最終試合 Ⅳ
試合の主導権を握るべく、魔法剣を主軸にして戦術を組み立てていた俺の耳に響いたのは、ユーゼフの自信ありげな言葉だった。
「もう一度、斬撃結界を仕掛けるよ」
「なに……?」
その宣言に目を見開く。三度同じ技は使わないと、そう言ったのはユーゼフだ。それでもなお宣言するということは、他にも斬撃結界の応用技があるのだろうか。
俺がそう考える間にも、ユーゼフは動き出していた。もはや見慣れた黄金の軌跡が空間に刻み込まれ――。
「なんだ……?」
生み出された煌めく軌跡を見て、俺は首を傾げた。『金閃』の二つ名の由来となる黄金の斬撃が赤みを帯びていたのだ。
煌めく軌跡の輝きを気に入っているユーゼフが、わざわざ変色させたのだ。そこには別の意味があると思っていいだろう。
『これはどうしたことだぁぁぁっ!? 煌めく軌跡が赤みを帯びているぞぉっ!?』
だが、今のところ色以外に変わったところはない。設置動作もいつも通りだし、滞留している斬撃の大きさも変わらない。
その様子を訝しんだ俺だが、いつまでも守勢に回ってはいられない。周囲を囲みつつある煌めく軌跡を警戒しつつも、俺は魔法剣を繰り出した。
『次元斬』
長射程の魔法剣を振るうと、進路上にあった煌めく軌跡がまとめて爆発する。そのまま剣の軌道を変えてユーゼフを狙うが、次元斬はユーゼフの魔剣によって食い止められていた。
「相変わらず強力だ……!」
次元斬の力場とユーゼフの魔剣が激突する。お互いに押し込もうとするが、状況は一進一退だった。と――。
「ん?」
俺は奇妙な感覚に首を傾げた。鍔競り合いは今も続いており、今も正面にはユーゼフがいる。それにもかかわらず、背後に圧力を感じたのだ。
一瞬悩んだ後で、俺は打ち合わせていた次元斬を解除した。そしてそのまま横に跳んだ俺は、背後にあった圧力の正体を確認する。
「これは――!?」
そこにあったもの。それは、赤金色に輝く斬撃だった。あんなところに煌めく軌跡は設置されていなかったはずだ。混乱が俺を襲うが、事態はそれだけではすまなかった。滞留する斬撃が動いたのだ。
「っ――!」
それは決して早い速度ではなかった。だが、煌めく軌跡はその場から動かないものだと決め込んでいたせいで、俺の反応が少し遅れた。
赤金色の煌めく軌跡に捉えられる瞬間、俺は右手の剣を叩きつけた。
その衝撃で身体が吹き飛ぶが、あの煌めく軌跡を食らうよりはマシだ。そんな確信があった。
吹き飛ばされ、ゴロゴロと転がった俺は、立ち上がるなり体勢を調える。その間にも、大量の赤金の軌跡が俺を包囲しようとしていた。
『これはっ!? リ、煌めく軌跡が動き出したぁぁぁっ!? 『金閃』が初めて見せた大技だぁぁぁっ!』
「無茶苦茶だな……」
思わず呻く。凶悪な破壊力を秘めた斬撃が、少なく見積もっても二十個以上迫っている。近づく前に迎撃したいが、位置がばらけているため、一撃で消滅させることは難しいだろう。
数少ない広範囲攻撃である雷霆一閃なら可能かもしれないが、客席に被害が出る可能性があるし、何よりユーゼフ相手にチャージタイムを稼げるとは思えなかった。
「雷突槍」
少しでも情報を得ようと、最も接近していた煌めく軌跡に魔法を放つ。雷の槍が赤く輝く煌めく軌跡と激突し、大きな衝撃波を撒き散らした。
技と魔法の衝突はあっさり試合の間を抉り、その様子は煌めく軌跡の破壊力を改めて認識させた。だが……。
俺は剣を構えると、風魔法で威力増幅した真空波を立て続けに放った。真空波と激突した煌めく軌跡は爆発を起こし、そして消えていく。
「……動くようになった分、持続力は落ちたようだな」
本来の煌めく軌跡であれば、真空波が直撃しても消えることはなかっただろう。そういう意味では、対処しやすくなったとも言える。
「――その代わり、こんなこともできるよ?」
声とともにユーゼフが距離を詰めてくる。真空波による迎撃を中止すると、俺はユーゼフと剣を打ち合わせた。幾度もお互いの剣が閃き、高速の攻防が続く。
『主人、高エネルギー体が多数接近しています』
『分かってる!』
そんな中にクリフの警告が割って入る。それはそうだろう。ユーゼフと剣を交えている今も、煌めく軌跡は俺目がけて接近していた。だが、ユーゼフと戦いながら、煌めく軌跡を真空波で迎撃する余裕はない。
煌めく軌跡は今も移動を続けており、俺を包囲するように動いている。あれらが一斉に殺到したなら、さすがの魔導鎧も耐えられない。冷や汗が俺の背中を伝った。
『クリフ、魔法を連続で射出し続けることは可能か?』
クリフに問いかける。剣でユーゼフと戦いながら、魔法で煌めく軌跡を迎撃するしかない。それが俺の結論だった。
『射出頻度によりますが、おそらく主人の希望には沿えないでしょう。鎧に刻み込まれた魔法は、魔力がある限り何度でも使用できますが、発動のたびにその魔法の構築回路を一から十まで読み込む必要があります』
『……なら、別々の魔法を並行起動することは?』
俺の脳裏に『紅の歌姫』の戦いぶりが甦る。彼女は同時に複数の魔法を使用できる。それなら、魔導鎧にも同じことができないだろうか。
『……完全に同じタイミングで起動することは不可能ですが、わずかにタイミングをずらしてよいのであれば、疑似的な並行起動は可能です』
『大丈夫だ。むしろ、そのほうが都合がいい』
『ですが……主人の負担はかなりのものになると思われます。魔法の射出ポイントを決定するのは主人ですから、下手をすれば一秒間に十近い魔法の射出先を決定する必要があります。また、射出先の指示が滞ると、魔法が暴発して自爆する可能性も――』
『構わない。普通にやっていたら、どうせ煌めく軌跡にやられるだけだ』
覚悟を決めて念話のやり取りを終える。そして、俺は無茶な魔法起動を指示した。
『射出系の魔法をすべて起動』
煌めく軌跡はもう目前まで迫っている。ユーゼフの意思に従って自在に動くのか、輝く軌跡はその場に留まっているようだった。ということは、ユーゼフが絶好のタイミングと判断した瞬間に、俺に殺到するのだろう。
その前に潰す。ユーゼフと剣を交えながら、俺は発動した魔法を矢継ぎ早に放った。氷雨、火炎球、鎌鼬、岩石槍、氷蔦、雷突槍、石礫弾、竜巻――。
多種多様な魔法が一、二秒のうちに射出されていく。目的を定めずに魔法だけを起動していたツケは大きく、射出先の決定だけでも脳に大きな負担がかかる。しかも、それをユーゼフと斬り結びながら行うわけで、俺の頭は煙が出そうなほどフル回転していた。
剣を交わす俺たちの周囲で、絶え間なく爆発が起きる。煌めく軌跡は魔法を避けて俺へ迫ろうとしていたが、魔法の弾幕を抜けることはできず、そのどれもが爆発・霧散していたのだ。
『凄まじい戦いだぁぁぁっ! 高速で剣を交えながらも、煌めく軌跡と魔法が次々と爆発を起こしているぅぅぅっ!
この戦闘がたった二人の剣闘士によって行われていると、いったい誰が信じられるでしょうか! これはもはや部隊戦闘の領域だぁぁぁっ!』
俺はユーゼフの剣を弾き、足下を狙う。一撃目は剣で払われ、続く二撃目はステップでかわされるが、問題はない。俺の狙いは、ユーゼフの意識が下へ向かうことで、中空にある煌めく軌跡の動きが鈍ることにあった。
さすがのユーゼフも接近戦と煌めく軌跡操作の並行処理は難しいようだった。もちろん俺も同じ条件だが、広域知覚のような魔法を使用しながら戦った経験のおかげか、次第に脳が馴染んでいく感覚があった。
ユーゼフの意識が下に向かった瞬間に、射出速度が遅い岩石槍を近くの煌めく軌跡にぶつける。さらに風裂球を別の煌めく軌跡に直撃させ、ユーゼフの剣を受け止める。
お返しとばかりに剣を振るいながら、火炎球を背後の煌めく軌跡に放ち、受け止められた剣を引いて再度斬りかかる。フェイントの最中に雷突槍で煌めく軌跡を迎撃しながら、ユーゼフの死角へ回り込もうとする。
あまりに目まぐるしい戦いであり、少しでも気を抜けば致命的な失敗をするだろう。そんな状況が長く続く。
だが、確実に変わっていることが一つあった。煌めく軌跡の数だ。一時は三十を超えていた煌めく軌跡だが、もはや残りは三、四個といったところだ。
ユーゼフも戦いながら煌めく軌跡を設置していたが、無茶な魔法起動をした甲斐あって、生成速度はこちらのほうが上のようだった。このままいけば、押し切ることができるだろうか。
「――っと」
その間にも、多重起動している魔法が次々と射出を要求してくる。残り少ない煌めく軌跡だが、どれを狙おうか。刹那の思考で迷っていた俺は、ふとあることに気付いた。
「……そうか」
そして、俺は魔法の射出先を指示する。狙う先は煌めく軌跡ではない。目の前にいるユーゼフ自身だ。
「っ!?」
至近距離で火炎矢がユーゼフを狙う。さすがの反応速度で魔法を斬り払ったユーゼフに、今度は実剣で隙を突く。なんとか身を捻ってよけた彼の足下に氷蔦を展開し、バランスを崩したユーゼフに剣を振り下ろした。
「くっ!?」
剣と魔法の波状攻撃を前にして、ユーゼフは防戦一方になっていた。彼が反撃しようとした瞬間に光柱を立ち昇らせ、それを回避したユーゼフに斬りかかる。俺が剣を振るった後の隙は魔法で補い、ユーゼフが攻撃しようとした起点は魔法で潰していく。
脳が焼き切れそうな負荷がかかるが、同時に俺は今までにない高揚を覚えていた。まるで剣を振るう腕が増えたかのような感覚。今までも魔法を併用して戦っていたが、それは剣と魔法を同時に扱っていただけだ。
そうではなく、剣技に魔法を組み込む。それは、今まで考えたこともない戦い方だった。
そうして、優勢に戦いを進めていたときだった。ユーゼフの周囲にある残りの煌めく軌跡が一斉に迫る。このまま押し切られるよりはと、勝負に出たのだろう。
位置取りを調整し、煌めく軌跡の着弾タイミングをずらすと、立て続けに魔法で迎撃する。その間はユーゼフが自由になるが、覚悟の上だ。
魔法が煌めく軌跡へ向かった瞬間、ユーゼフは凄まじい速度で俺との距離を詰めた。赤金色に輝く斬撃が俺を襲う。
「はぁぁぁっ!」
「次元斬!」
密かに準備しておいた魔法剣と、ユーゼフの魔剣が激突した。ともに空間に働きかける性質を持っているためか、空間が軋むような異音が響く。そして、それだけで終わる俺たちではない。
巨大な破壊力を秘めた剣を打ち合わせるたび、足下の試合の間に亀裂が入る。そうして何度か剣を打ち合わせたときだった。俺の剣を防ごうとしたユーゼフの魔剣が黄金に輝く。
「ちっ!」
俺は慌てて剣の軌道を変えようとするが、もう間に合わない。剣を打ち合わせるフリをして、ユーゼフは俺の剣を本来の煌めく軌跡で防いだのだ。
そして、俺の剣が煌めく軌跡に弾かれた瞬間、ユーゼフの剣身が再び赤金色に輝く。直撃すれば、この魔導鎧ですらただではすまない一撃だろう。
「氷尖塔」
だが、俺は退かなかった。俺をも巻き込んで巨大な氷柱が地面から立ち昇り、ユーゼフの剣撃をわずかに阻む。そして、その一瞬で充分だった。
おびただしい量の氷片が舞い散る中、俺は次元斬が宿っている剣を振り切った。ユーゼフの剣が届くより早く、次元斬の力場がユーゼフを吹き飛ばす。
「ぐっ――!」
吹き飛んだユーゼフは観客席のほうへ吹き飛び、壁に激突してようやく動きを止めた。俺の手応えからすると、かなりのダメージを受けたはずだ。
『『極光の騎士』の次元斬が『金閃』を捉えたぁっ! 人智を超えた二人の大火力戦闘は、『極光の騎士』に軍配が上がったぁぁぁっ!』
実況者の声が響き渡り、観客の歓声が場内を埋め尽くす。それでもユーゼフの動きを警戒していた俺だが、いくら待っても動き出す様子はない。
まさか、と近寄ろうとしたところで、半ば壁に埋まっていたユーゼフがわずかに身じろぎする。それを見た俺は、内心でほっと胸を撫でおろした。
「……まさか、この期に及んでそんな隠し玉があったとはね……」
俺が近付くと、ユーゼフは倒れたまま言葉を絞り出した。
「見事な連携だったよ……あんな形で、剣と魔法が融合するなんて……」
「……煌めく軌跡に追い詰められたお陰だ。あの窮地がなければ、今も剣と魔法を別々で使っていたことだろう。そういう意味では感謝している」
「もっと早くその技に目覚めていれば――」
言いかけて、ユーゼフは口を閉じた。せっかく見つけた新しい可能性だが、魔導鎧はこの試合をもって起動できなくなる。それが惜しかったのだろう。
突然口を閉じたユーゼフだが、観客が不審に思うことはなかった。ユーゼフは明らかに重傷であり、いつ会話が途切れてもおかしくない状態だったからだ。
『ついに決着だぁぁぁっ! 驚異的な戦闘力を見せた『金閃』を、『極光の騎士』が真っ向から打ち破ったぁぁぁっ!』
そして、勝負あったと見た実況者が声を張り上げる。
『本日の最終試合、『極光の騎士』 対 『金閃』! 勝者は……『極光の騎士』、だぁぁぁっ!』
その声に合わせて巨大な歓声が上がり、闘技場を揺るがした。右手の剣を振り上げて、俺は彼らの熱狂を受け止める。……そして。
「拡声魔法、起動」
俺は剣を納めると、静かに魔法を起動した。そして、俺を取り囲む観客たちをゆっくり見回していく。
何か様子が違うことに気付いたのだろう。観客席からざわめきが聞こえてくる。
「『極光の騎士』はどうしたんだ? いつもなら、剣を納めた後はすぐ退場するのに」
「さあ……激戦だったし、疲れたんじゃないか?」
そんな声が飛び交う中、俺はゆっくり口を開いた。
『……皆に伝えたいことがある』
拡声魔法に乗って、俺の声が闘技場中に響く。普段と異なるプレッシャーを感じながら、俺は言葉を続けた。
『用事があって、俺はこの街を離れる。いつ戻れるかは分からん』
それは、『極光の騎士』の引退宣言だった。突然の宣言に観客席がどよめく。
「え……? 嘘だろ……!?」
「『極光の騎士』がいなくなる……?」
『……闘技場で戦ったこの数年間は、非常に楽しかった。皆には心から感謝している』
ざわついていた闘技場が、今度はしん、と静まり返る。一言たりとも聞き漏らすまい。そんな意思があると思うのは思い上がりだろうか。
『故あって俺はこの街を離れるが、帝都の闘技場には思い入れがある。……これからも、闘技場が皆を夢中にさせる場所であることを願っている』
そう言葉を結ぶと、静かだった観客席から、堰を切ったように音が溢れ出した。
「嘘だっ! 嘘だって言ってくれよ!」
「『極光の騎士』がいない闘技場界なんて考えられない!」
「用事が終わったら帰ってきてくれるんだよな!?」
まるで悲鳴のような声から怒声に近いものまで、様々な声が場内を飛び交う。その様子に罪悪感を覚えるが、目を背けるわけにはいかない。これは俺の選んだ結果なのだから。
やがて、ざわめきが小さくなったことを確認すると、俺は観客に向かって小さく頭を下げた。
『……今まで世話になった』
そして試合の間から退場する。最後までゆっくりと、『極光の騎士』らしく歩を進める。出口まであと二十メテルといったところだろうか。
そんなことを考えていた俺の耳に、ふとまばらな拍手の音が聞こえてきた。最初はまばらだったそれは大きなうねりとなり、やがて万雷の拍手へ変わる。
思わず足を止めそうになるが、ここで立ち止まるわけにはいかない。俺は平然と歩み続ける。
「『極光の騎士』、今までありがとう! 楽しかったぜ!」
「一生アンタのことは忘れねえからな!」
「『極光の騎士』! あなたは最高の剣闘士で、私たちの誇りよ!」
「いつでも帰ってきていいんだからな!」
そんな声に見送られながら、最後の数メテルを歩く。彼らを欺いていた罪悪感や、温かく送り出してもらえる喜び、『極光の騎士』でなくなることの寂寥感がない交ぜになり、俺の心を複雑に染め上げていく。
「……っ」
だが、そんな感情を表に出すわけにはいかない。『極光の騎士』は最後まで『極光の騎士』でなければならない。俺は背筋を伸ばすと、残りの数メテルを悠然と歩み、試合の間から退場する。
そして――この日、『極光の騎士』は闘技場界から姿を消した。