引退 Ⅰ
数あるセキュリティを突破した先にある、第二十八闘技場の小さな地下室。まだ魔導鎧を身に着けたまま、俺はクリフと最後の挨拶を交わしていた。
「――今まで、クリフやこの鎧には本当に助けられた。感謝してる」
『おや、いつになく神妙な様子ですね。主人らしくないのではありませんか?』
そう返してくるクリフの声にも、いつもの軽妙さがない。そんな気がするが、単に俺がそう思いたいだけかもしれない。
「クリフと話すのも今日が最後だからな。神妙にもなるさ。嘆きの森でこの鎧を見つけた時から……もう五年くらいの付き合いか」
そして、ポツポツと当時の話をする。特に記憶に残っているのは襲撃事件や巨人騒動、そして古竜との戦いだが、それ以外にも様々なことがあった。
むしろ、こうして最後の一回を波乱なく終えられたことが信じられないくらいだ。
『主人と共に在ったこの数年間は、驚きの連続でしたからね。それを思うと、いささか寂しい気持ちはあります』
「そう思うなら、起動回数を復活させる方法を教えてみないか? これからも驚きの連続だと思うぞ」
俺は冗談めかして告げる。いつもはぐらかされてきた質問だが、今日という日なら何か聞き出せるかもしれない。そんな下心もあった。
『それについてなのですが……実は、主人に一つお願いがあります』
「お願い?」
俺は首を傾げた。ひょっとして、回数復活に関係する何かだろうか。そう期待していた俺に帰ってきたのは真逆の言葉だった。
『この魔導鎧を、完全に破棄してほしいのです』
「破棄だって!?」
思いがけない言葉に驚きの声を上げる。だが、クリフは冷静に言葉を続けた。
『地中深くに埋めて……いえ、できれば海中に沈めてもらいたいのです。二度と、誰にも引き上げられないように』
「それは……」
俺は口ごもった。自力では動けない魔導鎧を海中深くに沈める。それを自殺のようだと思うのは考え過ぎだろうか。
『……主人が見せてくれた景色は、私にとって衝撃的なものでした。そして同時に、先代の判断は間違っていなかったのだと確信することができました』
長らく沈黙している俺を説得するように、クリフから念話が伝わってくる。だが、言葉の意味はさっぱり分からなかった。
「先代の判断……?」
訊き返すと、しまった、という念がクリフから伝わってくる。
『昔の話です。知らないほうが……いえ、知る必要はありません。ともかく、魔導鎧は廃棄してください』
「嫌だと言ったら?」
『主人の身に危険が及ぶ可能性があります』
「危険? どうして危険な目に遭わなくちゃならないんだ?」
『……いえ、優れた魔導鎧ともなれば、欲しがる輩はいくらでもいますからね』
その言葉には一理あった。たしかに、こんな破格の性能を誇る魔導鎧を所持していることが広まれば、後ろ暗い手段で手に入れようという輩もいるだろう。
だが、クリフの言う『危険』は、そういう意味ではないように思えた。
「本当にそれだけか?」
『もちろんです。それとも、主人はこの鎧に価値がないとおっしゃるのですか?』
「いや、そういう訳じゃないが……」
最後まで、クリフは重要なことをはぐらかすつもりのようだった。俺の身を案じている雰囲気は伝わってくるため、どうにも上手く聞き出せない。
やがて、どうしても教えるつもりがないことを悟り、俺は説得を諦めた。
「分かった。無理に聞き出すことは諦めるよ」
『聞き分けがよくて助かります』
ほっとした様子のクリフに、俺ははっきり宣言した。
「……ただし、廃棄はしない」
『ですが――』
「生憎だが、戦友を海に沈める趣味はないんだ」
クリフの言葉を遮って告げる。それは俺の衷心からの声だった。そして、さらに言葉を付け加える。
「それに、俺は貧乏性だからな。鎧を捨てるなんてもったいない」
俺は悪戯っぽい笑みを浮かべた。クリフに見えているかは分からないが、そうせずにはいられなかったのだ。
『あなたと言う人は……』
クリフは深い溜息をついた。念話で溜息が伝わってくるのもおかしなものだが、そうとしか表現できない念が伝わってきたのだ。
「心配しなくても大丈夫だ。よっぽど闘技場の経営が傾かない限り、売りに出すつもりはないさ」
『経営の危機が訪れた時には売り払うと、そう聞こえますが……まあ、いいでしょう』
「え? いいのか?」
予想外の返答に思わず訊き返す。
『なんだかんだ言って、主人がお人好しであることは知っていますからね。私の願いを蔑ろにすることはないと信じています。
戦友を海に沈めたくない人が、その戦友をお金のために売り払うとも思えません』
「……約束はしないからな」
俺はぶすっとした口調で答えた。闘技場の経営が傾いたとしても、この魔導鎧を売り払うことはないだろう。それはクリフの指摘通りだ。
俺は兜を脱ぐと、次いで魔導鎧を身体から外していく。初めのうちは全身鎧に強い違和感を覚えたものだが、今では無意識に着脱ができるほど馴染んでいる。だが、それも今日までだ。
ちょっとした感傷に浸りながら、次々と魔導鎧を取り外す。最後に鎧を綺麗に組み立てると、俺は魔導鎧に面と向かって立った。
魔導鎧と共に戦った記憶が脳裏を走り抜ける。この鎧がなければ切り抜けられなかった場面は幾つもある。こうして生きていられるのも魔導鎧のおかげだ。
「今まで……本当にありがとう」
短く、それだけを告げる。未練がましいことを言いたい気持ちはあるが、意地でその感情を抑え込む。
『……』
クリフの返事はなかった。もう契約が切れてしまったのだろうか。長らくその場に留まっていた俺は、意を決して腰を上げた。
「……じゃあな、相棒」
そして、身を翻す。出口の扉に手を掛けた瞬間、ふとクリフの声が聞こえた気がした。
『――主人……ありがとうございました』
◆◆◆
「もう、信じられないっ!」
ヴィンフリーデの憤慨した声が支配人室を震わせる。ここ数年で一番といっても過言ではない彼女の怒りは、すべて『極光の騎士』に向けられていた。
「なんの相談もなく引退するなんて、いくらなんでも身勝手よ! ミレウスがどれだけ苦労すると思って――」
「『極光の騎士』にも事情があったんだろう」
俺は『極光の騎士』を庇おうとするが、ヴィンフリーデは呆れた様子で首を横に振った。
「どうしてそんなに寛容なのよ。現に『極光の騎士』の引退のせいで、山のような問い合わせに忙殺されているじゃない」
「まあ、皇帝に呼び出されたくらいだしなぁ……」
俺はしみじみと呟いた。『極光の騎士』が引退宣言を出した後、俺は試合を観ていたイスファン皇帝に呼び出されていたのだ。
理由はもちろん、『極光の騎士』の引退宣言についてだ。皇帝も『極光の騎士』の進退は気になるらしい。
引退することを事前に知らされていたのかと聞かれたため、「引退宣言を聞いて、慌てて真意を確認しに行った」とごまかしたのだが、とりあえずは信じてもらえたようだった。
「うーん……そんなにあっさり受け入れられるものなの? ユーゼフだって、勝ち逃げで引退されたのに怒ってないみたいだし」
それはそうだろう。ユーゼフは『極光の騎士』の引退を事前に知っていた唯一の人間だからな。悔しがってはいるだろうが、怒ることはないはずだ。
「ユーゼフは心が広いってことだろ? いい話じゃないか」
幼馴染を仲間外れにしていることに罪悪感を覚えるが、もう『極光の騎士』が試合の間に立つことはない。このまま真実に蓋をしていればいい話だった。
「……それにしても、物凄い反響ね。今日は試合がないのに、闘技場前が人だらけよ」
「このままだと、憲兵あたりから苦情を受けそうだな。少し整理するか」
「ミレウスが顔を出したら、もっと混乱するんじゃないかしら?」
「じゃあ、今日はエントランスとロビーだけ開放して、第二十八闘技場としての公式見解でも貼り出しておくか」
「それはそれで、行列ができそうね……」
話が変わったことにほっとしながら、ヴィンフリーデと業務の話を続ける。そして話題が次の興行に移ったところで、支配室の扉がノックされた。
「誰だ?」
今日は興行がないことを考えると、従業員の誰かと思われるが、今日は『極光の騎士』引退の話でごった返している。血気にはやった『極光の騎士』のファンが支配人室に突撃してきた可能性もあった。
支配人室の扉が開き、訪問者が顔を覗かせる。どうやら、俺の予想は両方とも正解のようだった。そこにいたのは、うちの関係者にして、『極光の騎士』の熱心なファンでもあるシンシアだったのだ。
俺と目が合うと、シンシアは慌てた様子で口を開いた。
「すみません、その……どうしても、ミレウスさんに確認したくて」
「『極光の騎士』のことか?」
「は、はい……」
シンシアは神妙な顔で頷いた。なんだか気まずそうな雰囲気を醸し出しているのは、非番の日に支配人室を訪れたからだろうか。
「引退は事実だ。もう、『極光の騎士』が第二十八闘技場で戦うことはないだろう」
「そう……ですか」
しゅんとした様子のシンシアにまたもや罪悪感を覚えるが、それが第二十八闘技場としての見解だ。
「シンシアちゃん、大丈夫?」
「はい……大丈夫です」
軽く頭を振ると、シンシアはヴィンフリーデに笑顔を向けた。だが、どう見ても作られた笑顔だ。無理やり浮かべた笑顔のまま、シンシアは俺のほうを振り返る。
「『極光の騎士』さんの目的地とか、そんなことって――」
「いや、教えてもらえなかった。この街から離れることは間違いないだろうが」
「そうですか……」
再びシンシアは肩を落とした。小柄な身体がさらに小さく見える。そう言えば、『極光の騎士』が旅立つなら従者として付いていきたいと、以前に言っていた気がするな。置いて行かれたことを嘆いているのだろうか。
「シンシアちゃん、もし『極光の騎士』の目的地が分かったら、付いていくつもりなの?」
そこへヴィンフリーデが口を挟む。シンシアは俺をちらりと見ると、困ったように俯いた。
「……分かりません」
彼女自身も心の整理ができていないようで、困惑顔のまま沈黙する。だが、やがてぽつりと口を開いた。
「……私、『極光の騎士』さんに何も恩返しできませんでした。命を助けてもらったのに、なんのお役にも立てなくて……」
「そんなことはないと思うが……古竜戦なんて、シンシアがいなければ体力が尽きていたはずだ。回復してもらってもギリギリだったからな」
落ち込むシンシアに声をかける。後で聞いたところによると、あの時シンシアが使った『神々の慈愛』は最高位に近い治癒魔法だったらしい。魔導鎧の魔力残量をも回復したのだから、一般的な治癒魔法の領域を超越した魔法だったはずだ。
そのことだけでも、彼女は充分恩を返したと思うのだが、自分を過小評価する傾向がある彼女のことだ。そういった自覚はないのだろう。
「はい……」
シンシアはしょんぼりしたままだった。しばらく沈黙が続いた後で、彼女は窺うように顔を上げる。
「あの、ありがとうございました。……非番の日なのに、図々しく訪ねてすみませんでした」
そしてぺこりと頭を下げる。浮かべている笑顔は相変わらず固いものだが、彼女の精一杯なのだろう。
「お仕事を邪魔した私に、言う資格はないかもしれませんけど……『極光の騎士』さんの引退で、ミレウスさんも大変ですよね? もしお手伝いできることがあったら、言ってくださいね」
「ああ、ありがとう。じゃあ、ガロウド神殿長にこの話を伝えておいてもらえるかな」
シンシアの気遣いに笑顔を返すと、これ幸いと用事を押し付ける。すでにディスタ神殿から経緯を教えてほしいとの依頼が入っているし、マーキス神殿だって気にしていることだろう。
それに、一つくらい用事を頼んでおいたほうが、彼女も落ち着くかもしれない。
「は、はい……! 分かりました」
了承の返事を返すと、シンシアは椅子から腰を浮かせた。
「それじゃ、今日は失礼します。……その、本当にすみませんでした。救護神官の立場を利用して――」
「気にしてないさ。シンシアは『極光の騎士』の戦友……仲間だからな。ここに押し掛ける権利はある」
それは本音だった。『極光の騎士』にとって、彼女は巨人騒動をともに切り抜けた仲間なのだから。
「私が、『極光の騎士』さんの仲間……」
だが、彼女にとっては新しい認識だったらしい。シンシアはその言葉を小声で繰り返す。やがて、彼女は俺を見上げた。
「あの……ありがとうございます」
少し固さの取れた笑みを浮かべると、シンシアは支配人室の扉へ向かう。彼女は扉を開くと、振り返りざまにもう一度笑顔を見せた。
「……やっぱり、ミレウスさんは凄いです」
「え?」
言葉の意味を訊き返す間もなく、扉はぱたんと閉められた。