最終試合 Ⅰ
「え? それで、シンシアちゃんは大丈夫なの?」
「ああ。一応マーキス神殿までは付き添った」
「そう……どうしちゃったのかしらね」
「さあな……元気になればいいんだが」
ヴィンフリーデの言葉に頷く。地下に広がる大空洞の探索を終えたのは、二、三刻ほど前のことだ。突然調子を崩したシンシアを連れて闘技場へ戻ってきた俺は、そのままマーキス神殿まで彼女を連れ帰ったのだ。
憔悴している彼女を見たマーキス神官たちに色々詰め寄られたが、そもそも地下施設からして機密事項であり、あまり詳しく話すわけにはいかない。シンシアと仲がいいという女性神官が取りなしてくれたおかげで解放されたが、どうにも引っ掛かる出来事だった。
とは言え、彼女の過去になんらかの事件があったことは、以前に本人から聞いている。そのせいもあって、これ以上踏み込む気にはなれなかった。
それに、もう一つ衝撃的な事実が判明したため、それどころではなかったという事情もあった。
「――まさか、侵入者の根城がディスタ闘技場だったとはな」
「本当に驚いたわね。ディスタ闘技場も古代遺跡を使用しているのかしら」
「どうかな……。ディスタ闘技場の結界を担当している魔術師は何人か知っているから、そうじゃない気もするが」
そう。地下施設に侵入しようとした奴らの足跡が続いていた建物は、やはりディスタ闘技場の真下にあったのだ。地下施設に戻り、コントロールルームの制御盤から例の建物の位置を把握した俺は、地上の地図と照合して確信を得ていた。
「問題は、地下施設に侵入しようとした理由だな。一番面倒なのは、うちが古代遺跡を利用していることを知っていた場合だ」
「もしそうなら……地下遺跡から第二十八闘技場へ侵入してきそうね。闘技場の設備を壊すとか?」
「その可能性もあるな。地下遺跡との出入口に関しては、レティシャに結界や封印を強化してもらう予定だ」
そう答えると、ヴィンフリーデは頬に手を当てて大きく溜息をついた。
「もう、本当に事件だらけね……。ディスタ闘技場との確執に加えて、魔法試合の事故による観客数の激減に、魔法試合禁止の危機。さらに地下遺跡に正体不明の侵入者だなんて……いったい何から手を付けていけばいいのかしら」
「そうだな……まずは魔法試合と観客激減について手を打とうと思う」
「……え?」
あっさり返事が来るとは思っていなかったのか、ヴィンフリーデは目を丸くして訊き返した。
「この二つは、長引けば長引くほど事態が悪化するからな。魔法試合が禁止されてしまえばうちのウリがなくなるし、観客数については言うまでもない」
「それはもちろんそうだけど……」
「そのためにも、まず『極光の騎士』の試合の組み合わせを考える必要があるな」
「『極光の騎士』の……? ミレウス、何を企んでいるの?」
ヴィンフリーデは不思議そうに首を傾げる。そんな幼馴染に対して、俺はニヤリと笑ってみせた。
「ちょっと、貸しを返してもらうだけさ」
◆◆◆
俺の自宅を訪ねる人間は少ない。その数少ない例外はヴィンフリーデとユーゼフであり、ヴィンフリーデはなんらかの差し入れを持ってくるため、ユーゼフは裏庭の訓練場を使うために家を訪れることが多い。
そんなユーゼフを捕まえた俺は、リビングで今後の話をしていた。
「今度の『極光の騎士』の対戦相手は僕か……なんだか意外だね」
本当に意外だったのだろう。不思議そうな顔をしている幼馴染に、俺は肩をすくめてみせた。
「二位の『大破壊』はディスタ闘技場の所属だから、今の関係では試合を組みにくい。三位の『双剣』と四位の『魔鏡』は二人ともバルノーチス闘技場だが、順番的に向こうの闘技場での試合になってしまう。
次の『極光の騎士』の試合は、どうしても第二十八闘技場でやる必要があるからな」
「だから、五位の僕で我慢すると?」
少し気分を害した様子のユーゼフに対して、俺は首を横に振った。
「俺の見立てでは、ユーゼフとあの二人の間に実力差はない。バルノーチス闘技場がユーゼフとの試合に消極的だから、ランキングが動かないだけだ」
「実力差はあるさ。今度戦えば、僕が勝つよ。……ミレウスのおかげで対策も完璧だしね」
そして、ユーゼフは意味ありげな笑みを浮かべた。その理由は簡単だ。三位の『双剣』は極めて優れた魔法戦士であり、四位の『魔鏡』は相手の動きを先読みした上でのカウンターを得意としている。
だが、今のユーゼフにはちょうどいい練習相手がいた。俺だ。『極光の騎士』は魔法戦士だし、俺が得意とする先読みやカウンターは『魔鏡』とかなり似通っている部分がある。
そのため、『極光の騎士』として試合をした後には、闘技場へ戻ってからユーゼフと稽古をすることも珍しくなかったし、そうでない時も分析をしたりしていたのだ。
「すまない、言葉が悪かった。実力で言えば、俺もユーゼフが三位相当だと思っている。……それに、公式の剣闘試合では長らく戦っていないからな」
「『極光の騎士』のデビュー戦と、もう一回だけだったね」
「他の闘技場の剣闘士を倒して、『極光の騎士』の力を示す必要があったからな」
「分かっているよ。それに、僕は地下の訓練室でさんざん戦っているからね」
ユーゼフはおどけた口調で答えると、ふっと浮かべていた笑みを消した。そして、真面目な顔で問いかける。
「ミレウス、本当にいいんだね? 次は『極光の騎士』の最終試合だろう?」
「……ああ」
俺は静かに頷いた。『極光の騎士』の最終試合。闘技場に立つと決めた日から始まったカウントダウンは、ついにあと一つを残すだけになっていた。
「第二十八闘技場の支配人としても、『極光の騎士』としても迷いはない」
「……ミレウスとしても?」
「もちろんだ」
ためらうことなく頷く。魔導鎧のおかげで現実となった夢。その夢に幕引きをするのであれば、幼馴染であり、修業仲間であり、親父の意思を継ぐ相棒でもあるユーゼフをおいて他にはいない。
「……そうか」
ユーゼフはゆっくり息を吐き出すと、天井をぼうっと見上げた。
「結局、起動回数を復活させる方法は教えてもらえなかったね……」
「まあ、最初から五十回という約束だったからな」
俺は苦笑を浮かべた。この数年間、クリフとの関係は悪くなかったと思う。だが、起動回数を増やす方法については、どれだけ聞いても教えてくれなかったのだ。
「どうせなら、第二十八闘技場がランキング一位を取るまで粘りたかったが……」
泣いても喚いても、帝都の英雄『極光の騎士』は次の試合で消滅する。そのことを考えると喪失感を覚えるが、もともと労せずして手に入れた力だ。これ以上を望むのは図々しいだろう。
「まあ、『千変万化』が移籍してくることを考えれば、そこまで絶望的なわけじゃないさ。剣闘士ランキングの五位と六位が揃うんだからな」
「とは言え、一位がいなくなるわけだし、上位ランカーの人数は重要だろう? モンドール皇子に期待するかい?」
「たしかに期待しているが……二十位から上は順位が上がりにくいからな。結果が出るのはまだ先だろう」
「うーん……困ったものだね。せっかく闘技場を大きくして、運営も軌道に乗ってきたのに」
ユーゼフは考え込むように椅子の背にもたれかかった。
「いっそのこと『紅の歌姫』かシンシアさんに正体を明かして、強化魔法をかけてもらうのはどうだい?
あの魔導鎧を身に着けてさえいれば、君は『極光の騎士』だからね。筋力強化がかかっていれば、上位ランカーにだって負けないだろう」
「『大破壊』に魔法剣なしで勝てる気はしないな……それに、魔道具どころか、他者の力を借りることになる。それをやると、剣闘試合がなんでもありになってしまう」
それは剣士としても、闘技場の支配人としても認めるわけにはいかない話だった。
「あとは気分の問題だが……『極光の騎士』との戦いを楽しみにしている上位ランカーに対して、不完全な状態で戦うのはあまりに失礼だと思ってさ」
「……その気持ちは分かるよ」
最後の言葉は、思いのほかユーゼフに響いたようだった。実力もあれば矜持もある最高クラスの剣闘士だからこそ、その思いは強いのだろう。
『極光の騎士』は次の試合で消滅する。それは、数年前から分かっていた話だ。しんみりした空気を振り払うように、俺は努めて明るい声を出した。
「幸い、闘技場の規模や収益だけでも闘技場ランキングの上位に顔を出せるレベルではあるからな。売り上げが回復すれば、今の順位は順当に維持できるはずだ」
「売り上げの回復か……」
ユーゼフが渋い表情を浮かべる。魔法試合の大事故以来、第二十八闘技場の来場者は激減したままだ。当然収益も悪化していて、早めに対処する必要があった。
「そういう意味でも、次の試合は頑張らなきゃな」
「そうだね。最後の試合で、無敗の『極光の騎士』がついに敗れる。劇的な展開だと思わないかい?」
「最後まで無敗を誇った謎の剣闘士は、正体を明かさないまま忽然と姿を消した。……こっちのほうが劇的だと思うぞ」
軽口の応酬を交わした俺たちは、同時にニヤリと笑う。
「……なんにせよ、剣闘士の本分を尽くすだけだよ」
「ああ、そうだな」
俺たちは同時に頷くと、お互いの拳を打ち合わせた。
◆◆◆
「この度は、ご来場頂きまして誠にありがとうございます。皇帝陛下がお越しくださるとあって、剣闘士も従業員もいつも以上に張り切っております」
「剣闘試合を観戦するのは久しぶりだ。楽しみにしておるよ」
第二十八闘技場の貴賓席は、いつにない緊張感に包まれていた。その理由は単純で、ルエイン帝国の現皇帝であるイスファン・ロム・ルエインその人が観戦に来ていたからだ。
皇帝が動けば、当然警備も物々しくなる。思っていたより警備の人間が少ないのは、皇帝の配慮によるものだろうか。傍には闘技場会議でお馴染みのレオン団長が控えているが、彼は警護だけでなく、闘技場を管轄している人間としても同行しているのだろう。
「陛下がお出でとあって、モンドール様も普段以上に気合が入っているようでした」
その言葉にイスファン皇帝はふっと相好を崩した。
「闘技場で戦うようになってからのモンドールは、実に楽しそうだからな。儂が見に来るとなれば、少しは嫌な顔をするかと思うたが……」
現皇帝がわざわざ第二十八闘技場を訪れたのは、ただの気まぐれではない。かつて、古竜との戦いの後始末で皇帝と謁見した時、俺は報酬として「第二十八闘技場に観戦に来てほしい」と願い、皇帝はそれを了承した。その約束が果たされようとしているのだ。
「試合の構成上、当闘技場の上位ランカーであるモンドール様の試合は後半に設定しております。また、『極光の騎士』の組み合わせは最終試合ということになりますが……」
「構わんよ。今日は公務を入れておらんのでな。モンドールの戦いぶりもそうだが、剣闘試合全般を楽しませてもらうつもりだ」
「光栄です。ご期待に沿えるよう、全力でご用意をさせていただきます」
俺は心の中で安堵した。忙しい皇帝ともなれば、子であるモンドールの試合だけを見て、さっと帰ってしまう可能性もあった。だが、それでは困るのだ。
皇帝の性格であれば、モンドールの試合だけでなく『極光の騎士』の試合も観戦したがるだろう。そう考えて『極光の騎士』の試合日に皇帝を招いたのだし、モンドール皇子の試合と『極光の騎士』の試合の間に、いくつか試合を入れて観戦試合数を増やすといった小細工もしていたのだが、それは要らぬ心配だったようだ。
そして……ここからが俺の正念場だ。
「陛下もご存知のことと思いますが、当闘技場は魔法試合を取り入れております。……ですが、魔法試合については、別の闘技場で痛ましい事故が発生しております」
「うむ、儂もそのことは知っておる」
「そこで、皇帝陛下をお迎えするにあたって、安全管理体制を入念に構築いたしました。当闘技場で戦う魔術師については、全員が魔術ギルドで身元を保証されております。そのため、故意に客席を狙うような不審な輩は出場できません」
「うむ……?」
どうしてそうなるのかと、皇帝は軽く首を傾げているようだった。俺は第七十一闘技場の事故は意図的に引き起こされたものだと考えているが、それは推論でしかないからだ。だが、俺は気にせず話を続ける。
「また、本日の結界については、先だって届け出た者たちが別途結界を展開する手筈になっております」
「届け出?」
「術者のリストは私が預かっております。ご覧になられますか?」
そこへ口を挟んだのはレオン団長だ。俺は彼に対して、安全対策の一環として術者のリストを提出していたのだ。もちろん古代遺跡の結界装置は起動させるが、今回は見た目も大切だ。今も複数人の術者が貴賓席の周囲に控えていた。
本来であれば、かつての皇帝に説明した通り、『極光の騎士』から譲り受けた魔道具を使用している、とだけ説明すればいいのだが、今回はそういうわけにはいかなかった。
「いや、構わぬ。レオン団長が確認したのであれば問題はなかろう。……ずいぶんと奮発したものだな」
皇帝の言葉は、貴賓席の周辺に複数の結界術者がいることに気付いたからだろう。さすがは建国の英雄、その察知能力は衰えていないようだった。
「陛下の玉体をお守りするためですから、当然でございます。……さて、このように魔法試合における安全対策を講じた次第ですが、いかがでしょうか? もし体制にご懸念があるようでしたら、魔法試合を剣闘士の組み合わせに変更いたしますが」
「魔法試合は第二十八闘技場の名物だと聞いておる。そんなことをしては面白みがなかろう」
「恐縮です。それでは、魔法試合を含めた試合構成とさせていただきます」
俺は静かに頭を下げると、挨拶を終えて貴賓席を退室する。皇帝の隣に控えていたレオン団長はうっすら俺の目的に気付いていたようだが、黙認してくれるようだった。魔法試合は騎士団の魔法戦力の増強に役立つと、結界術者リストの提出時にアピールしておいたことが役に立ったのかもしれない。
なんにせよ、今日という日を失敗させるわけにはいかない。俺は支配人室に戻りながら、今日のスケジュールを何度も確認していた。