはわからないんだわ! なんでわたしが飛び降りるのをとめたりしたの?
ふむ。 お前さんがここに来て、 毎日のように祈願していたことはこうだった、
お父さんの病気が早く良くなりますように
そして家族や親戚や周りの人もみんな長生きしてほしいです
それとわたしもできればまだ生きたい……。
お前さんが、 そう、 願ったんだよ。
わたしはもうずっと疲れていて、 生きたいって思ったけど……でもどうしたらいいかわからなくなってもうとにかく、 もうとにかく、 ぜんぶ疲れちゃったの。
お前さんが飛び降りることを決める前に、 もしそのあとで幸福な日々がくることを知っていたなら、 飛び降りて命を断とうなんてことは、 考えもしないだろう?
だって、 そんな幸福な日々なんて、 来ないものきっと。
ふむ、 なぜそう思うんだ?
——神様はいるかもしれないけどわたしを救える神様はいないの。
お前さん、 今のお前さんには見えないだろうがこの神には、 俺には見えるよ。 お前さんを待っている幸福な日々が、 な。
——ほんとうに?
ふむ、 お前さんの父親も、じき回復に向かうよ。 それなのに、 お前さんがいなくなってしまったらどう思うね?
えっ……お父さんも助けてくれたの?
ふむ、 それはお前さん、 病院に行ってみたらわかるだろう?
本当に?! ありがとうございます、 カミさま! じゃあ行きますね、 わたし! また来ます!
ふむ。 またな、 行ってらっしゃい!