地下都市 Ⅰ
再び訪れた地下遺跡群は、以前と変わらない姿で俺たちを出迎えてくれた。
「へえ……ミレウスに聞かされていても半信半疑だったけど、こうなると信じないわけにはいかないね」
街のように広がる古代遺跡群を見て、ユーゼフは面白そうに口を開いた。魔法とはあまり縁のない彼だが、それでも数千年前のものと見られる街並みには興味をひかれたようだった。
「これが全部、古代魔法文明の遺跡だなんて……! 夢でも見ているのかしら」
そしてレティシャはと言えば、興味を引かれるどころではなかった。遺跡群を見て息を呑んだ彼女は、一歩も動かずに立ち尽くしている。どこから注目していけばいいのか、と悩んでいるのだろう。
「……そろそろいいか?」
それなりに時間が経過した頃、俺はきょろきょろと遺跡群を見回していたレティシャに声をかけた。
「あ……ごめんなさい。遺跡に圧倒されていたわ」
彼女ははっと我に返ると、ばつの悪い表情を浮かべた。
「気持ちは分かるし、後で好きなだけ調べればいいさ」
笑顔で答えると、周囲を慎重に観察する。シンシアと訪れた時は巨大ワームと戦闘になったものだが、今の時点ではモンスターの姿や気配は感じられない。とは言え、あの時も突然地中から襲撃されたわけだし、油断はできなかった。
「そうそう、ミレウスに強化魔法をかけておくわね」
その様子を見て察したのだろう、レティシャが声をかけてくる。
「ああ、頼めるか?」
「もちろんよ。パーティーメンバーの強さは全体の安全に直結するもの。出し惜しみはしないわ」
機嫌よく応じたレティシャは、精神集中に入る素振りを見せたところでふと動きを止めた。
「どうした?」
「ねえ、あの魔導鎧が使っていたのは、どんな強化魔法だったのかしら。慣れの問題もあるし、同じ魔法がいいでしょう?」
レティシャの言葉に納得する。隣で聞いていたユーゼフが変な顔をしているのは、俺とユーゼフ以外の人間が、あの魔導鎧の話をしているからだろう。
『極光の騎士』の正体がバレたことは説明済みだが、すぐには意識が切り替わらないようだった。
「筋力強化だ。レティシャなら使えるだろう?」
「ええ、強化魔法の基礎だもの。それで、他には?」
「他には、って……?」
質問の意味が分からず、逆に訊き返す。すると、レティシャも戸惑った様子だった。
「そうね……ほら、鋭威付与とか防御とか――」
「特に使ってなかったが……」
あえて言うなら、筋力強化とは異なる強化魔法として英雄の盃を使用したことはあるが、滅多に使わなかったしな。そう伝えたところ、レティシャの表情が強張った。
「……ちょっと待って。じゃあ、ミレウスは筋力強化だけで『極光の騎士』として戦っていたの……?」
「いや、もちろん魔法剣なんかも使ってたぞ。というか、レティシャとも戦ったことがあるんだから、知ってるだろ?」
「それはそうだけど、そういう意味じゃなくて……」
どうにもレティシャとの会話が噛み合わない。その齟齬を修正してくれたのは、突然笑い出したユーゼフだった。
「『紅の歌姫』、君が考えている通りだよ。筋力さえ伴えば、ミレウスは剣闘士の上位ランカーと張り合えるのさ」
そう説明するユーゼフは、なんだか嬉しそうだった。その一方で、レティシャは口元に手を当てて驚きを表現している。彼女がここまで驚いた顔を見せたのは久しぶりだな。
「ミレウスって、そこまで強かったの……!? 『金城鉄壁』に勝つのも当然だわ」
「そんな大したものじゃないさ。筋力強化がなければ、十回に九回は敗けるからな」
謙遜を抜きにして、本気で答える。それでもレティシャは態度を変えなかった。
「筋力強化を使ったところで、強化された身体を使いこなせない戦士は多いもの。……あなたって、いったい何者なの? どこで剣を学んだの?」
付き合いの長い彼女が、まるで初対面のような質問を投げかける。なんだか変な気分だった。
「自宅、かな。親父から教わったから」
「ミレウスのお父さんから?」
それは予想外の答えだったのだろう。レティシャは目を白黒させていた。
「そうなるな」
「ついでに言うと、僕の師匠でもあるけどね」
「え……?」
ユーゼフが口を挟んだことで、レティシャはさらに驚いたようだった。それでも混乱していないあたりは、さすが頭脳明晰な魔術師といったところか。
「『金閃』の師って……あの人よね? 『闘神』って呼ばれていた……」
「うん、そうだよ」
「あの人が、ミレウスのお父さんだったの!?」
「ん――?」
俺は小さく首を傾げる。今のレティシャの表現は、なんだか――。
「血縁関係はないよ。親父の実子はヴィーだけだからね」
「ヴィンフリーデ? ……あなたたちの関係がさっぱり分からなくなってきたわ」
ついに、レティシャが頭を抱えそうな表情になっていた。少しからかいすぎたか。反省していると、ユーゼフが口を開く。
「あはは、そんなに複雑な関係じゃないよ。どうせ目的地に着くまで時間はあるんだし、好きなだけミレウスに訊けばいいさ」
「ええ、そうさせてもらおうかしら」
レティシャはさっと気分を切り替えたようだった。いつもの調子で応じると、筋力強化の詠唱を始める。
「……ありがとう、助かる」
やがて筋力強化の効果が現れたことを自覚した俺は、レティシャに手短に礼を言った。
「ふふ、これくらいお安い御用よ」
彼女は面白そうに笑うと、俺とユーゼフを交互に見る。
「さあ、行きましょう? 『極光の騎士』と『金閃』が前衛なんだもの。どんな敵が相手でも負ける気はしないわ」
「それに、後衛は『紅の歌姫』だからね。第二十八闘技場の剣闘士ランキングのトップスリーが集まっているんだから、何も怖いものはないさ」
「まあ、そうだが……」
そんな二人の声に同意しつつ、俺は念のために警告する。
「言うまでもないだろうが、気を抜くなよ。古代遺跡に危険はつきものだし、謎の襲撃勢力もある。何が起きるか分からない」
「ああ、分かっているよ『極光の騎士』」
「ええ、分かっているわ『極光の騎士』」
すると、二人は同時にからかうような声を上げた。その返事に俺は渋面を浮かべる。
「だから、俺はもう『極光の騎士』じゃないと……」
抗議の声は、二人の笑顔の前にかき消される。俺が『極光の騎士』であった事実。そして、『極光の騎士』でなくなった事実。そこには、三者三様の捉え方があるのだろう。
だが、二人に対する信頼のせいだろうか。不思議と、嫌な気分にはならなかった。
◆◆◆
「ユーゼフは岩石竜を頼む! レティシャはワームの群れを焼き払ってくれ! それまでは俺が抑える!」
言葉と同時に、俺たちはぱっと三手に別れた。地下の遺跡群を進んでいた俺たちを襲ってきたのは、岩石竜が一体と、以前にも遭遇した巨大ワームが三体だった。同時に襲ってきたところを見ると、共生関係にあるのだろうか。
ユーゼフは岩石竜に真空波を放って気を引くと、巨大ワームから離れるように、少しずつ位置をずらしていく。
そして、俺はレティシャを背後に庇う形で真正面からワームと対峙した。突き進んで奴らを斬り刻んでもいいが、魔法を詠唱しているレティシャが無防備になってしまう。
「――ミレウス、行くわよ」
その言葉を聞くなり、俺はさっと横へ跳んだ。レティシャの射線を開けるためだ。
「火炎網」
俺がいた空間をかすめて、巨大な炎の網が投じられる。網の大きさはかなりのもので、巨大ワームが避けることはできないと思われた。だが――。
「意外と素早いのね」
空振りに終わった炎の網を見て、レティシャは冷静に呟いた。火炎網に捕まったと思われたワームたちは、驚異的なスピードで地面に潜ったのだ。
「レティシャ、俺から離れるなよ」
「あらあら、今日のミレウスは情熱的ね」
軽口を叩きながらも、俺たちはワームの気配を感じ取ることに集中していた。地面に潜った巨大ワームは、どこから出てくるか予想がつかない。
一番まずいのは岩石竜と戦っているユーゼフが狙われることだが、ワームは岩石竜を恐れているのか、一定以上の距離には近づく様子がない。狙われるのはこっちだろう。
やがて、足下の振動を感知した俺はレティシャを片手で引き寄せると、その場を飛び退いた。円筒のような口を開けたワームが飛び出し、レティシャがいた空間を飲み込む。
「――っ!」
不充分な体勢ながらも、俺は剣を一閃させた。剣身は斜めにワームを斬り裂くが、分断するには至らない。ダメージは与えつつも、分裂増殖をさせないための方策だった。
斬り裂かれて暴れているワームを横目に、俺は再びステップを踏む。二体目の巨大ワームが地中から襲い掛かってきたのだ。その攻撃をかわし、反撃しようとしたところで、俺は再びレティシャごと飛び退った。
「これで全部か」
三体目の攻撃を避けると、俺は再びレティシャを背後に庇った。振り出しに戻ったように見えるが、俺たちだって学習している。
「石壁」
レティシャが使用したのは、強固な石壁を出現させる魔法だ。だが、ぱっと見ではどこにも石壁が出現した様子はない。それに構わず、俺は奴らに向かって突き進んだ。
突撃してきた俺を迎え撃とうとしているのか、巨大ワームたちは俺のほうへその口吻を向けた。そこから吐き出された岩塊を避けると、手近にいたワームの頭部を縦にかち割る。さらに、横合いから伸びてきた別のワームたちの頭部をも中途半端に斬り裂いていく。
「レティシャ!」
声をかけると、俺は斜め後方に飛び退いた。それと入れ替わりに、再び巨大な炎の網が放たれる。再び地中に退避しようとした巨大ワームたちだが、その動きは鈍い。
それはそうだろう。奴らの直下の地面は、レティシャの石壁によって固められていたのだから。さらに、俺が頭部を中途半端に断ち割ったことにより、掘削能力も上手く発揮できていないようだった。
地中へ逃げ込めなかった巨大ワームたちを、紅蓮の網が捕らえた。膨大な熱量がワームの身を焼き焦がし、その質量を削っていく。俺の予想通り、剣で斬った時には何度も分裂・再生をしていたワームの再生能力は、炎には通用しないようだった。
消し炭になったワームを確認すると、俺たちはユーゼフの加勢に向かった。数はこっちのほうが多かったが、ユーゼフの相手は全長三メテルほどの竜だ。
厳密に言えば、岩石竜は竜ではなく亜種らしいが、見た目はごつごつとして固そうな甲殻に覆われた竜にしか見えない。恐らくは、防御力に優れた亜竜なのだろう。
「ユーゼフ!」
十メテルほどの距離まで近付くと、俺はユーゼフに声をかけた。その音に反応したのか、岩石竜の首がこちらを向いた。その瞬間、ユーゼフの魔剣が岩石竜の首筋を斬り裂く。
「硬いな……」
その光景を見て、俺は小さな声でぼやいた。ユーゼフの魔剣は空間に働きかける特性を持っているせいか、非常に切れ味が鋭い。それこそ鋭威付与が常時発動しているようなものだ。
だが、その魔剣をもってしても致命傷には至っていない。呆れた頑丈さだった。
振るわれた尾を避けると、俺はユーゼフの反対側に回り込んで刺突を繰り出した。鱗らしきものの継ぎ目に差し込んだおかげか、剣身の一部が岩石竜の肉体に埋まる。
怒った岩石竜が暴れる前にと、剣を抜いて後退する。予想通り、暴れだした岩石竜は、物凄い勢いで俺に向かって突進してきた。
「おっと――」
岩石竜の突進を余裕を持ってかわすと、俺は方向転換している岩石竜の動きを見守る。
どうやら、次の標的はユーゼフらしい。そのことを悟った俺は、ユーゼフ目がけて駆け出した。と言っても、彼を庇うためではない。
「ォォォ!!」
くぐもった雄叫びとともに、岩石竜がユーゼフへ突進する。だが、その巨体がユーゼフに触れることはなかった。空間に刻まれた黄金の線条が、岩石竜を押し留めたのだ。
岩石竜の質量と速度が、ユーゼフの煌めく軌跡と激突し、一瞬動きが止まる。その直後、俺は岩石竜目がけて剣を繰り出していた。
剣の切っ先が岩石竜の退化した右目に突き刺さり、突き破る。刺突の角度を調整した突きが、岩石竜の頭部を内部から貫いた。
「ォォォ……」
やがて、どう、と岩石竜が倒れる。その巨体が倒れると、岩石竜を挟んで向かい合っていたユーゼフと視線が合った。ユーゼフもまた、煌めく軌跡でできた隙を突いて、岩石竜の左目を抉っていたのだ。
目が合った俺たちは、同時にニヤリと笑った。
「大したものね……戦士の天敵とされる岩石竜を、こんなにあっさり倒すなんて」
そこへレティシャが声をかけてくる。その声には、素直な称賛の響きがあった。
「この小さな目を正確に突き刺す技量もそうだし、連携も見事だったわ」
「連携……?」
そう言われて、俺とユーゼフは同時にお互いを見た。あまりピンと来なかったからだ。
「ミレウスは、『金閃』が突進を煌めく軌跡で受け止めると予想して、『金閃』の所へ向かったのよね?」
「ユーゼフならそうすると思ったからな」
「そして、『金閃』は岩石竜の突撃を煌めく軌跡で受け止めた後、右側に回った。あなたが目を狙うつもりだったなら、左側に回り込んだほうが利き腕的に楽だったはずよ。
それでも右側に回り込んだのは、左側にはミレウスがいて、同じように突進後の硬直を狙うはずだって、そう考えたからじゃない?」
「ああ、言われてみればそうだね」
ユーゼフは、今気が付いたかのように答える。その気持ちは俺にもよく分かった。おそらくレティシャの分析通りなのだが、長年の付き合いであり、無意識にやっていることのため、言語化されないと気が付かないのだ。
レティシャもそのことに気付いたのだろう。彼女は呆れたような表情を浮かべた。
「さすが兄弟弟子と言うべきなのかしら……」
「まあ、僕たちは星の数ほど手合わせをしたし、数えきれないほど一緒に狩りもしたからね。戦いの呼吸は分かるよ」
「ああ、たしかにな」
ユーゼフの言葉に同意する。兄弟弟子が皆こうではないだろうが、少なくとも俺たちはこんな感じだ。
「本当に、今日は驚かされてばかりね……」
レティシャはしみじみと呟いた。そして、岩石竜の素材を一部回収すると、俺たちはディスタ闘技場の直下にある遺跡へ向かった。