第1話
暑い夏の日だった。
じわじわとアスファルトから熱気が襲って来て、歩いているだけでも汗が出てくる。頭上からは日光が容赦なく照らしてきて、二重苦だ。
暑いのは、苦手だ。
アパートまであと少し、というところで俺は変なものを見つけてしまった。
俺のアパートの階段部分に座り、斜めに倒れるように手すりに寄りかかっている、うちの学校の生徒。
小さくため息をつく。家を生徒に教えたことはないが、偶然なのかなんなのか、沸騰しそうな頭では判断ができない。わかるのは相手が男子高校生ということくらいだ。階段の前まで来て足を止める。相手は目を瞑ったまま動かない。確かこいつは、2組の。
「進藤?」
俺が声をかけるとパッと進藤は目を開けた。
整った顔立ちで、手足が細くて長い。ああそういえば進藤はこういうやつだったな、と思い出す。
勉強もソツなくこなし、教師連中からも好かれてるいる。ただ、休み時間は教室でいつも1人、ひっそりと本を読んでいる。そんな感じの生徒。多分女子生徒からはモテるんだろうな、と考えながら、なんでここにいるんだ、という言葉は飲み込んだ。
「先生、ここに住んでるって聞いて。」
進藤はまっすぐに俺の顔を見るとはっきりとそういった。
「誰に聞いたんだ全く。プライバシーの侵害だぞー。」
冗談っぽく言いながら、内心本気で腹を立てていた、誰だ勝手なことしてくれた奴は。
「俺が、わからないところ夏休み中に知りたいから、って言って担任に無理やり聞いたんだ、ごめんなさい。」
2組の担任は小笠原か、あいつ今度あったら絞めよう。
「暑い中待ってたんだろ、とりあえず鍵開けるから中に入れ。」
俺の部屋はアパートの二階にある。カンカンと小気味良い音を鳴らすアパートの階段を振り返らず先に進み、自分の部屋の前で鍵を取り出す。カチリ、と鍵の開いた音がして俺は進藤を招き入れた。
「男の1人世帯だから綺麗ではないぞ、早く入れ。」
進藤は一瞬遠慮したように身構えたものの、すぐに決心したようにお邪魔します、と言って部屋に入って来た。2LDKのなんの変哲も無いアパート。まあわりとマメに掃除はしているから突然人が来てもなんとか対応はできる。
「あんなところで待ってて熱中症になってないか?悪かったな、さっきまでホームセンターに行ってて。」
なぜか言い訳じみたことを言いながら麦茶を2人分入れ、立ったままの進藤の前において座るように促す。進藤はちょっと狼狽えたように麦茶を見つめ、それからストンと座った。いつも物静かな姿しか見てないせいか、こういう反応をされるとある意味新鮮だ。
テーブルを挟んで向かい合って座って、麦茶を一口飲むと、で?と話を聞くことにした。
「今なんの問題やってんの、わからないところって?」
そう聞くと慌てたようにカバンに手を突っ込んで何かを探し始めるが、すぐに諦めたようにその手を止める。小さく息をついて、俺の目をまっすぐに見つめながら途切れ途切れに話し出す。
「すみません、わからないことがあると言ったのは、勉強ではなくて。騙すみたいな真似してすみません。」
俺はきょとんと進藤を見つめる。
勉強以外で教えられることってなに?
俺と進藤が見つめ合う時間がやたらと長く感じる。
先に根をあげたのは進藤だった。
「あの、実は、俺に恋愛を教えて欲しいと思って。」
ん?ちょっと待て意味がわからない。
進藤がこの俺に、恋愛を教えてくれ?俺よりもてるくせに?いやこれは若干僻みが入ってるが、恋愛云々ならお前の方がスペシャリストだろと言いたいのをぐっとこらえた。あと他の可能性といえば。
「進藤はゲイなの?」
言葉を濁すのもアレなので、スパッと聞いて見る。
するとフルフルと首を振って否定する。
「女の子の方が好きです。でも2年になって、先生の授業受けてたら、俺はいつの間にかあなたの背中ばかりを追っていました。」
言われるのが恥ずかしいような照れるようなことを言われてしまった。まあ言わせたのは俺なんだけど。
「恋愛を教えてって具体的にどういうこと?人と付き合ったことはあるんだろ?」
照れ隠しを含めてそう切り返すと、これにはこくんと頷いた。
「ただ、自分から好きになったのは先生が初めてで……あ、もちろん同性を好きになったのも。だから、なにもわからないからつい教えて下さいなんて。迷惑ですよね。」
しょんぼりとされて、俺もどうしたら良いのか困った。同性に告白されたのも初めてだし、それが自分の受け持っている教科の生徒とはなんともやりにくい。
俺も進藤も無言で、外から聞こえるセミの声だけが響き渡った。
「………………」
俺は無言で立ち上がり、クーラーを入れて窓を閉めた。
まるでそれが、2人の秘密の始まりのように。
元の位置に戻ると、進藤に静かに尋ねる。
「やりたい盛りの興味本位って事じゃないのか?」
進藤は一瞬で顔を赤くして、すごく微妙な顔をした。あ、これは俺で抜いたことがあるなこいつ。
「興味本位じゃないです、あの、やりたくないって言ったら嘘になりますけど、そういうのの前に、キスしたりデートしたり、したいし……。」
おいおい学校で見せてるクールビューティっぷりはどうした、ってほど真っ赤になってるので、おもわず笑ってしまった。
進藤が怪訝そうに見てくるので、ごめん、と謝って思っていたことを口にした。
「学校での様子とあんまり違うから。笑って済まん。バカにしたわけじゃないよ。」
16歳と、36歳。言いだすにはずいぶん勇気がいったに違いない。20歳差がなにをもたらすか、賢いこの子は分かっているだろうから。
ゆっくりと相手の顎を撫でて、そのまま開襟シャツから覗く鎖骨をすっと撫でる。
進藤は過剰なほど反応して、驚いた顔でこっちを見てる。
「俺に、教えられると思う?」
指をするりと引っ込めながら聞いて見る。進藤は不安そうに俺を見ながら、こくんと頷いた。
「せんせい以外に、触られたくない。」
こうして、俺と進藤の秘密の関係は始まったのだ。