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巫女 Ⅰ

【天神の巫女】




 斜陽が巨大な都市を照らし、すべてを茜色に染め上げる。平時であれば美しいと感じるであろう景色を前にしても、彼女の表情が和らぐことはなかった。


「あれが……」


 硬い表情で呟く。彼女たちの目的地であり、最後の戦いの場。心を押し殺し、数えきれない命を踏みつけにしてようやく辿り着いた街は、形は違えど人々の生活の場であることが見て取れた。


「……やはり、そうでしょうね」


 それは彼女の期待を裏切るものだったが、今さら引き返すことはできない。茜色の街から視線を外すと、彼女は背後に控える軍勢に目をやった。


 神々の啓示を受けた英雄たち。彼らの旗の下に集まった人々は多く、その数は十万を超える。兵士として正規の訓練を受けた人間は少ないが、数は力だ。そして、通常であればあり得ないほどに、神々は彼らに力を与えていた。


 だが、相手は長年にわたって世界に君臨していた大国だ。神々の尋常ではない介入があってさえ、大半が命を落とすだろう。これまで彼らを弔ってきた自分も、次は弔われる側になるかもしれない。


 その想像に一抹の甘い響きを感じながらも、彼女は首を横に振った。これまでの戦いで失われた命はゆうに百万を超えている。目的を果たさずして、自分が彼らの下へ逝くことは許されない。


 最後に『自分』として笑ったのはいつだろうか。もはや『天神の巫女』の仮面の下には何も残っていないが、それでもやらなければならない。それが自分の存在意義なのだから。


 強張った表情で、彼女は丘の上に立ち続けていた。




 ◆◆◆




「――はぁっ、はぁっ……!」


 神官に与えられる簡素なベッドの上で、シンシアは荒い息を吐いていた。全身が汗だくであり、衣服どころか寝具までぐっしょりと湿っている。


 彼女は汗を拭くと、新しい衣服に着替える。年若い神官は相部屋が常だが、幸いなことに、シンシアは『天神の巫女』として個室を与えられている。そのおかげで、他の人間を起こさないよう気遣う必要はなかった。


 だが、それは裏を返せば孤独だということだ。すがる相手もなく、彼女は一人で呼吸を落ち着けようとしていた。


「はぁ、はぁ……」


 少しずつ呼吸が平静を取り戻していく。『彼女』の夢を見るようになってから、もう五年以上が経つだろうか。内容は時系列にそったものではなく、同じ夢を見る時もある。

 目の前で失われる命。風聞によって失われたと知る命。その中には自ら死地に赴かせたものも含まれており、彼女の心を消耗させた。


「ぅぅ……」


 シンシアは無意識に胸を抑えた。夢の内容も彼女を消耗させるが、何より辛いのは『彼女』の感情を共有することだ。悲嘆、後悔、哀悼、責務。様々な想念が色濃く渦巻き、彼女の心を搦め取ろうとする。


『彼女』の夢を見た回数は、この五年で百回を超える。今だに埋まらない欠片はあるものの、大体の流れは分かるようになっていた。


 シンシアは知っている。『彼女』が責務を全うしようと、最後まで力を振り絞ったことを。

 そして――これが現実に起きた出来事だということを。


「……もうすぐ、起きる時間ですね」


 時間の見当をつけたシンシアは、特製の籠で眠る鳥の雛に目をやった。ノアはまだ眠っているようで、動き出す気配はない。だが、その姿を確認することで、ここが夢の中ではないと実感することができた。


「今日は、試合の日じゃありませんよね……」


 シンシアは今日のスケジュールを思い浮かべて、小さく溜息をついた。こんな日は第二十八闘技場を訪れてミレウスと話をしたい。そんな思いに駆られるが、次の救護担当は二日後だったはずだ。


 実を言えば、用事もなく第二十八闘技場の近くをうろうろしたことは何度かあった。すっかり活気を取り戻したとは言え、シンシアは三十七街区の復興担当神官だったのだ。それを言い訳に近くまで行ったことはあるのだが、闘技場の中へ入る勇気はなかった。


 それに、少し前に『極光の騎士(ノーザンライト)』の引退の件で非番の日に押し掛けたばかりだ。これ以上勝手をして嫌われたくなかった。


「『極光の騎士(ノーザンライト)』さん……」


 そして、彼女の思考は憧れの英雄に向かう。『夢』で見た聖騎士(勇者)たちと比べても遜色のない最強の剣闘士。たとえ何があっても、『極光の騎士(ノーザンライト)』がいれば大丈夫。そんな安心を与えてくれる英雄はもういない。


 彼は自分に何も言わずに去ってしまった。当然だ。もし旅に従者が必要であれば、自分が付いていく。あの時、その言葉を最後まで言えなかったのはシンシア自身だ。ただ命を助けられただけの自分が、それ以上のことを望むのは図々しいと分かっている。


 自分は『極光の騎士(ノーザンライト)』の隣に立つにはまだまだ力不足だ。あの『紅の歌姫(スカーレット・オペラ)』クラスの実力がなければ、仲間だなんておこがましいことは言えない。


「でも……」


 それでも、ミレウスは自分のことを『極光の騎士(ノーザンライト)の戦友』と言い切ってくれた。その言葉は本当に嬉しいものだったし、置いて行かれてショックを受けた心が楽になったことも事実だ。


 だが、だからこそ。たった一言でいい、別れの挨拶がしたかったという思いは募る一方だった。


「『極光の騎士(ノーザンライト)』さん……どうして……」


 湿ったシーツを胸元に抱えたまま、シンシアはぼそりと呟いた。




 ◆◆◆




「私に、お客様ですか?」


 朝の勤めを終えて、少し遅い朝食を取っていたシンシアは、予想外の来客に目をぱちくりさせた。彼女は『天神の巫女』という高位の称号を持っているが、実務上は大した権限がない。

 さらに、「『天神の巫女』を一目見てみたい」というただの物好きは取り次がないよう神殿長から厳命があったこともあり、『天神の巫女』との面会を希望する者は少ない。


「はい、シンシア司祭にお目通りしたいとのことです」


 だが、シンシア自身に用事がある人間も皆無ではない。代表的なところで言えば、三十七街区の顔役であり、マルガ商会の主であるセイナーグだろう。ただ、彼とは二日前に話をしたばかりであり、わざわざ神殿を訪れるとは考えにくい。


「どなたですか?」


「ユミル商会のヴェイナードと名乗る方です。第二十八闘技場の関係者だそうですが……」


「ヴェイナードさん、ですか……?」


 シンシアは小首を傾げた。その名前に心当たりはない。だが、第二十八闘技場の関係者という名乗りが真実であれば、無下に追い払うわけにもいかないだろう。

 シンシアが支配人のミレウスや秘書のヴィンフリーデと親しいことは闘技場内では知られているため、調べてすぐにバレるような嘘をつくとも思えなかった。


「分かりました、お会いします」


 ひょっとしてミレウスの使いだろうか。そんな気持ちが彼女を後押しする。


「それでは、第六応接室へお通ししておきます」


 シンシアは法服を整え、指定された部屋へと向かう。彼女を待っていたのは、見覚えのあるハーフエルフだった。


「初めまして、ユミル商会のヴェイナードと申します。闘技場移転の頃から、第二十八闘技場とは懇意にさせていただいております」


 その挨拶は、彼とシンシアが初対面であることを認めるものだった。だが、シンシアはヴェイナードのことを知っている。ハーフエルフは目立つ上に、闘技場の関係者しか入れないフロアで何度か見かけたことがあるからだ。

 闘技場関係者を装った別人ではない。そのことにほっとしたシンシアは、少し警戒を解いた。だが、相手の用事は皆目見当もつかないことも事実だった。


「マーキス神殿司祭のシンシア・リオールです。あの、どのようなご用ですか……?」


 疑問を正面からぶつけられても、ヴェイナードの表情は変わらない。相変わらず丁寧な笑顔を浮かべている。


 ――なんだかミレウスさんと似ているような……。そんな感想を抱いていると、ヴェイナードは来訪の目的を口にした。


「実は、『極光の騎士(ノーザンライト)』のことでお伺いしたいことがあるのです」


「え……!?」


 思わず声を上げる。帝都を去った憧れの英雄。今もショックを受けているシンシアにとって、その名前は反応せずにはいられないものだった。


「シンシア司祭は、巨人騒動の際に『極光の騎士(ノーザンライト)』と行動を共にしたと聞いています」


「はい。それが何か……?」


 唐突な『極光の騎士(ノーザンライト)』の話題に警戒心をかき立てられるが、それ以上に強い興味がシンシアを捉える。


「実は、『極光の騎士(ノーザンライト)』の人となりを教えていただきたいのです。『極光の騎士(ノーザンライト)』は剣闘試合の場にしか姿を見せませんでしたからね。それ以外の場面で行動をともにしたことがあるのは、シンシア司祭くらいなものでしょう」


「人となり、ですか?」


 意外な答えに目を瞬かせる。今さら、それを知ってどうしようと言うのだろうか。『極光の騎士(ノーザンライト)』の伝記でも書くつもりなのか。そう尋ねると、ヴェイナードからすぐに答えが返ってきた。


「ユミル商会は、巨人騒動の折に『極光の騎士(ノーザンライト)』に大きな恩を受けました。その恩をいつか返そうと、密かに献上する品々をご用意していたのですが……」


「そう、ですか」


 シンシアは内心で首を傾げた。『極光の騎士(ノーザンライト)』に恩義を感じている者は多い。自分自身もその一人だから、彼が言いたいことはよく分かる。だが……。


「そのことと、『極光の騎士(ノーザンライト)』さんの人となりに、何か関係があるのでしょうか……?」


極光の騎士(ノーザンライト)』はもういない。今さらかの英雄のあれこれを詮索したところで、手遅れではないのか。


「『極光の騎士(ノーザンライト)』が剣闘士を引退した理由は、なんらかの極秘依頼を受けたからだと考えています。そして、かの英雄が剣闘士を引退して臨むほどの任務であるなら、それは非常に困難なものでしょう。

 その時には、私たちがご用意していた魔道具や水薬ポーションが必ずお役に立つはず。そこで、私は『極光の騎士(ノーザンライト)』の行方を捜すつもりなのです」


「行方を、探す……?」


 それは予想外の回答だった。自分にはなかった発想に、シンシアは思わず身を乗り出した。


「ええ。雲を掴むような話だとは自覚しています。ですが、どうしても『極光の騎士(ノーザンライト)』のお役に立ちたいのです。

 そして、『極光の騎士(ノーザンライト)』の人となりを知ることで、なんらかのヒントが掴めないかと、そう願っています」


「そうですか……」


 人によっては一笑に付すような話だろう。だが、今のシンシアにはこの上ない妙案に思えた。


「……分かりました。私でよければ、ヴェイナードさんにご協力します」


「ありがとうございます。お礼と言ってはなんですが、行方の見当がついた暁には、シンシア司祭にもお伝えしましょう」


「あ、ありがとうございます……!」


 こちらの願いを先に言い出されて、シンシアは思わず口ごもった。相変わらず穏やかな笑顔を浮かべたヴェイナードは、姿勢を正して問いかける。


「それでは、早速ですが……『極光の騎士(ノーザンライト)』について、どのような印象をお持ちですか?」


「強くて、頼りになって……でも、優しくて周りを気遣うことのできる方、でしょうか」


 シンシアは必死で頭を回転させる。だが、相変わらず人を評するための語彙力は今一つだった。それでも、ヴェイナードは失望した様子もなく話を続ける。


「最強の剣闘士ともなれば、豪快で自己中心的なイメージを抱いている人も多いようですが……」


「そんなことないです。『極光の騎士(ノーザンライト)』さんは、細かいところまで色々と気を遣ってくれます。戦い以外でも、消耗した私を慰めてくれたり、歩く速度を合わせてくれたり……」


 一緒に行動した時のことを思い出しながら、シンシアは質問に答える。少し恥ずかしい気もするが、『極光の騎士(ノーザンライト)』の話ができることは嬉しいことだった。


「強さに驕らず、あくまで紳士的な方だったのですね」


「はい……! あれだけ強いのに、そのことに驕らないなんて、なかなかできないことだと思います」


 そして、『極光の騎士(ノーザンライト)』がいかに素晴らしい人間であるかを滔々と説いていく。一方的に話し過ぎたと我に返る時もあったものの、そのたびにヴェイナードから話を続けてほしいと言われていた。


 そうして、『極光の騎士(ノーザンライト)』の話をしてどれほど経っただろうか。話題は『極光の騎士(ノーザンライト)』と『大破壊ザ・デストロイ』対(ドラゴン)の試合へ移っていた。


「――そうでしたか、シンシア司祭があのお二人に治癒魔法を使っていたんですね。あれだけの激戦の後で、なぜ体力や魔力がもったのか不思議だったんです」


 自らも試合を観戦していたというヴェイナードは、得心がいったというように頷いた。


「いくら『極光の騎士(ノーザンライト)』とはいえ、あの場にシンシア司祭がいなければ、古竜エンシェントドラゴンを仕留めることはできなかったでしょう」


「いえ……私にできたのは、それだけでしたから」


 そう謙遜しながらも、シンシアは彼の言葉に引っ掛かりを感じた。その違和感の正体に思いを巡らせている間にも、ヴェイナードは言葉を続ける。


「やはり『極光の騎士(ノーザンライト)』は素晴らしい人物ですね。古竜エンシェントドラゴンの襲来をとっさに試合に仕立て上げ、人々を落ち着かせる機転。いかにランキング一位とはいえ、剣闘士の目線ではなし得ないことです」


「……!」


 シンシアは沈黙した。答えに詰まったからではない。違和感の正体が分かったからだ。同時に、緩んでいた警戒心がまた呼び起こされる。


「シンシア司祭、どうかなさいましたか?」


 突然口を開かなくなったシンシアに、ヴェイナードが気遣わしげな顔を向けた。だが、今なら分かる。あの顔は心からのものではない。


「どうして――」


 シンシアはキッとヴェイナードを見つめた。


「あの特別試合を、どうして古竜の襲来(・・・・・)だと決めつ(・・・・・)けているん(・・・・・)ですか(・・・)?」


「ああ、また間違えてしまいました。私は小心者でして、あの時古竜(エンシェントドラゴン)を見た瞬間に『襲撃だ!』と思ってしまったのです。その印象が強くて、今でもしょっちゅう間違えるんですよ」


 それでもヴェイナードの仮面は崩れない。弁解の内容も矛盾があるほどではなかった。だが――。


「もう一つ、質問です。……ヴェイナードさんは、どうしてあの(ドラゴン)古竜エンシェントドラゴンだと思ったのですか?」


 そう。先程の違和感の正体はこれだった。あの戦いを襲来だと捉えることはまだ分かる。だが、あの(ドラゴン)古竜エンシェントドラゴンであることを知るのは、ごく一部の人間だけだ。


「私たちハーフエルフは、モンスターの生態にも通じていますからね。公にはされていませんが、私の見立てではアレは古竜エンシェントドラゴンのはずです」


 ヴェイナードはスラスラと答える。だが、シンシアが質問を口にした瞬間、彼の表情がわずかに動いた。その変化に気付くことができたのは、なかなか本心が読めないガロウド神殿長やミレウスを相手にしているおかげだろうか。


「よく考えたら、不思議なところは他にもあります。そもそも、どうして私のところへ来たんですか……? 『極光の騎士(ノーザンライト)』さんのことを知りたければ、ミレウスさんのところへ行くはずです」


 彼が『極光の騎士(ノーザンライト)』とコンタクトを取れる唯一の存在であることは周知の事実だ。であれば、普通はそちらに当たるのでないか。


「私が知りたいのは、『極光の騎士(ノーザンライト)』の剣闘士以外の側面です。そこに、行方を追う手掛かりがあると感じました」


 ヴェイナードはしれっと答える。だが、シンシアの疑念はそれだけではない。


「どうして、私を訪ねて神殿へ来たんですか……? 私たちは初対面ですから、神殿へ直接来るんじゃなくて、ミレウスさんに紹介してもらうのが一般的ですよね……?」


 シンシアは四日に一度の頻度で闘技場を訪れている。わざわざ神殿に押し掛ける必要などないはずだった。


「シンシア司祭が『極光の騎士(ノーザンライト)』に後で合流する可能性を考慮して、取り急ぎ神殿に伺ったのです」


「私が、『極光の騎士(ノーザンライト)』さんに……?」


 シンシアは虚を突かれた。たしかに、それは自分が願っていたことだ。だが……。


「そんな予定は、ありません」


 自分に言い聞かせるように、はっきりと答える。ヴェイナードの言葉が言い訳だったのか、それとも本心だったのかは分からない。だが、その言葉がシンシアの心を揺らしたことは事実だった。


「……」


 それっきり、シンシアは沈黙を貫くことにした。これまでの会話で、ヴェイナードが弁の立つ人物であることは分かっている。迂闊に口を開いても相手に丸め込まれるだけだろう。


 そうして、どれくらい沈黙の時間が流れただろうか。先に動いたのは、少し表情を崩したヴェイナードのほうだった。


「……シンシア司祭、申し訳ありませんでした」


「あの、なんの謝罪ですか……?」


 シンシアの言葉は、皮肉でも駆け引きでもない。ただ、純粋に意味が分からなかった。


「重要なカードを伏せたままで、この話に臨んだことです」


 だが、ヴェイナードはそうは取らなかったらしい。彼は姿勢を正すと、衝撃の言葉を告げた。


「――私は、『極光の騎士(ノーザンライト)』がまだこの帝都にいると考えています」


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