最終試合 Ⅲ
『もはやその存在は生きた伝説! 剣闘都市が誇る最強不敗の剣闘士! ……『極光の騎士』ぉぉぉぉっ!』
試合の間に立った俺は、実況者の声に押されるように右手を挙げた。五桁に及ぶ観客たちの声が闘技場を埋め尽くす。
「待ってたぜ『極光の騎士』ぉぉっ!」
「今日も楽しみにしてるぜっ!」
降り注ぐ数々の声援が、ここが闘技場であることを実感させた。デビューした頃は緊張と高揚が入り混じっていたものだが、今では高揚だけが俺を満たしている。それだけ剣闘試合に慣れたのだろう。
だが、この声援を浴びるのも今日が最後だ。そんな感慨を心の中から押し流して、俺は対戦相手を見つめる。『金閃』ユーゼフは、いつも通りの爽やかな笑みを浮かべて俺を見つめていた。
「ユーゼフ様ぁぁぁっ! 今日こそ『極光の騎士』をうち倒してくださいまし!」
「ユーゼフ様なら勝てると信じていますわっ!」
それらの声に答えるように、ユーゼフは腰の魔剣を抜き放った。陽光を受けた剣身が眩く輝き、更なる歓声が彼に向けられる。
「……さすがだな」
思わず呟くと、ユーゼフは爽やかに笑った。
「これだけの声援をもらえるなんて、僕は幸せ者だよ。……そして、今日君を倒すことで、さらなる幸福感に浸らせてもらおう」
「他人の幸福を妬むつもりはないが……それは諦めてもらう」
「僕は諦めが悪いんだ。……特に今日はね」
そんなやり取りをしばらくかわした後で、俺は腰の剣を抜いた。ユーゼフは既に抜剣しているため、いつでも試合を始められる状況だ。頃合いを見た実況者が、賑やかな声を響かせた。
『それではぁぁぁっ! 剣闘士の最高峰たる二人による本日の最終試合! 『極光の騎士』 対 『金閃』、レディィィィ……ッゴォォォォッ!!』
「――っ!」
試合開始の声と同時にユーゼフは剣を振り被った。ユーゼフが得意とする間合いは近距離だが、遠距離攻撃ができないわけではない。そして、あの構えから繰り出されるのは――。
『先制したのは『金閃』だぁぁぁっ! 爆砕波が石床を砕きながら『極光の騎士』に迫る!』
「火炎投網起動」
地を這う衝撃波を横っ飛びに回避すると、俺はお返しとばかりに火炎の網を放った。赤く輝く炎はまっすぐユーゼフに襲い掛かるが、彼の魔剣によってあっさり散らされる。やはり、生半な魔法で『金閃』の防御を破ることはできない。
続けてユーゼフが繰り出した真空波を同じ真空波で相殺すると、俺は魔法を起動した。
「雷突槍」
剣の切っ先から放たれた雷がユーゼフを襲う。その速度は魔導鎧が扱える魔法の中でも最速の部類に入るだろう。
「――おっと」
だが、ユーゼフは魔剣を雷突槍の軌道に割り込ませると、事も無げに魔法を弾いてみせた。弾かれた雷は闘技場の結界にぶつかり、バチッという異音を放って消滅する。
『うおおおおおっ! さすがは『金閃』、雷の速度すらも見切ったぁぁぁっ!』
そして再び、ユーゼフが真空波を放つ。今度も真空波で相殺しようとした俺だったが、嫌な予感を覚えてその場を飛び退いた。なんというか、真空波の密度が濃い気がしたのだ。
俺の判断は正解だった。直後、俺を捉えられなかった真空波は闘技場の結界に激突し、盛大に爆発したのだ。
「なんだあれ……さっきの真空波と全然違うぞ」
『明らかに強力な攻撃でしたね。こちらも真空波で迎え撃っていたら、今頃一緒に吹き飛ばされていたはずです』
クリフの相槌を聞きながら、俺はユーゼフの上に巨大な氷塊を生み出した。いくらユーゼフでも、これだけの質量を無力化しようとすれば時間がかかるはずだ。避けるなら避けるで、その隙を突くことはできるだろう。
そう考えた俺だったが、目論見はあっさりと潰えていた。巨大な質量を持つ氷塊は、ユーゼフの上で制止していたのだ。
「なんだ……?」
そう首を傾げたのも束の間、氷塊は下部からどんどん自壊していき、やがてただの水と氷片だけが残った。
『出たぁぁぁっ! 『金閃』の二つ名の由来、煌めく軌跡だぁぁぁっ!』
ユーゼフの頭上、巨大な氷塊が制止していた箇所には、金色の網が広がっていたのだ。縦横に三本ずつ残された魔剣の軌跡は、氷塊を粉砕した今も燦然と輝いていた。
「……さすがに、そう簡単にはいかないな」
ユーゼフの得意技である煌めく軌跡は、攻防ともに使える厄介な特技だ。ユーゼフの技術と魔剣の特性が噛み合った結果であり、他の剣闘士が再現できた例はない。
「っ――!」
そして、俺とユーゼフは同時に距離を詰めた。挨拶代わりの中距離戦は終わりだ。特に示し合わせていたわけでないが、向こうも同じことを考えている確信があった。
剣の間合いに入るなり、二人の剣撃の応酬が始まった。振り下ろされた剣を弾き、わずかな隙に剣を突き込む。身を捻って突き込まれた剣をかわすと、いつの間にか逆の手に持ち換えていた剣を振るう。籠手で剣の腹を叩いて軌道を逸らし、肩口めがけて剣を下から振り上げる。
長年、一緒に剣の稽古をしているだけあって、俺とユーゼフはお互いに手の内を知っている。トリッキーな動きですら、俺たちにとっては目新しいものではない。
『これは凄いぃぃぃっ! 両者の間で複雑な攻防が繰り広げられているぅぅぅっ! まさに妙技! いったいどのような修練を積めば、これほどの戦いができるのかっ!?』
だが、観客にとっては驚きの連続であるようだった。半ば予定調和のように打ち合わされる剣だが、もちろん示し合わせているわけではない。相手の隙を突いて一撃を入れようと、お互いに虎視眈々と機会を窺い、フェイントを交えて揺さぶりをかける。剣闘士の醍醐味とも言える戦いの感覚に、俺は全神経を集中していた。
相手の一歩先を行く。そんな意思が俺たちの速度を引き上げていくが、俺の思考もまた加速しているのだろう。むしろ、ユーゼフの動きは最初よりはっきり見えるくらいだった。
そして、それはユーゼフも同じことなのだろう。時には魔法剣を交えながら、俺は全力で剣を振るっていた。
そして、どれだけ剣を打ち合わせただろうか。お互いに相手の剣がかすった程度であり、大きなダメージは受けていない。あえて言うなら、全身鎧の俺は無傷で、ユーゼフは小さな傷をいくつか受けているが、勝敗に影響するようなものだとは思えなかった。
このままでは決定打を放つことはできない。流れを変えようと考えた俺は、一度距離を取ろうと剣を強振した。
「っと――」
そして、またしても同じ結論に至ったらしい。ユーゼフも渾身の力で剣を振るったようで、俺たちはそれを機にぱっと後ろに飛び退いた。そして、息を調えながら口を開く。
「……さすがだな」
「僕も同意見だよ。……これだから、君との戦いはやめられない」
ユーゼフは心から楽しそうな笑顔を見せた。彼が魔剣を構えると、剣身から黄金の輝きが立ち昇る。煌めく軌跡の発動兆候だ。
「――行くよ」
言うなり、ユーゼフはまっすぐ突っ込んでくる。たとえどんな魔法を放っても止めることはできないだろう。そう確信させる速さだ。俺は迎え撃つことを決めると、ユーゼフの動きに意識を集中した。
再び高速戦闘が始まり、剣を打ち合わせる音が連続して響く。一見するとさっきと同じ戦いに見えるが、今の俺は警戒レベルを最大まで引き上げていた。なぜなら――。
「っ!」
ユーゼフの斬撃をかわした俺は、中空に向かって剣を構えた。直後、強烈な衝撃が剣に伝わる。煌めく軌跡による滞留する斬撃だ。
さらに、俺を取り囲む斬撃は一つや二つではない。周囲に配置された煌めく軌跡はすでに十以上になるだろう。相手と剣を打ち合わせる。次撃のために剣を振りかぶる。トリッキーな動きでフェイントをかける。それらの動作は、ユーゼフの加減一つで煌めく軌跡の設置動作を兼ねるのだ。
通常の戦闘をしているはずが、気付けば黄金の斬撃に囲まれて身動きが取れなくなっている。それがユーゼフの恐ろしさだった。
『おおっとぉぉぉっ! 『金閃』の奥義、斬撃結界だぁぁぁっ! 黄金の監獄が『極光の騎士』を閉じ込めたぁぁぁっ!!』
実況者の言葉通り、俺は滞留する斬撃に囲まれていた。だが、閉じ込めたというにはまだ甘い。ユーゼフの次なる一撃を、俺は後方へ跳んでかわした。俺がいた空間を黄金の剣閃が斬り裂いていく。
煌めく軌跡はその性質上、相手の背後に設置することは困難だ。剣の軌道上にしか発現しないのだから当然だが、お互いの位置を激しく入れ替えるような高速戦闘であれば、その欠点も補いやすい。
それを知っている俺は、この上なくシビアに位置取りを行って、常に逃げ道を確保していたのだ。
ユーゼフの剣をかわした俺は、無数の煌めく軌跡の隙間から刺突を繰り出した。煌めく軌跡に行動を制限されているのは俺だけではない。黄金の軌跡に触れてダメージを受けるのはユーゼフも同じことだ。
「くっ!」
俺の突きを剣で逸らしたユーゼフは、バランスを崩しながらも張り巡らされた煌めく軌跡を器用に避けて後ろへ逃れる。さすがは設置者といったところだ。
そして俺はと言えば、ユーゼフの置き土産に綺麗に引っ掛かっていた。突きを弾いたユーゼフは、俺の剣を煌めく軌跡のほうへ誘導していたのだ。
剣が黄金の斬撃に接触し、強烈な衝撃が俺を襲った。少なくとも、ユーゼフが渾身の力で剣を振るったときと同等の威力はあるだろう。魔法によって強化されているにもかかわらず、俺は剣を取り落としそうになっていた。
そして、それを見逃すユーゼフではない。早業で俺の側面に回り込んだ彼は、俺の身体めがけて魔剣を振るった。
「っ――!」
俺は咄嗟に身を投げ出すと、転がりながらユーゼフの剣撃をかわす。それでも剣を避けきれず、衝撃とともに魔導鎧の肩口が切り裂かれた。
『『金閃』の猛攻が『極光の騎士』を捉えたぁぁぁっ!』
『落下速度減衰起動』
体勢を崩した俺に追い討ちをかけようとするユーゼフを確認すると、俺は即座に魔法を発動した。重さを軽減する魔法が効果を発揮するなり、俺は無理な姿勢から剣を振り上げた。
「むっ!?」
無理な姿勢にもかかわらず、重さを減じた俺の身体は素早く動いた。不意打ちを避けきれず、ユーゼフの右腕から血が流れる。
「やるね!」
だが、ユーゼフは止まらない。傷を受けたことなど忘れたかのように、再び煌めく軌跡を交えて剣を振るう。ユーゼフは俺の背後を取ろうと、俺は背後を取ろうとするユーゼフの隙を突こうと全神経を集中させていた。
そして、繰り出される煌めく軌跡によって、再び斬撃結界が展開された時だった。煌めく軌跡を挟んで睨みあっていたユーゼフの剣が、その軌跡をすり抜けて俺に迫った。
「なにっ!?」
予想外の展開に思わず声が漏れる。迫る剣を弾くことができたのは、完全に本能的なものだった。だが、本能だけではユーゼフの斬撃結界に対応できない。不用意に動いた俺は、左側面に設置されていた煌めく軌跡に接触し、逆側に吹き飛ばされていた。
「ぐっ――」
しかも、それで終わりではない。強烈な衝撃とともに吹き飛ばされた先には、さらなる黄金の軌跡が待っていたのだ。なんとか剣を打ち合わせて直撃を避けるが、その衝撃でまた別の煌めく軌跡に接触する。そんな現象が何度も繰り返され、俺は完全に翻弄されていた。
『決まったぁぁぁっ! 『金閃』の斬撃結界が真価を発揮したっ!』
あちこちに吹き飛ばされ、凄まじい衝撃が何度も俺を襲う。混乱しそうになる意識を無理やり律すると、俺は煌めく軌跡の衝撃に逆らわず勢いを合わせた。そうして生み出したわずかな自由を元手にして、俺は煌めく軌跡の密度が薄い方角へ飛び出す。
「抜けたか……」
周囲を確認して呟く。なんとか斬撃結界から逃れることができたようだ。
『主人、鎧の損傷が大きくなっています』
『ああ、悪い』
これまで静かにしていたクリフから警告の念話が飛んでくる。さすがの魔導鎧も、斬撃結界の直撃はこたえたようだった。
「しかし……どういうことだ?」
ユーゼフを見据えながら、俺は痛む頭を回転させる。思考の対象は煌めく軌跡を透過した最初の剣撃だ。空間に滞留するという特性はあるものの、煌めく軌跡はあくまで斬撃だ。俺には効いて、ユーゼフには効かないということがあるのだろうか。
だが、その思考はユーゼフによって遮られた。
「おや、休憩かい?」
休ませるつもりはないのだろう。接近したユーゼフによって、再び高速戦闘が始まる。さっきの謎が解けていない状態での戦いは不本意だが、贅沢を言うわけにもいかない。
そうして、再び斬撃結界が構築され、俺の警戒レベルが引き上げられる。さっきの攻撃がある以上、用心をしてし過ぎることはない。
すべての集中力を費やして、俺はユーゼフの動きを見続ける。そして――。
ガキンッ、と剣と剣が打ち合わされる。煌めく軌跡を透過したユーゼフの剣撃を俺の剣が阻んだのだ。そして、同時に透過攻撃の謎が解ける。
「……そういうことか」
ユーゼフが透過攻撃を繰り出す瞬間、ふっと煌めく軌跡が消え去ったのだ。煌めく軌跡は魔法ではないため、任意に消滅させることはできない。
しかし、威力や滞留時間については、ユーゼフのほうで調整することができるのだ。意図的に滞留時間の短い煌めく軌跡を織り込み、それが消える瞬間に合わせて剣を繰り出したのだろう。
いくら自分で設置するとは言え、消滅するタイミングを悠長に数えているわけにもいかない。戦いながら煌めく軌跡の消滅時間を把握するとは、超人的な時間感覚だった。
「欲張りすぎたね。同じ技を二回連続で使うなんて、少し浮かれていたよ」
タネを見破られたことを悟ったのだろう。ユーゼフは肩をすくめてみせた。
「……見事な技だ」
それは心からの賛辞だった。ユーゼフの卓越した技量がなければ、なし得ない境地だろう。あの『大破壊』すら、初見で対処できるとは思えなかった。
そんな思いが伝わったのか、ユーゼフは嬉しそうに笑った。いつもの爽やかな笑みではなく、子供のような笑みだ。
「『極光の騎士』に褒められるとは光栄だね」
「……だが、俺にはもう通じない」
「そうかな? アレは僕の加減一つで変わる。見破ることができるとは思えないけど」
その通りだった。どの煌めく軌跡がいつ消滅するか。それは、設置者であるユーゼフ以外には分かりようがない。
「可能性があることさえ把握していれば、対応は可能だ」
だが、それでも俺は冷静だった。あっちの攻撃は通るが、こっちの攻撃は通らない。そんな理不尽な物体が存在するものと規定しておけばいいのだ。異常なほど集中力を使うが、対応はできる。
「そうかい? じゃあ――」
言いかけて、ユーゼフは言葉を止めた。次いで苦笑を浮かべる。
「危ないところだったよ。三回連続で同じ技を使うところだった。『極光の騎士』は挑発が上手いね」
今度は俺が肩をすくめる番だった。そして、剣を構える。終始ユーゼフのペースで試合が進んでいるが、そろそろ巻き返すべきだろう。
ユーゼフの動きを警戒しながら、俺は戦術を組み立てていった。