血戦
私は両腕を後ろで縛られた状態で歩いていた。
不味いです!完全に逃げるタイミングを逸しました!?
当初、神都――恐らく首都と思われる場所に連れて行かれると思っていた。
それなら、人混みに紛れ込めば十分逃げられる…。足の速さには自信がある、そう考えていた。
『穢れた悪魔の子に、神都の地を踏ませる事などあってはなりません!!』
小隊お付の神官だか司祭だかが声高にそう主張した。そして、それは受け入れられた…。
宗教系レイシストのテンプレみたいな奴の所為で、私の逃走計画が…。
神都へと続くと思われる街道を外れて、平原に移動した。そして、その場で待機となった。
勿論、私の周囲には10人程の兵士がついていて、其々が私に槍を向けている。
これでは逃げる事が出来ないです…、ただ、幸いな事にそろそろ夜になります。
あのレイシストが処刑台の準備をとか言ってましたし、この兵士達の隙を突けさえすれば…。
処刑台を作ると言うなら、まだ時間が掛かる筈。私はそう考えていた。
今回の事は突発的に決まった事で、処刑台を用意する為の材料とかを持ち合わせている訳がない。
事実、集めるようにと指示が飛んでいた。それなら今夜中に用意は出来ない筈。
そして、深夜であれば警戒が緩むだろう。後は闇夜に紛れて逃げればいい。
大丈夫…まだ、チャンスはある筈です…。
自分に言い聞かせるように何度も頭の中でシミュレートをして、時間が過ぎるのを待つ。
…だけど、事態は私の思いも寄らない方向へ流れてしまった。
闇夜が炎で照らされ、群集が雄叫びを上げる。
殺せ殺せと騒ぐ民衆に、流石の私も血の気が引いていた。
この民衆達は近くの町や村から司祭様のお役に立てるならと道具や材料を持って馳せ参じて来たらしい。
その結果が此れ…、大幅に予定を前倒しにされた刑の執行。
冗談じゃないですよ…。
此れまで虚勢を張り続けていた私の心が、音を立てて崩壊していく。
一筋の涙がツーっと流れる。此れまでずっと何とかなると思っていた。
異世界に来て、三ヶ月と少し…。努力してこの世界の言語を学び、其れを修得した私。
村の人達とは仲良くやれていて簡単な仕事もこなしていた。
問題は無いと思っていたのに…。
結局私は、異世界生活と言うものに何処か浮かれていたんだろう。
磔台に拘束されながら、ぼんやりとお母さんの事を考えていた。
お母さん、あの人と結婚出来たのかな?…今まで苦労してきたんだし報われても良いよね…。
…それと、ごめんね、お母さん…。
飾らない言葉で、私の本音を刻んでいく。そして…。
嫌だ、こんなとこで終わるなんて嫌だ!誰か…、誰か助けて!!
「準備が整いました!」
「うむ!では処刑を…「報告ーっ!!」」
騎士の言葉を遮るように、兵士が叫んだ。
「貴様!刑の執行を妨げるとは何事だ!?」
「も、申し訳ありません!で、ですが!?」
そう言って兵士は彼方を見る。それに釣られるように皆も彼方の方へ振り向いた。
「な、何だあれは!?」
「こ、此方に向かって来ておる!?な、何とかしろ!!」
騎士達や司祭らが狼狽している。そう、異常事態が起きたのだ。
「き、貴様ら!あれを止めろ!!」
騎士の怒声の様な命令に、兵士達は二の足を踏んでいた。
それは当然の事だった。此方に向かってきているモノ――それは大型の魔物の群れだった。
そして、状況を理解し始めた民衆も次々にパニックを起こしていた。其の中で一人の男が叫んだ。
「皆、大丈夫だ!此方には神殿騎士様達や司祭様達が居られる!きっと、我らを護って下さる筈だ!」
それは希望交じりの言葉ではなく、本心から来るものだった。
その言葉に落ち着いていく民衆達、一方兵士達は絶望の表情のまま魔物達に立ち向かっていた。
そして民衆達は、当然騎士や司祭も戦うと思っている。
しかし、彼らのその予想は裏切られた。
「よし!そのまま進め!」
「隊長殿!我々はこのまま本国へ報告に戻るべきかと…。」
「うむ!この異常事態だ、周辺の町にも被害が出ているかも知れん!早急にこの件を報告する必要がある!」
そう言って、撤退を始める騎士達に民衆は困惑し、動揺が走る。
「そ、そんな!?我らはどうすれば!?」
「煩い!退け!!」
騎士に追い縋った男は一刀のもとに切り伏せられた。
其の様子に民衆達は言葉を失い絶望した、魔物の群れは其処まで迫っている。
今更逃げ出しても追いつかれるだろう。
「其の前にこの悪魔を始末せねば、なりませんな。」
司祭の言葉にコクリと頷く騎士達。
「火を。」
「ハッ!」
命じられた部下が、私の足元に火を点ける。
「よし!本国へ報告に戻るぞ!!」
司祭達が馬車に乗り込むのを確認して、騎士が叫んだ。そして、そのまま遠ざかっていく。
「熱ぅ!?」
呆然としていた私は、その熱さで我に返った。
え?も、燃やされてる!?………あれ?思ったより…え?痛覚が麻痺してしまったのですか!?
私の足元は確かに燃えている。事実、着ていたズボンは既に焼け落ちている。
でも先程の熱さは感じない、例えるならそう、冬場のお風呂で最初の掛け湯をした時みたいな…。
そんな事を考えていたら、兵士を突破してきた魔物達が私達の元に殺到してきた。
散り散りに逃げ惑う民衆達、其の多くが既に魔物の餌食になっていた。
そんな中、一匹の魔物が私を目掛けて突進してくる。
「!?」
私は咄嗟に足元の薪を蹴り上げた。
すると、思ったよりも力が出ていたのか、火の点いた薪は魔物の体に突き刺さっていた。
此れならと思って次々に足元の薪を蹴り上げていく。
何本かが、途中で砕け散って不発となっていたが、目の前の魔物を仕留めるには十分だった。
「や、やった!?」
喜んでいるのも束の間、別の魔物が私に向けて迫って来ていた。
「こ、来ないで下さい!」
そう叫んで、足元の薪を蹴ろうとする、…だけどもう何も無かった。
バキィッ!!
そして、勢い余った私の蹴りは高く蹴り上げられ、其の勢いで磔部分が根元から折れた。
「ふぇ…?」
呆気に取られていた私は、磔になった状態で空中を舞う。
「へぶっ!?」
そして、顔面から豪快に着地した。
「!!??」
普通なら首の骨が折れて死んでいるのだろう。だけど私は多少の痛みを感じるだけだった。
訳の分からない状態に困惑していると、一匹の魔物が直ぐ傍まで寄って来ていた。
「きゃっ!?」
慌てて立ち上がろうとした私は、そのまま魔物に吹っ飛ばされた。
バキィ!カランカラン!
そして私を拘束していた木製の磔は、魔物の攻撃で破壊されていた。
「いったぁ…。」
というか、痛いとかそういう次元の話じゃないです!何なんですか!此れは!?
魔物の攻撃も、木製の磔が破壊されるような衝撃を受けても私は大したダメージを負っていない。
「あ!これって!?」
薪割りの斧が軽かった事、羽の様に軽くなった自分の体。そしてこの耐久力。
「身体強化系のチートって奴ですかね…。」
追撃を加えようとしている魔物を、私は見据える。
魔物に護身術が通用するかは分かりませんが、今の状態なら力押しでいける筈です!
飛び掛ってきた魔物の懐に入って拳打を当てる。
「ちょぉ!?」
攻撃は当てられたけど、体重の軽い私は相手の勢いに負けて吹き飛ばされていた。
そして、空中で体をひねって着地した私は、近くに落ちていた剣を拾い上げた。
「なら、此れで!」
護身術ほど精通している訳じゃないけど、リアから手解きは受けている。
カウンターが決まらないのであれば、切り伏せればいい!
魔物の隙を見て、私は地面を蹴った!
「やぁっ!!あああああ!?ぶべっ!?」
地面を蹴った瞬間、私の体は浮き上がりそのまま別の魔物に突っ込んでしまった。
幸いにも、持っていた剣がその魔物に深々と刺さり、そのまま倒す事が出来ていた。
「ど、如何いう事ですか!?私は縮地まで使えるんですか!?」
まぁ、縮地というよりは瞬動でしょうけど…、それは兎も角、困った事になりました…。
自分の力がまったく制御出来てない。これではまともに戦う事が出来そうにも無い。
「…あれ?何故私は戦おうとしているんです?」
この力があれば此処から抜け出す事なんて造作もない筈。
だけど、私は戦おうとしている、何故か……、それはきっと…。
「うわあああ!?ぎゃっ!?」
「ひゃああああ、げべっ!?」
私の事を殺せと言っていた連中、嬉々として刑の執行を見ようとしていた連中。
別に、そいつらがどうなろうと私の知った事ではない。ただ…
親に連れて来られただけの子供達…、私はそれを見捨てる事が出来なかった。
私は剣を探して、軽く駆け出す…。村にいた時は全力で走る事なんてなかった。
それはつまり、全力を出さなければ普通の人間の範疇で動けるという事…村にいた時の様に!
子供達を護る兵士が、一人また一人と私の目の前で倒れていく…。
そして、私が到達する前に、全ての兵士たちが薙ぎ倒されてしまった。
「!?」
後30メートル!全力で行けば一瞬で行ける…、狙いを外さなければ…。
外せば、全員が殺される。そのリスクは負えない!
突然、子供達と一緒にいた大人が魔物の前に私より少し上ぐらいの少年を突き飛ばした。
「なっ!?」
そして、そのまま他の子供達を押しやりながら大人達が魔物の居ない方に駆け出した。
其の様子を見て呆然とする少年。
「あ…。」
多分、痛みは感じなかっただろう…。突き飛ばされた少年は一瞬のうちに物言わぬ死体になってしまった。
「くっ!…このぉ!!」
やっとの事で子供達の元まで来た私は、僅か一刀で魔物を両断する。
「何をしているんですか!?早く私の後ろに退避してください!」
獲物を食らった多くの魔物達は、既にこの場から離れて行っている。
だけど、この場所以外が安全という訳じゃない。現に、先程逃げ出した大人達は他の魔物に襲われている。
なら、護りやすい位置に居て貰った方が生存確率が上がる筈だ。
大きな木を背にして、子供達は不安げな表情で私を見ている。
「…大丈夫、やってやりますよ。」
私のその言葉に、子供達は少しだけ表情を和らげていた。
そして、仲間を一刀両断された周囲の魔物達は、私を警戒するように取り囲んでいる。
…如何戦えば子供達を護れるでしょうか…?下手に動けば自分ごとぶっ飛んじゃいますし…。
考えているうちに、魔物が一匹唸り声を上げながら飛び掛ってきた。
「くっ!このっ!!
魔物の攻撃をギリギリで避けて、そのまま首を切り落とす。
そして、其の死体は子供達の方へ転がり込んでいた。
あ、危なかったです…、一歩間違えれば巻き込んでしまう所でした…。
私は横目で其れを確認して、安堵のため息を漏らしながら魔物達を睨み付けた。
魔物達の警戒が強くなっている気がしますね、このまま諦めて引いてくれれば良いのですが…。
暫く睨み合っても、一向に動く気配が無い。何かこの状況の打開策はないかと考えていた。
ん、……狙えますかね?
私が一歩踏み出すと、魔物達は後退りながら身構える。
やっぱり、滅茶苦茶警戒されてますね…、ですが。
「ふっ!」
私は呼吸を止めて、持っていた剣を投げ飛ばした。そして、足元の剣を拾い上げ別の魔物へ。
ザシュザシュ!!
私が投げた剣は魔物の目を貫き、頭部に突き刺さった。そして倒れる二匹の魔物達を尻目に二本の剣を回収する。
すると、流石に不利だと感じたのか生存本能がそうさせたのか、生き残った魔物達は脱兎の如く逃げ出していった。
「……ふう。」
ようやく一息がつけた私は、改めて周囲の様子を窺った。
既に他の魔物の姿は無く、生き残っていたのは私達だけだったらしい。
「た、助かったの?私達…。」
「そ、そうみたいだ…。」
私の後ろで安堵のため息を吐く子供達、何とか守り切る事が出来たらしい。
そして、私はこれからの事を考える…。
一度、村に戻って皆に無事を伝えるべきでしょうか?ですが、あまり広めてしまうのも…。
やはり、此処は夜中にこっそり戻って、シエルさんとセレナさんにだけ伝える方が…。
「あ、あの!」
思案に耽っていると、後ろから声を掛けられた。
「何ですか?」
「その、助けて貰って…本当にありがとう御座いした!そして、御免なさい!!」
子供達を代表して、年長の男の子と女の子が私に頭を下げた。
さて、此方はどうしましょう?私が生きているという事は勿論口止めしておくべきでしょうが…。
「別に気にしなくてもいいです。ただ、今から言う事だけは守って下さい。」
「ん?な、何だ!?」
「…分かっているとは思いますが、私が生き残ったと言う事は絶対秘密ですよ!それが貴方達の為にもなるのですから。」
「え?私達の為!?」
困惑している女の子に、私は分かりやすい説明を始めた。
「貴方方が生き残れたのは、必死に逃げたからと言う事にした方が良いのです。
悪魔の子に護られたと知られたらどうなると思いますか?」
「「あっ…!?」」
あのレイシストが司祭をやっているような国だ、きっと不浄なる者としてこの子達も処刑されるだろう。
そして私の説明を受けた子供達は青い顔のまま、私の事を秘密にすると約束してくれた。
状況を理解出来ない様な幼子が居なかったのは幸いだった。
そして、年少の男の子が私に向かってある疑問を投げ掛けた。
「ねえちゃん、何時までその状態で居るつもりなんだ?」
「はっ…?」
男の子の指摘に私は自分の体を確認して…
「ひゃあああああああ!!!???」
私は慌てて蹲ってしまった。
「あの、此れを…。」
同い年ぐらいの女の子が、私に兵士のマントを持って来てくれた。
私が蹲っている間に男の子達と協力して色々回収してくれたらしい。
この世界の子供達は死体を見慣れているのか、あまり動じずに必要とされるものを死体から集めていた。
「これから国を出るんだろ?此れを持って行ってくれよ。」
マントを腰に巻いていると、さっきの男の子が私に布袋を渡してくれた。
中にはかき集めただろう銀貨が詰まっていた。
「ありがとう御座います…。」
私がお礼を言うと、男の子は照れたように頬を掻いていた。
おや?この反応は…、もしかして私に惚れやがりましたか?
クラスの男子の件で同世代の男の子が苦手になっていた私だけど、こういう反応されるのは悪くない。
まあ、私がこの子に惚れる事はありませんが。私の好みはもっと大人で誠実な人なので。
「では、そろそろ近くの町まで向かいましょうか?」
「「え?」」
私の言葉にあからさまに戸惑う年長二人。
「貴方達だけで、向かうつもりなのですか?さっきの魔物が諦めたとは限りませんよ?」
「う、そ、そうだよな…。」
「う、うん。一緒に居てもらった方が安心だよね…。でも…」
「言っておきますが、私が送るのは町の傍までですよ。流石に中には入れませんから。」
「あ、ああ!それで全然構わないよ!」
「じゃあ、向かいましょうか!」
―――――――…
子供達を近くの町の傍まで届けてその場で別れた後、私は村まで戻ってきた。
「本当に便利ですね…。半日の距離が1時間程で済んでしまうなんて…。」
村へ戻る道中、私は力の制御の訓練がてら一度本気で走ってみた。
勿論、何度も転んだり、跳ねすぎて宙を舞うなんて事もあったが概ね自分の力を理解出来ていた。
私の力は段階を踏んでいて、全力を出していると徐々に力が増していくという感じだった。
其の力にとあるゲームを思い出す。レースゲームだ。
これはアレですよね…車で言うところのシフトを上げていくというような…。
短時間の訓練では限界が見えなかった。
状況が落ち着いたら修行に励むというのも悪くは無いですね。
そんな事を考えながら深夜の村を歩く。
そして、この世界に来てから、三ヶ月以上もお世話になっていた村長宅に辿り着いた。
「…流石に玄関は開いてませんよね。」
と言う訳で、私は自室の窓から進入する事にした。
…と、皆さんを起こさないようにしないと…。
アレから私は考えた。やっぱり直接は知らないままの方が良いと。
そして、部屋に降り立った私は自分の服を回収して着替えを済ませる。
デニムのショートパンツに地味で動きやすいシャツそして其の上にジャンパーを羽織る。
私が転移してきた時の格好だった。
流石にこの服装では目立つだろうから、其の上にマントを着けている。
セレナさん達に向けた手紙を残し、銀貨の入った布袋から半分程お金を取り出す。
「…あまり多すぎても迷惑になりますかね?」
というより不気味に思われそうですよね…。
そう思った私は銀貨を半分回収して部屋から出る。
「…あれ?何故涙が…。」
私は逃亡者だった。この国に戻って来る事はもうない。
私は涙を拭いながら村を出る。
手紙は読んでくれるだろうか?そんな事を考えながら彼女は闇夜に消えていった。
”ありがとう”という手紙を書き残して。