引退 Ⅱ
「本当に引退するのね……驚いたわ」
『極光の騎士』が引退を発表してから五日後。俺は『紅の歌姫』レティシャの訪問を受けていた。
彼女にしては動きが遅い気がしたが、支配人として伝えられる内容はすべて掲示してあるし、尾ひれのついた噂は帝都中を駆け巡っている。わざわざ俺に確認する必要もなかったのだろう。
「勝ち逃げされるようで気に入らないか?」
「まさか。エルミラと『金城鉄壁』みたいに実力伯仲の関係ならともかく、私は一度も『極光の騎士』に勝てなかったもの。それを勝ち逃げだと言うほど図々しくないわ」
そう語るレティシャから嘘は感じられなかった。剣闘士五十傑の上位ランカーはこぞって「勝ち逃げだ!」と憤っていたらしいから、これは剣闘士と魔術師の価値観の相違というやつだろうか。
「それにしても、ミレウスは大変ねぇ。皇帝にも呼び出されたのですって?」
「試合を観にきていたからな。皇城に呼ばれるのに比べれば、だいぶ手間が省けた」
そのおかげか、政府筋からの問い合わせは思っていたより少なかった。とは言え、熱心なファンや貴族からの問い合わせは多く、騒ぎが沈静化するまでにはもう少し時間がかかると思われた。
ここ数日で発生した引退絡みの案件をあれこれ思い出していると、レティシャが顔を近付けてくる。彼女は俺の表情を読み取ろうとしているようだった。
「ミレウス、怒ってないの?」
「怒るって、何にだ?」
「『極光の騎士』によ。突然引退されて、ミレウスは大変でしょう? それとも、あなたにだけは知らせていたのかしら」
「いや、そういうわけじゃないが……受け入れるしかないからな」
「ふぅん……どうせなら、あと一回試合をしていってくれたらよかったのにねぇ。このままじゃ、次の闘技場ランキングの集計に入らないでしょう?」
「……まあ、そうだな」
俺は渋い表情を浮かべた。レティシャがそこまで考えていたことは驚きだが、彼女の言葉は正しい。『極光の騎士』は闘技場ランキングの集計開始前に引退したため、優秀な剣闘士を抱えているという加点要素が大幅に減点される見込みだ。
もちろん、それまでの九か月ほどはランキング一位にいたわけで、その部分の加点はあるが、集計期間の最新……つまり最終日の位置づけがより重要となってしまうのだ。
「……こんな重要な時期にいなくなってしまうんだもの。きっと深い理由があったんでしょうね」
近付けていた顔を離すと、彼女はゆっくりと支配人室の窓に近付いた。そして、窓の外を眺めながら口を開く。
「あなたのことだもの。集計期間に考えが及ばなかったなんて、そんなはずないわ」
窓際に立ったまま、彼女はこちらを振り向いた。どこか寂しそうな視線がまっすぐ俺を捉える。
「――ねえ、『極光の騎士』?」
「――!」
俺の表情が強張ったのは、ほんの一瞬だったはずだ。だが、じっと俺を見つめているレティシャに気付かれなかったとも思えなかった。
「……疑念を抱いたのは、『極光の騎士』が古竜と戦っていた時よ。あんな非常事態なのに、ミレウスはどこにもいなかった。
これだけ闘技場を大切にしているあなたが、あのタイミングで姿をくらませるなんてあり得ない」
「……」
どうごまかすべきだろうか。たしかに、レティシャは『極光の騎士』の正体を訝しんでいるフシがあった。
「あの時は地下遺跡にいたと言っていたけれど、私が地下階段の入口に張った結界に反応はなかったし、強力な転移魔法が使われた気配もなかった。あなたが地下遺跡にいなかったのは間違いないわ」
俺は言葉に詰まった。こと魔法については、レティシャに圧倒的な優位があるからだ。その間にも彼女は話を続ける。
「じゃあ、ミレウスは何をしていたのか。非常事態を迎えている闘技場にとって、支配人の不在より重要なこと。……それは、試合そのものよ」
小さく息を吐くと、レティシャは首を振った。
「考えてみれば、おかしな話だもの。たまたま『極光の騎士』が第二十八闘技場に所属してくれて、剣闘士登録を抹消されない程度に戦って、闘技場の結界にうってつけの古代遺跡の場所を教えて、古竜の襲撃を試合だってごまかして……帝都の英雄なのに、あまりに都合のいい存在だわ」
「それは――」
「最初は突飛な考えだと思ったわ。けれど、『極光の騎士』の正体がミレウスなら、すべてが綺麗に収まる。普段はまったく姿を見ないのに、帝都の危機には颯爽と現れることだって説明がつくの」
彼女の言葉は、推測ではなく断言だった。頭の回転の速さに加えて豊富な魔法の知識。言を弄してごまかすには、レティシャはあまりに難敵だ。
「……俺にそれだけの実力があるなら、堂々と剣闘士になっているさ。支配人が剣闘士を兼ねることは敬遠されるが、例がないわけじゃない」
俺はそう返すのが精一杯だった。だが、彼女が納得した様子はない。
「ミレウスだって、『金城鉄壁』に勝つほどの剣技を身に着けているじゃない」
「ダグラスさんにまぐれ勝ちした程度で、上位ランカーと渡り合うことはできないさ」
「そこなのよ。『極光の騎士』は魔法戦士だけど、魔法を使わなくても上位ランカーと互角以上に渡り合っていたわ。だから、ミレウスを『極光の騎士』だと仮定するなら答えは一つ。……あの鎧、強化魔法の効果を持った魔導鎧でしょう?」
「っ!」
再び顔が強張る。彼女の洞察力の高さには舌を巻く思いだった。
「『千変万化』のように、鎧の下に魔道具を隠し持っている可能性も考えたけれど、あの鎧全体から魔力を感じるもの」
「『極光の騎士』は多彩な魔法を使用している。鎧一つでどうにかなるものじゃないさ」
クリフが聞けば心外だと言われそうな言葉で、なおも弁解を試みる。
「最初はそう思ったけれど、あの古代遺跡のことを考えれば、そんな魔導鎧があってもおかしくないわ。……あの遺跡で見つけたの?」
『極光の騎士』の正体が俺だと、レティシャは完全に確信しているようだった。もうごまかすことはできない。俺はしばらく目を閉じると、覚悟を決めた。
「……いや、嘆きの森だ。地下遺跡を見つけたのは巨人騒動の時だからな」
俺は、自分が『極光の騎士』であることを認めた。もはや確定事項だったからか、レティシャの表情に驚きはない。
「そう……」
その代わりとでも言うように、彼女の瞳には再び寂しそうな色が浮かんでいた。
「本当は、こんなことを言うつもりはなかったのよ。いつか話してくれるだろうって、そう思っていたから」
それでもレティシャが行動に移した理由は、『極光の騎士』の引退宣言にあるのだろう。俺が誰にも正体を告げず、『極光の騎士』を闘技場界から消滅させるつもりだと悟ったのだ。
彼女は俺に背を向けると、窓から空を見上げた。
「ミレウスから正体を明かしてくれるの、待ってたんだけどなぁ……」
それはわざとらしい口調だったが、レティシャの真意だということは分かった。
「……悪かった」
すると、彼女は少し慌てた様子で首を横に振った。
「謝ることじゃないわ。理由があって隠していたんでしょう?」
彼女の口調は、責めるどころか気遣うようなものだった。その言葉に押されるように俺は口を開く。
「あの魔導鎧は強力すぎる。いくら魔法の武具が認められているとはいえ、あれは俺の実力だとは言えないし、他の剣闘士や観客を騙すことになる」
「だから正体を明かさなかったの?」
「第二十八闘技場を闘技場ランキング一位に押し上げるためには、ユーゼフ以外にも上位ランカーが必要だった。だから、『極光の騎士』として剣闘試合をしていたことに後悔はない。だが、それを俺の功績にするわけにはいかない」
ユーゼフには、何度か正体を明かしてはどうかと言われたこともある。だが、そこだけは譲れなかった。
「……ミレウスって、意外と武人肌だったのね」
『極光の騎士』なのだから当然だけど、と意外感のある表情でレティシャは呟いた。その言葉に、俺は肩をすくめて答える。
「似合わないのは自覚してる」
「でも、色々と納得したわ。……ふふ」
そしてレティシャは嬉しそうに笑う。その意味が分からず、俺は目を瞬かせた。だが、彼女はなんでもないように話題を戻した。
「それで、どうして引退したの? 七十一闘技場の事故の件もあるし、今は正念場でしょう?」
「あの鎧には回数制限があったんだよ。もう動かすことはできない」
包み隠さず問いかけに答える。魔導鎧との、そしてクリフとの別れを思い出したせいか、俺の口調はしんみりしたものだった。それに気付いた俺は、ごまかすように言葉を続ける。
「ひょっとして、レティシャなら再起動させることができないか?」
「ええと、そうね……」
レティシャの表情が、気遣うようなものから考え込むものへと変わる。そのことにほっとしながら、俺は彼女の言葉を待った。ごまかすために口にした言葉だが、もし本当に再起動できるならそれに越したことはない。
「そもそも、回数制限のある魔法の武具なんて珍しいから……」
だが、レティシャは難しい顔を見せた。
「そうなのか?」
「これが魔道具なら、込められた魔力が尽きるまで、という意味で回数制限があるものも珍しくないわ。けど、武具は繰り返し使用する前提があるためか、半永久的に機能するものが多いのよ。
魔力だって、一時的に魔力切れを起こすことはあっても、しばらく休ませていれば回復するものばかり」
「あの魔導鎧もそうだったな」
俺が同意すると、レティシャは余計に難しい表情を見せた。
「だから不思議なのよ。そもそも、鎧に回数制限を付与することの意味が分からないわ」
「たしか……正式な契約じゃないから、五十回だけだとか言っていたような気がする」
おぼろげな記憶を掘り返すと、レティシャは目を丸くして驚いていた。
「契約!? あなた、あの魔導鎧と契約していたの?」
「……まずかったのか?」
なんだか気まずい思いで問いかける。ひょっとして呪いのような制約でもあるのだろうか。
「そうじゃないけれど……契約術式を組み込んだ魔導鎧なんて、よっぽど――」
言いかけたレティシャだが、彼女は突然納得した様子だった。
「あれだけ多種多様な魔法を使えて、強力な強化魔法の効果まであるんだから、それくらいのセキュリティは当然かもしれないわね」
「ああ、たしかにな」
俺が納得していると、レティシャは興味深そうに顔を覗き込んできた。
「けど、そんな術式を鎧に組み込むなんて、その魔導鎧は古代文明のもので間違いないわね。今の魔法技術ではそんなことできないもの」
「そうか……」
それはつまり、あの魔導鎧を再起動させる当てがないということだ。少し気持ちが沈みそうになった俺は、大きく深呼吸をして気分を切り替えた。
もともと、魔導鎧の再起動は諦めていたのだ。だからこそ引退宣言もしたし、こうして事後処理に当たっている。
「ところで……」
そんな気分を切り替えるべく、俺は話題を変えることにした。今はとにかく、できることを一つずつ片付けていくしかない。
「レティシャ。ちょっと冒険者稼業に戻ってみないか?」
「……? 突然どうしたのよ」
突然切り替わった話題に彼女は首を傾げた。それに構わず、俺は依頼内容を口にする。彼女なら興味を持つだろうという確信もあった。
「ここの地下にある古代遺跡なんだが、外に空間があることが分かった。なんというか……あの遺跡は、古代遺跡群のほんの一部でしかなかったんだ」
「それ本当なの!?」
予想通り、この話はレティシャの興味を引いたようだった。彼女は興奮した様子で俺の手を掴む。
「それで、外はどんな感じなの? どうやって外に出たの?」
「そうだな、発端は――」
矢継ぎ早に質問を投げかけるレティシャに、俺は先日あった出来事を説明した。地下遺跡に侵入を試みた形跡があったこと、遺跡の出入口を開放したこと、その外に古代のものと見られる都市が広がっていたこと。それらの話を、レティシャは瞳を輝かせて聞いていた。
「帝都の地下に、そんな広大な古代遺跡があったなんて……」
居ても立っても居られなくなったのか、彼女は俺の手を引いて立ち上がらせようとする。こんなにはしゃいでいるレティシャは久しぶりだな。
「レティシャ、まさかとは思うが……今から行くつもりか?」
「当たり前じゃない! 古代遺跡群と聞いて、血が騒がない魔術師なんていないわよ。それに、襲撃者だって気になるんでしょう?」
「だからこそ、安全を重視するべきだろう。モンスターも出るわけだし」
「でも、古代遺跡のことは秘密なんでしょう? 他に当てなんて……」
「ユーゼフにも手伝ってもらう予定だ」
俺は援軍の名前を告げた。本当ならシンシアにも手伝ってもらいたいところだが、彼女は以前の地下探索で調子を崩していた。今は元気そうに見えるが、あの場所と相性が悪いようだし、無理に連れて行かないほうがいいだろう。
「『金閃』なら、パーティーメンバーとして不足はないわね」
俺の説明を聞いて、レティシャは納得したように頷いた。剣闘士は連携に向いていないが、俺とユーゼフはしょっちゅう手合わせをしているし、一緒に動物やモンスターを狩ったことも無数にある。
また、レティシャは元冒険者だし、ユーゼフとは何度も試合で戦った仲だ。お互いの技量はある程度分かっているだろう。即席のパーティーにしては悪くない構成だ。
「いっそヴィンフリーデも連れて行けば、ダブルデートになるかしら」
「ヴィーに戦闘力はないから駄目だ」
その言葉をあっさり却下しながらも、俺は内心で少し考え込んだ。彼女はユーゼフとヴィンフリーデの関係に気付いているのだろうか。それとも、単に地下遺跡のことを知っている人間として選んだのか。
なんであれ、レティシャにはその部分を追及するつもりはないようだった。
「ふふ、ダブルデートのほうは否定しないのね。嬉しいわ」
「どうしてそうなる……」
楽しそうなレティシャに肩をすくめる。そして、俺たちは地下遺跡へ潜る日取りや計画の詳細を詰めていった。