最終試合 Ⅱ
『斧槍を片手に勝利を積み重ね、記録的な速さで剣闘士五十傑に名を連ねた『帝国の獅子』! モンドール・ザン・ルエイン!』
『対するは、マイヤード闘技場が誇る最強の鞭使いにして、剣闘士ランキング第二十六位の英傑! 『大蛇』ケプラー・アドネイト!!』
今日の目玉試合の一つ。剣闘士ランキング四十一位の『帝国の獅子』モンドールと、剣闘士ランキング二十六位の『大蛇』の戦いは、大歓声とともに幕を開けていた。
「ちっ!」
モンドールがその場を飛び退く。まず攻撃を仕掛けたのは、鞭を使うため射程の長い『大蛇』のほうだった。攻撃をかわしたモンドールを、鞭の連撃が次第に追い詰めていく。
『おおっとぉぉぉっ! 『大蛇』選手が猛攻を仕掛けたぁぁぁっ! さすがの『帝国の獅子』も反撃の糸口をなかなか掴めないぞぉぉぉっ!』
実況者の言葉通り、モンドールは鞭の攻撃をかわすことに精一杯のようだった。鞭を自在に使い分け、打撃に刺突、斬撃に拘束と幅広い効果を持たせる『大蛇』の鞭さばきは絶妙だ。
だが、これくらいで手も足も出ないようなら、彼がこの短期間で剣闘士五十傑に入るはずはない。そんな俺の思考に答えるように、しばらく防戦一方だったモンドールが動きを見せた。
『斧槍が鞭を弾いたぁぁぁっ! まさか、もう鞭の動きを見切ったというのかぁぁぁっ!?』
斧槍で鞭を払いのけたモンドールは、思い切りよく前方へ駆け出した。『大蛇』との距離を詰めないことには話が始まらないからだ。
さらに一撃、二撃と鞭の攻撃を捌いていたモンドールだったが、その顔がしかめられた。斧槍に鞭が絡まっていたのだ。そのまま武器の引っ張り合いが始まるかと思われたが、その予想は裏切られた。『大蛇』は、もう一本の手で別の鞭を振るったのだ。
「ぐっ!?」
斧槍を搦め取られた形のモンドールは、弾くことも回避することもできず、鞭の攻撃をその身に受ける。彼がなんとか斧槍を鞭から引きはがした時には、すでに何度も鞭に打ち据えられた後だった。
『これは強烈な攻撃だぁぁっ! 『大蛇』の鞭が『帝国の獅子』をめった打ちにしているぅぅっ!』
斧槍を手に仕切り直したモンドールだが、斧槍を鞭に搦め取られることを警戒してか、その動きは精彩を欠いていた。いや――。
「まだ観察中、といったところか」
俺は一人呟く。モンドールの顔に焦りはない。鞭という珍しい武器種を見極めることに集中しているのだろう。やがて、防戦一方だった彼は攻勢に転じた。
『モンドール選手の反撃が始まったぁぁっ! 鞭の攻撃をかいくぐって攻撃を仕掛けていくぅぅっ!』
斧槍と鞭の応酬が始まり、それぞれの得物が残像を残して複雑な軌道を描く。まともに当たれば斧槍の方が強力だが、鞭には普通の武器にはない特殊な軌道がある。珍しい武器種を前にして、モンドールの対応力が試されていた。
そうして、どれほど攻防を繰り返しただろうか。迫りくる鞭を身体を捻ってよけると、モンドールはふっと身を沈めた。その真上を軌道を変えた刺つきの鞭が通り過ぎる。鞭の先端が頭上を通り過ぎた瞬間、彼は手にした斧槍を気合とともに一閃させた。
『『大蛇』の鞭が千切れ飛んだぁぁぁっ! 数多の剣闘士を封殺してきた変幻自在の鞭を斬り払うとは、なんという技量だぁぁぁっ!』
一拍遅れて『大蛇』の鞭が千切れ飛ぶと、実況者が興奮した声を上げた。目に止まらぬ速さで応酬を繰り返していた鞭と斧槍は、それを機に動きを止めた。
「――この鞭は気に入っていたのだがな」
「そりゃ悪いな。けど、鞭は他にもあんだろ?」
「無論だ」
そんなやり取りの後、『大蛇』は腰から別の鞭を取り出した。鱗のような素材でできた、蒼銀色の鞭だ。彼の二つ名である『大蛇』の由来でもある鞭は、魔力を帯びてうっすらと輝いていた。
『おおっとぉぉぉっ! ここでついに『大蛇』が竜鱗鞭を取り出したぁぁぁっ! 剣闘士ランキング第二十六位の彼が、『帝国の獅子』に対して本気を出したぁっ!』
「今までの鞭とは格が違う。……死ぬなよ」
「へへっ、そう来なくっちゃな。二つ名の割に大蛇っぽくないと思ってたところだ」
楽しそうに笑うモンドールにつられたのか、『大蛇』もニヤリと笑みを浮かべる。二人とも、完全に試合を楽しんでいる顔だった。
「行くぞっ!」
裂帛の気合とともに『大蛇』が鞭を振るった。その速度は今までの鞭の速度を超えており、蒼銀色の残像がモンドールを襲う。
「――っ!」
高速で振るわれた鞭を、モンドールは身を投げ出してかわした。うかつに斧槍で受け止めて、搦め取られることを警戒したのだろう。だが、『大蛇』が体勢を崩したモンドールを見逃すはずがない。
なんとか追撃をかわしたモンドールは、さらに襲い来た鞭を斧槍で弾いた。軌道を逸らされた竜鱗鞭は、そのまま足下の試合の間に突き刺さる。
『竜鱗鞭が固い石床にあっさり穴を空けたぁぁぁっ! 何という威力だぁぁぁっ!』
「なるほどな……面白え」
自身の足下に空いた穴を見つめて、モンドールはなおも笑う。そして、今度は彼から距離を詰めた。
縦横無尽に振るわれた鞭をかわし、時には斧槍で上手く弾きながら、モンドールが『大蛇』に迫る。斧槍の射程は長めだが、鞭の射程はそれを上回る。距離を詰めないことにはどうしようもない。
そして、『大蛇』が斧槍の射程に収まった瞬間、竜鱗鞭が分裂した。……いや、分裂したように見えるほど高速で振るわれたのだ。
「防御陣形か?」
蒼銀色の軌跡が『大蛇』を取り囲む光景は、まるで魔法障壁を展開しているようだった。闘技場に響き渡る鞭の風切り音が、それが魔法でないことを伝えてくる。驚異的な技術だった。
対して、モンドールは踏み止まると腰を落とした。そして力を溜めたかと思うと、一気に解き放つ。次の瞬間、赤光が蒼銀色の防壁と激突した。
『モンドール選手の『竜槍撃』が竜鱗鞭とぶつかったぁぁぁっ!』
強烈な衝撃だったのだろう。光が激突した直後には、二人は大きく後ずさっていた。二人の得物が激突した場所の石床は大きく破損しており、両者の力の巨大さを物語っていた。
そして、再びモンドールが『大蛇』に接近した。複雑な動きを見せる竜鱗鞭を斧槍で器用に弾き、高速の一撃を繰り出す。
「――っ!」
モンドールの斧槍が『大蛇』の左腕をざっくりと斬り裂く。続けざまに放たれた突きを、『大蛇』は大きく飛び退いて避けた。
「――こうも早く竜鱗鞭に対応してくるか」
「その鞭、さっきのより硬えからな。変に絡み付いてこない分、むしろ戦いやすいぜ」
「……あまりこの鞭を舐めないほうがいい。当たれば吹き飛ぶぞ」
「当たれば、だろ?」
その言葉を受けて、『大蛇』はニヤリと笑った。竜鱗鞭を持つ手に力がこもる。
「ならば試してみよう」
『大蛇』の言葉とともに、竜鱗鞭が振るわれる。だが、それは先程までとは比べ物にならないほど巨大だった。
「うぉっ!?」
モンドールは驚きの声を上げた。直径が一メテルを超える鞭に襲われたのだ。極大の鞭が自在に暴れまわる様は、正に『大蛇』そのものだった。
「こいつは……っ!」
モンドールはなんとか斧槍で防御しているが、すでに何度も攻撃を受けている。巨大化しても速度が変わらないため、竜鱗鞭は非常に厄介な存在となっていた。
『モンドール選手が押されているぅぅぅっ! さすがは『大蛇』、大質量による猛攻が確実にモンドール選手を追い詰めているぞぉぉぉっ!』
「ちっ……やるじゃねえか」
だが、巨大な質量に翻弄されながら、それでもモンドールは前に進んでいた。たとえ攻撃を受けてでも前へ進む。その意思は着実に結果を出しており、両者の距離を少しずつ縮めていた。
そして、力を溜めていたモンドールは、飛来した竜鱗鞭に斧槍を打ち合わせた。力がぶつかり合い、鞭の軌道に隙ができる。
「――おらぁっ!」
その隙間をついて、モンドールは『大蛇』へ殺到した。引き戻された竜鱗鞭が背後に迫っているが、咄嗟のことで勢いのない攻撃だ。モンドールは振り返ることなく背後の鞭を弾き――。
「なにっ!?」
驚きの声を上げたのはモンドールのほうだった。弾いたはずの鞭が自分の斧槍に絡み付いていたのだ。
おそらく、竜鱗鞭はその硬さをも調整できたのだろう。あれだけの巨大化ができるのだ。その程度はできてもおかしくない。
だが、モンドールは止まらない。斧槍を手放して『大蛇』に迫る。
「ぬっ!?」
今度の声は『大蛇』のものだった。斧槍を搦め取り、相手を無力化したつもりの『大蛇』の顔面に、モンドールの巨大な拳が突き刺さる。
「がっ――」
モンドールはよろめいた『大蛇』に追撃をかけた。連続で拳や膝を叩きこみ、最後に体重を乗せた重い蹴りで吹き飛ばす。猛攻を受けた『大蛇』は、石床の上をごろごろと転がっていった。
「おっと」
それでも竜鱗鞭を手放さない『大蛇』に引っ張られて、搦め取られた斧槍が引きずられていく。それを引き抜いたモンドールは、返ってきた斧槍を満足そうに肩に担いだ。
「……まさか、ああも早く武器を手放すとは、な……」
血だらけの顔面で、『大蛇』はなおも精悍に笑う。鞭は手放さなかったようだが、立ち上がることはできないのだろう。彼は試合の間に横たわったままだった。
「俺も、前にそれでやられたことがあったからな。選択肢として考えてはいた」
「ふん……面白い奴が出て来たものだ……」
そして、試合に幕が引かれる。『帝国の獅子』の快挙に、闘技場から割れんばかりの歓声が上がった。
『ついに決着だぁぁぁっ! なんと! 『帝国の獅子』モンドールが、十以上もランクが上の相手から勝利をもぎ取ったぁぁぁっ!』
「うおおおぉぉぉっ!」
実況者の勝者宣言を受けて、モンドールは雄叫びを上げる。斧槍を振り上げた彼は、実に誇らしげに笑っていた。
◆◆◆
「今日はさすがに満席よ。さすがは『極光の騎士』と言うべきかしら」
「そうか、久しぶりだな。あの事件より前なら、『極光の騎士』がいなくても満席は珍しくなかったが……」
「久しぶりの満席だったから、食べ物類を中心に品切れを起こしているわ。マルガ商会に追加発注をかけているから、もうすぐ解消されると思うけれど」
支配人室でそんなやり取りをした後、ヴィンフリーデは心配そうな様子で口を開いた。
「ミレウス、大丈夫? 皇帝から何か言われたりしてない?」
ヴィンフリーデは不安を拭えないようだった。それはそうだろう。この国の最高権力者が剣闘試合を観に来たのだから、不安に思って当然だ。
「今のところ大丈夫だ。……息子のモンドールが金星を上げたんだから、機嫌だっていいんじゃないかな」
「本当に、よく勝ってくれたわね……剣闘士ランキングも相手のほうが上だったのに」
「あいつは本番に強いからな。それに、『大蛇』との対戦を望んだのはモンドールだからな。勝算があったんだろう」
「そうなの? でも、それってズルくないかしら」
「上位の剣闘士は、戦闘スタイルや対策を研究されて当然だからな。試合を受けた以上、『大蛇』だってモンドールのことを調べただろうし、誹られることじゃないさ」
とは言え、モンドールが勝ってくれてほっとしたことは事実だ。可能性は低いが、不興を買ったり、気分を害した皇帝が退席することもあり得たからな。
「けどまあ、おかげでモンドールのランキングも上がるし、いいこと尽くめだ」
俺の言葉に笑顔を見せると、ヴィンフリーデは今日の予定表を眺めた。
「次は『金城鉄壁』と『蒼竜妃』、その次は『紅の歌姫』と『魔導災厄』……うちの名物の組み合わせね」
「皇帝は歴戦の戦士だし、目が肥えているだろうからな。第二十八闘技場の本気を見てもらったほうがいい」
話しながら窓の外を眺める。視線の先にある貴賓席には、今もイスファン皇帝がいるはずだ。
「それに、最後はユーゼフと『極光の騎士』の試合だものね。皇帝だって満足するに違いないわ」
「ああ、そうだな」
そして、その試合を最後に『極光の騎士』は消滅するのだ。『極光の騎士』として、初めて試合の間に立った日のことは今もはっきり覚えている。
にもかかわらず、あと数刻で『極光の騎士』は剣闘士としての生を終えるのだ。その事実はことあるごとに俺の心を浸蝕していた。だが――。
「……きちんと幕引きをするのも、『極光の騎士』を舞台に上げた俺の仕事だからな」
つい思いが口を突いて出る。それを聞きつけたヴィンフリーデは不思議そうに目を瞬かせた。
「ミレウス、何か言った?」
「いや、なんでもない」
俺は静かに否定する。雑念を入れず、全力でユーゼフと戦う。いつも通りのことだ。
心の中で、俺は何度もそう繰り返していた。