春6
「数日ぶりだね」
「そうだね」
「今から、晩御飯の用意するんだ。手伝ってよ」
「うん」
そんな他愛もない会話を僕たちはして、作業に入る。
まず2人で手を洗って、僕はジャガイモの皮を剥く。夜見は、人参を切る。そんな役割分担だ。手を動かしながら、夜見が尋ねる。
「…琥珀、今日から高校生でしょ?」
「うん。学校は夜見が去年、卒業した学校だよ」
「担任の先生は誰?」
「谷王子って言う珍しい姓の人だよ。知ってる?」
「うん、その人去年、私の担任だったから」
「そっか」
僕たちは手を動かしながら、このような会話を続ける。
「今日は、他に誰が来るの?」
「えっと、犬飼七段と葉書五段、それから柊六段が来る予定だよ」
あえて僕は、段位をつけて説明する。プロ棋士として、戦っている夜見には、この言い方のほうが伝わりやすいと思ったからだ。
「柊六段って、いう人は知ってる。昨日対局した」
「うん、知ってるよ。柊さんは、僕が今日会った時、昨日の対局の反省会みたいなのをしていたから」
「そっか。柊六段は、素直な将棋を指してきた。だから、次の一手も読みやすかった」
「そうなんだ」
「うん。多分琥珀でも勝てるよ」
「流石にそれはできないよ。今日対局してもらったけど負けちゃったし」
「…持ち時間は?」
「お互い一時間の切れ負け」
「それなら仕方無いね」
「包丁、借りていい?」
「うん」
僕は、じゃがいもの皮むきが終わったので、人参を切り終わった夜見から包丁を借りる。僕たちの会話は続く。
「いつから三段リーグ?」
「来週から」
「そう…勝てるよ。琥珀なら」
「うん、ありがとう」
「勝ってプロになって、私のところまでやって来てね」
「え?」
僕はその言葉を聞いて手が止まった。
「覚えててくれてるの?」
「もちろん。私は待ってるよ。けど、なるべく早くしてね」
「うん。…そっか。ありがとう」
僕は夜見にもう一度お礼を言った。
このお礼は、夜見からの純粋な声援と、約束を覚えてくれていると言うことに対してのものだ。
ご飯の準備が整ったのは、19時ごろだった。
まだ誰も来ていない。犬飼さんからのLINEは、
犬飼:左鍋九段の対局が終わるのを待って、一緒に行くから、20時くらいになりそう。
とメッセージが来ていた。
僕は、
伊吹:わかりました。あと、もう知っていると思いますが、氷泉は来ます。
返信をし終わると、僕は夜見の方を向く。
夜見も僕の方を見ていた。
「みんな来るのまで、暇だね」
「……じゃー、さす?」
「相手してくれるの?」
「うん、別にいいよ」
「ありがとう。じゃー、準備するよ」
「うん」
そう言って、僕は自分の部屋から将棋盤を持ってきた。
この将棋盤は、自分が奨励会に入った時に師匠が買ってくれた思い出のある品だ。
お互いに駒を並び終え、整えると夜見が振り駒をする。
振り駒とは、将棋を指す際の先手、後手を決めるための方法で、盤上の歩兵を5枚振り混ぜて放つ動作のことで、これで、歩が多く出れば自分が先手、トが多く出れば相手が先手というふうに見る。
「僕が先手だね」
「うん、ルールは?」
「フィッシャールールで、時間は10分、持ち時間増加は5秒で良い?」
「うん。わかった」
「よし、じゃー、お願いします」
僕が先手だ。どのような戦法を使おうか、居飛車、振り飛車どちらにしようか迷うが持ち時間が10分しかないこのルールでは、最初の方に時間をかけるのは愚策だ。そうだ、この戦法なら、、、
僕は初手、6八銀と指した。
「ふーん、嬉野流か」
夜見は、一瞬ニヤリと笑ったが、すぐに表情が元に戻り、綺麗な手つきで指してきた。
指した一手は3四歩。
嬉野流とは嬉野さんというアマチュアの方が考案した奇襲戦法だ。それを奨励会三段の天野さんと言う方が、書籍化をしてその戦法が広まったものだ。特徴的なのは、初手が6八銀と、ある意味、悪手の様な一手から始まるこの戦法は、そこから変幻自在の差し回しによって、相手を翻弄するというものだ。
今回僕は、そこから飛車を5筋に振り回して中飛車という戦法にしようと思った。
盤面がどんどん進んでいく。
僕の自軍は、うまい具合に中飛車となり、玉の囲いも出来始めた。
一方で、今回夜見が指した戦法は、振り飛車の向かい飛車と言うものだった。
お互い、戦うが開始される機を待っている状態だ。
数手後盤面が動いた。
さーて、ここから中盤戦だ!