表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
88/214

千変万化 Ⅱ

「私と組めば、現在とは比べ物にならないほどの栄光が手に入りますよ? 貴族社会へのデビューをお膳立てしてもいい」


「興味はない」


「もちろん、ファイトマネーも弾みます。二十八闘技場の倍額を出すとお約束しましょう」


「現行の金額に不満はない」


 ディスタ闘技場の一室。『千変万化カレイドスコープ』との試合のため、控室で出番を待っていた『極光の騎士()』を訪ねてきたのは、あのジークレフだった。


 交流試合において、支配人が相手の剣闘士に挨拶をすることは珍しくない。相手が上位ランカーであればなおのことだ。

 だが、それを利用して『極光の騎士(ノーザンライト)』に近づき、毒物の一つでも仕込む気かと警戒していた俺に持ち掛けられたのは、ディスタ闘技場へ移籍しないかという話だった。


「貴方は誰もが知る帝都の英雄だ。そして、英雄は戦う場所も超一流であるべきだと思いませんか?」


「第二十八闘技場に不満はない」


「それは他の闘技場をご存知ないからです。我が闘技場に移籍したなら、貴方が第二十八闘技場でどれだけぞんざいな扱いを受けていたか、お気付きになることでしょう」


 ジークレフは執拗に食い下がる。最低限の返事しかしていない俺に対して、延々と移籍した場合のメリットを説いてくる。

 いっそ兜を脱いで俺の顔を見せてやりたいくらいだが、こんな奴のために守り続けてきた秘密を明かすわけにはいかない。


「もう一度言う。移籍に興味はない。……そろそろ、試合に備えて精神集中をさせてもらう」


 うんざりした俺は、言外に引き抜きの話はここまでだ、と伝える。だが、ジークレフは苛立った様子で言葉を重ねた。


「あのように歴史の浅い、平民が叩き上げで作り上げた闘技場は英雄に相応しくないと言っているのです。

 先代支配人は有名な剣闘士だったらしいが、所詮は平民。英雄が命を賭して戦う舞台としてはあまりにもみすぼらしい」


「……なに?」


親父を貶めるような物言いに、俺は思わず立ち上がっていた。殺気立った『極光の騎士(ノーザンライト)』の様子に、ジークレフは目を丸くして驚く。


「い、いきなり何を……!?」


「話は終わりだ。去れ」


 そして、遠慮なく殺気を向ける。兜越しでも伝わったのだろう。ジークレフの顔が急激に青ざめた。


「貴様、そのように無礼な……」


 それでも言い募ろうとするジークレフだが、その声はかすれていた。顔面は蒼白になり、膝はガクガクと震えている。だが、その姿を見ても憐憫の情は一切湧かなかった。


「二度は言わん」


「っ……!」


 ジークレフは血の気の引いた様子で立ち上がると、無言で控室の扉へ向かった。そして、扉を開きざまに、恐怖と悔しさが入り混じった表情で俺を睨みつけると、バン、と乱暴に扉を閉める。


「……ふぅ」


 扉がもう開かないことを確認すると、俺は小さく深呼吸をした。おかしなテンションになってしまったが、『千変万化カレイドスコープ』との試合はすぐそこに迫っている。それまでにコンディションを整える必要があった。


 ソファーに座り直した俺は、静かに目を閉じた。




 ◆◆◆




主人マスター、止まってください』


 試合の間(リング)へ繋がる薄暗い廊下。試合へ向かうべく歩いていた俺を止めたのは、クリフの怪しむような声だった。


「どうした?」


『毒物反応があります。この魔導鎧マジックメイルに通用するとは思えませんが、念のため警戒してください』


「毒物反応?」


 その言葉に周囲を見回す。だが、薄暗いこともあって、それらしきものは見当たらなかった。


『四メテル先の天井部分です。液体がべっとりと塗られています』


「……あれか」


 言われてみれば、少し濡れているように見える。とは言え、ここは薄暗い廊下で、しかも天井だ。通常なら気が付かないだろう。


『あの液体の揮発成分だけであれば、この鎧の防御を抜くことはできません。ですが、あの液体に触れることはお勧めしません』


「もちろん、そんなつもりはないが……。どんな毒物か分かるか?」


『あくまで推測ですが、麻痺毒の類ではないかと』


「麻痺毒……」


 つまり、直接的な毒殺を狙ったものではない。ということは、試合で『極光の騎士(ノーザンライト)』が十全に戦えないよう、妨害行為を仕掛けてきたということだろうか。


解毒アンチドートの魔法を使用しますか?』


「……いや、影響がないなら放っておこう。わざわざ掃除してやる必要はない」


 それに、毒が無効化されているよりも、毒の中を堂々と通過したほうが相手も混乱するだろう。そう判断した俺は、天井から毒の滴が垂れてこないことを確認すると、足早に廊下を進む。


 どうやら、それ以外の仕掛けはなかったようだ。俺は廊下の終点に辿り着くと、試合の間(リング)へ繋がる扉が引き上げられるのを待った。


『お待たせしましたぁぁぁっ! いよいよ次は本日のメインイベント! 『極光の騎士(ノーザンライト)』と『千変万化カレイドスコープ』の戦いだぁぁぁっ!』


 実況者の声が聞こえたかと思うと、目の前の扉が重々しい音とともに引き上げられていく。扉が完全に開ききるのを待って、俺は試合の間(リング)に姿を現した。


『剣闘士ランキング不動の第一位! 不敗神話はいったいどこまで続くのか!? 帝都中の誰もが知る最強の剣闘士、『極光の騎士(ノーザンライト)』ぉぉぉっ!』


「『極光の騎士(ノーザンライト)』ぉぉぉっ! 待ってたぞぉぉっ!」


「今日の戦いも楽しみにしてるぜ!」


 観客の声援を受けながら、試合の間(リング)の中央へ進む。すると、向かいの扉がゆっくり引き上げられていった。『千変万化カレイドスコープ』の登場だ。


「対するは、様々な魔道具を使いこなし、多種多様な戦い方で相手を翻弄する技巧派の剣闘士の最高峰! 『千変万化カレイドスコープ』ベルディ・マスコードぉぉぉっ!」


 その声に合わせて、『千変万化カレイドスコープ』は腕を振り上げる。彼に向けられた歓声はかなりのもので、その人気の高さを示していた。その多彩な戦い方は観客にとっても見ごたえがあり、熱心なファンも多い。


「久しぶりね、『極光の騎士(ノーザンライト)』。会いたかったわ」


「……そうか」


 いつも通り言葉少なに答える。少し前に支配人ミレウスとして会ったばかりだから、なんだか変な気分だな。


「相変わらずクールで素敵ねぇ……またアナタと戦えるなんて、本当に嬉しいわ」


「そうだな。……お前との戦いはいい経験になる」


 それはお世辞ではない。剣の腕前だけでも上位ランカーに相応しい力を備えている上に、多彩な魔道具を使いこなす技量と頭の回転の早さ。上位ランカーの中でも、もっとも行動が読めない剣闘士。それが彼だ。


 そんな思いから出た言葉だったが、『千変万化カレイドスコープ』は驚いた顔を見せた。


「びっくりしたわ……まさか、アナタがそんな嬉しいことを言ってくれるなんて」


「……そうか」


 しまったな。移籍絡みで『千変万化カレイドスコープ』とは色々話をしていたし、内密とはいえ移籍が確定していることで親近感を持っていたが、それが表に出てしまったらしい。


 俺がそう反省している間にも、『千変万化カレイドスコープ』はにんまりと笑顔を浮かべる。


「ねえねえ、提案があるんだけど……もしアタシが勝ったら、試合の後でお食事でもどう?」


「食事……」


 予想外の提案に言葉を失う。兜を被ったまま食事をすることは可能だろうか。そんなことを考えていると、『千変万化カレイドスコープ』は笑い声を上げた。


「いやねぇ、別に取って食おうなんて思ってないわよ?」


 あっけらかんと笑う彼を見ているうちに、俺もなんだかおかしくなってくる。それは彼の魅力なのだろう。俺はいつもの調子を取り戻すと、小さく頷いた。


「……いいだろう。お前が勝てば、だがな」


「そうこなくっちゃ。うふふ、楽しみだわ」


 その明るい口調とは裏腹に、『千変万化カレイドスコープ』の表情が引き締まった。身に纏った気迫は、上位ランカーに相応しい苛烈なものだ。自然と、俺も剣を抜いて腰を落とす。


『おおっとぉぉぉーっ! 両者の闘志が激しくぶつかり合っているぅぅーっ! ……それではぁっ! 『極光の騎士(ノーザンライト)』対『千変万化カレイドスコープ』、試合開始ぃぃぃっ!』


 言葉とともに動いたのは『千変万化カレイドスコープ』だった。彼はまっすぐこちらへ踏み込むと、剣を振りかぶった。そして――。


 その瞬間、眩い光が『千変万化カレイドスコープ』から迸った。正確には、彼が投じた小さな珠が光を放ったのだ。


 だが、咄嗟に目を閉じたことと、魔導鎧マジックメイルの防御効果のおかげで目をやられることはなかった。

 そして、降り下ろされる剣をかわしてカウンターを入れようとしていた俺は、その場を大きく飛び退いた。直後、俺がいた空間を白い網のようなものが覆う。


「魔道具か」


『魔力を感じます。粘着、拘束効果あたりでしょうか』


 どうやら、目眩ましの光に対処されることを見越して、別の手を考えていたらしい。あの網に貼り付かれていれば満足に動けなくなっていた可能性は高い。


 迂闊に踏み込むことを警戒した俺は、近距離から真空波を放った。そして、攻撃を回避した『千変万化カレイドスコープ』との距離を詰める。


 ガキン、と剣が打ち合わされる。魔道具を簡単に使えないよう、俺は連撃で『千変万化カレイドスコープ』を追い詰めるつもりだった。


 そして、もう少しで『千変万化カレイドスコープ』の防御を抜けると思った時だった。剣から片手を離した『千変万化カレイドスコープ』が、無造作に腕を突き出す。


 まったく力のこもっていない動きだったが、パンッという破裂音が響き渡り、剣ごと腕が弾かれた。


『ああっとぉぉっ! 『千変万化カレイドスコープ』の何気ない掌打が『極光の騎士(ノーザンライト)』の剣を大きく弾いたぁぁぁっ!?』


 実況者の声が試合の間(リング)に響く。だが、そうでないことは俺が一番よく分かっていた。


「あの指輪のどれかだな……」


千変万化カレイドスコープ』は両手の指に大量の指輪を嵌めている。そのどれかが、衝撃を放つ魔道具だったのだろう。彼が持つ魔道具は攻撃性が弱く、相手を直接的に倒すのは彼自身が振るう剣だが、厄介なことに変わりはなかった。


「うふふ、気に入った?」


 独り言が聞こえたのだろう、『千変万化カレイドスコープ』はこちらへウィンクしてみせる。


「……そうだな」


 そして、彼の動きに注意を払いながら剣を振るう。上位ランカーの中に魔法戦士は二人いるが、彼らと違って『千変万化カレイドスコープ』には精神集中の必要がほとんどない。

 魔法の使用が困難であろう連撃を受けながらも、彼は魔道具を使って反撃に転じることができるのだ。


 次に動きがあったのは彼の右足だった。爪先がトン、と試合の間(リング)の石床を叩く。それを見た瞬間、俺は斜め後ろに飛び退いた。


 同時に、彼の爪先を起点として波紋状に試合の間(リング)が揺れる。揺れは一瞬だったため、俺が石床に着地した時にはすっかり収まっていた。


「さすが、いい目をしてるわね」


 揺れでバランスが崩れたところを狙うつもりだったのだろう。剣を構えて一歩踏み込んでいた『千変万化カレイドスコープ』は、感心した様子で口を開いた。


「……面白い靴だ」


 局地的な揺れを発生させる魔道具なのだろう。単独での攻撃力は低いが、使い方によって攻撃にも防御にも使える。自身も揺れに巻き込まれるため、『千変万化カレイドスコープ』の技量がなければ宝の持ち腐れだろうが、非常に興味深い靴だった。


 だが、次はこちらの番だ。俺は一直線に駆け出して『千変万化カレイドスコープ』との距離を詰めた。振るわれた剣を弾くと、突進の勢いで相手に肩口からぶつかる。


「――っ!」


『ここで『極光の騎士(ノーザンライト)』のショルダータックルが決まったぁぁぁっ! 『千変万化カレイドスコープ』の巨体が宙に浮くぅぅ!』


 実況を背に、『千変万化カレイドスコープ』を追撃しようとさらに踏み込む。だが、そんな俺を目がけて複数の小さな球が転がってくる。


「ちっ」


 得体の知れない珠を警戒して、少し距離を取る。だが、いつまで経っても珠が効果を発揮する様子はなかった。俺はそれを見てようやく気付いた。


「……ブラフか」


 おそらく、なんの効果もないただの水晶玉だったのだろう。魔道具を使う『千変万化カレイドスコープ』の戦闘スタイルと、最初に使われた光の珠。それらの予備知識のせいで、ただの珠を過剰に警戒させられたわけだ。


「うふふ、立て直す時間をありがとう。さすが紳士ね」


「よく言う」


 俺は肩をすくめると、一番近くにある水晶玉をコツンと軽く蹴り飛ばす。コロコロと転がっていく様は、やはり魔道具には思えなかった。


 だが、厄介なことに変わりはない。ただの水晶玉だと思わせて、本当は魔道具だという可能性もあるからな。もはや、『千変万化カレイドスコープ』の動きのすべてが怪しく思えてくる。

 虚実を織り交ぜ、相手の心理をも揺さぶる。これこそが『千変万化カレイドスコープ』の真価だった。ならば、どうするか――。


「……ふぅ」


 俺は小さく息を吐くと、考えることをやめた。あれこれ悩んでいても自分の動きを鈍らせるだけだ。自分の勘と瞬発力、そして魔導鎧マジックメイルの防御力があれば、大抵の事態には対処できるはずだ。


 そう結論付けると、俺は半ば本能レベルで『千変万化カレイドスコープ』へ向かって突っ込んでいく。『千変万化カレイドスコープ』の仕業だろう、直前で煙幕が俺たちを包み込んだが、気配まで消せるわけではない。『千変万化カレイドスコープ』が動いたほうへ進路を変更し、剣を振りかぶる。


 同時に、煙幕を裂くように襲い来た何かを勘でかわし、『千変万化カレイドスコープ』の気配目がけて剣を振り抜いた。身体を斬り裂く、たしかな感触。剣の手応えを感じながら、俺は煙幕から離脱した。


『これはぁぁぁっ! 煙幕に包まれた一瞬の間に何があったのかぁぁっ! 『千変万化カレイドスコープ』の胸がざっくり斬り裂かれているぅぅっ!』


 やがて煙幕が薄れ、状況が明らかになっていく。実況者の言葉通り、『千変万化カレイドスコープ』の胸には横一文字に創傷が刻まれており、血が流れ出していた。


「もう、『極光の騎士(ノーザンライト)』ったら情熱的ねぇ……」


 だが、『千変万化カレイドスコープ』はいつも通りに応じる。どうやら傷は浅いようだった。そして、戦意旺盛な様子で剣を構える。


「今度はアタシがお返ししてあげるわ」


 流れる血液を意に介さず、剣を片手に向かってくる。そうして、俺たちは剣を何度も打ち合わせた。金属同士が激突する高音だけが場に響く。


 そうして、何度目の剣撃だっただろうか。『千変万化カレイドスコープ』の剣筋が俺の腕をかすめる。


「なに……?」


 それは怪訝な事態だった。俺は確実に『千変万化カレイドスコープ』の剣をかわしたはずだ。だが、魔導鎧マジックメイルの籠手を通じて伝わってきた衝撃は紛れもない事実だ。


 それを機に、俺と『千変万化カレイドスコープ』の剣が上手く噛み合わなくなっていく。調子を崩しているのは、明らかに俺のほうだった。


『おおっと、これはどうしたことだぁぁぁっ! これまで優勢に剣を打ち合わせていた『極光の騎士(ノーザンライト)』が、徐々に『千変万化カレイドスコープ』に押されているぅぅぅっ!?』


 実況者の言う通りだった。何かがおかしい。自分の身体と意識の間に、薄皮一枚ほどの何かが挟まっているような気がする。


 そんなことを考えている間にも、『千変万化カレイドスコープ』の剣撃は鋭さを増してくる。いや、それとも俺の剣が鈍くなっているのだろうか。


 そんな疑問を抱きながら、さらに剣撃の応酬を続ける。『千変万化カレイドスコープ』の剣先が兜をかすめて、チッという音を立てた。


「……ん?」


 その瞬間、俺は何かに対して違和感を覚えた。なんとか『千変万化カレイドスコープ』を捌きながらも、頭の片隅で違和感の正体を突き止める。そして――。


活力付与リフレッシュ、起動」


「――っ!」


 俺の言葉を聞いて、『千変万化カレイドスコープ』の顔に驚きが浮かぶ。同時に、俺の身体の違和感が解消された。


活力付与リフレッシュで対処できるかどうかは賭けだったが……上手くいったようだな」


「とっておきだったのに、よく気付いたわね」


 そして、『千変万化カレイドスコープ』は意味ありげに剣を構えた。やはり、あの剣が原因だったようだ。


 と言うのも、剣を打ち合わせるたびに高音が耳に響いていたのだ。固い金属を打ち合わせるのだから当然だが、不思議なくらい音が耳に残っていた。おそらくは、剣を打ち合わせる時の音に、神経もしくは精神に作用する魔力が乗っていたのだろう。


「悪いが、もう通用せん」


 魔剣の効果が出るまでには時間がかかるようだし、おかしいと思ったらまた活力付与リフレッシュを使えばいい。タネが分かれば対処は可能だった。


「それは残念ね」


 言いながらも、『千変万化カレイドスコープ』に焦った様子はない。悔しそうな顔はしているが、まだ追い詰められた人間の顔ではなかった。


「まだ、隠し玉がありそうだな」


 そうカマをかけると、『千変万化カレイドスコープ』はあっさり頷いた。


「そうじゃなきゃ、『千変万化カレイドスコープ』なんて二つ名は付かないわよ。……けど、アナタに通用しそうな魔道具となると、そう数はないのよねぇ」


 そして、『千変万化カレイドスコープ』は再び剣を構える。だが、今までと違って彼は最初から魔道具らしきものを持っていた。それは手の平に乗せられた小箱だ。

千変万化カレイドスコープ』は強力な魔道具を使用する際、堂々と使用を宣言することで知られている。それは剣を持つ者としての矜持なのだろうが、彼が人気を博する一因ともなっていた。


「面白そうなものを持っているな」


「ええ、面白いわよ」


 言葉に応じる『千変万化カレイドスコープ』だが、それ以上の種明かしはしてくれなさそうだった。俺は言葉での追及を諦めると、彼が左手に持つ小箱に意識を向ける。


千変万化カレイドスコープ』がこれまで使用していた魔道具は、懐に収納できる小さな珠や指輪など、剣の振るう妨げにならないものばかりだった。だが、あの小箱は留め具の形からして、両手で開ける必要があるものだろう。それを敢えて使用するということは、それだけ強力な魔道具であるはずだった。


「……いいだろう、来い」


 できることなら、起動前に『千変万化カレイドスコープ』を倒す、もしくは小箱を叩き落としたいところだが、今の俺は帝都の英雄にして剣闘士ランキング一位である『極光の騎士(ノーザンライト)』だ。そんな姑息な真似をするわけにはいかない。


千変万化カレイドスコープ』のことだ、そこまで計算してこの場面で小箱を取り出したのかもしれないが、もう後に退くことはできなかった。


「『悪夢の小箱ギフト・オブ・ナイトメア』、起動」


 起動命令コマンドとともに、『千変万化カレイドスコープ』は小箱を開く。その直後、小箱の中から黒い煙が流れ出した。煙は瞬く間に広がり試合の間(リング)を覆う。


 そう思ったのも束の間、試合の間(リング)を覆った煙に異変が生じた。俺を中心として、紫闇色のスパークがあちこちで起こり始めたのだ。その様子を見ていた俺はふと首を傾げる。なんだろう、見覚えがあるような……。そう悩んでいる間にも、状況は変化していた。


主人マスター、注意してください。これは……』


『――ああ、俺も思い出したところだ。(ゲート)に似ているな』


 俺が『極光の騎士(ノーザンライト)』と呼ばれる由縁となった襲撃事件。あの時に破壊した(ゲート)と非常に雰囲気が似通っていた。


『つまり転移魔法ということか』


『もしくは召喚魔法系統ですね』


『いや、『千変万化カレイドスコープ』は多彩な戦闘スタイルがウリだが、召喚魔法を使ったことはないはずだ。召喚された魔物の使役には集中力が必要だし、考え通りに動いてくれるとは限らない』


 そのため、あくまで剣の補助として魔道具を使う『千変万化カレイドスコープ』のスタイルとは相性が悪いはずだった。


 となれば、答えは転移魔法ということになるが……まさか『千変万化カレイドスコープ』が背後に転移してくるのだろうか。そう疑った時だった。


「おかしいわね……起動実験をした時と様子が違うわ」


千変万化カレイドスコープ』の声が聞こえてくる。その声には戸惑いがあった。それはどういう意味なのか。問いかけようとした俺を、一際激しいスパークが覆う。


次元斬ディバイド!」


 嫌な予感を覚えた俺は、半ば本能的に魔法剣を起動した。空間を破壊する剣身がそこに在るだけで、黒い煙が激しいスパークを散らす。この煙が空間魔法の属性を持っている証拠だった。さらに、黒い煙は不穏な圧力を伴って俺へ殺到してきた。


「ちっ……!」


 俺は大きく跳び上がって煙の範囲から逃れる。黒煙が俺を追尾する速度はかなりのもので、すぐ後ろまで煙が迫っていた。俺の剣士としての勘が、アレに取り込まれれば終わりだと、そう告げていた。


 そして、空中で黒煙に向き直った俺は、眼下に広がる煙の中心へ向けて次元斬ディバイドを叩き込んだ。


「――!」


 ギジッ、と空間が捻じれたような異音が響き、直後に大爆発が起きる。その勢いは凄まじく、魔導鎧マジックメイルのせいでかなりの重さがある俺も空中へ舞い上げられた。


落下速度減衰ランディング起動」


 魔法を起動させ、ゆったりとした速度で落下する。次元斬ディバイドのおかげで黒煙は消滅しており、試合の間(リング)の惨状をはっきり見ることができた。試合の間(リング)どころか、そのはるか下にある地下機構に届きそうな深いクレーターができていたのだ。


 次元斬ディバイドの効果もあるのだろうが、それならこんなクレーターにはならない。やはり、あの黒煙が爆発したと考えてよさそうだった。


主人マスター、危ない所でしたね。おそらく、アレは転移魔法を意図的に暴走させて相手を爆殺する魔道具でしょう。きちんとした転移魔法の構成としては歪でしたからね』


『なんだって……?』


 クリフの分析に驚きながらも、俺は試合の間(リング)だったクレーターに着地した。それを契機として、実況者が声を張り上げる。


『こ、これはいったい何事だぁぁぁっ!? 『極光の騎士(ノーザンライト)』の魔法剣が謎の黒煙と激突し、凄まじい大爆発を起こしたぁぁぁっ!』


 そんな声を聞きながら、魔道具を使用した『千変万化カレイドスコープ』の姿を探す。

 跳躍して空中にいた俺と違い、『千変万化カレイドスコープ』は黒煙の中にいたはずだ。煙は俺がいた空間に密集していたが、それでも無傷とは思えない。


 周囲をぐるりと見回していると、一際大きな試合の間(リング)の石片がぐらりと揺れた。その下から姿を現したのは、満身創痍の『千変万化カレイドスコープ』だった。


「大丈夫か?」


 なおも倒れたままの『千変万化カレイドスコープ』に話しかける。すると、彼は血だらけの顔面で頷いてみせた。


「なんとかね。……ふふ、対戦相手の心配をするなんて、変な人ねぇ」


「もう決着は付いているからな」


「……そうね」


千変万化カレイドスコープ』は素直に頷いた。今だに立ち上がらない時点で、かなり大きなダメージを受けているのだろう。生身で空間魔法の暴走に巻き込まれたようなものだし、無理もなかった。


「ところで……最後の魔道具はお前らしくなかったな」


「ええ、アタシもそう思うわ。本当は、近距離の空間転移テレポートに使うはずだったのよ」


「なるほどな」


 その言葉は納得できるものだった。『千変万化カレイドスコープ』ほどの戦士が空間転移テレポートを使いこなすとなれば、それはかなりの脅威だろう。


「魔道具の暴走なんて初めてだわ。……んもう、せっかく『極光の騎士(ノーザンライト)』との戦いだったのに、しまらない終わり方ねぇ……」


「破壊跡だけ見れば、充分盛り上がったように思えるがな」


 俺は『千変万化カレイドスコープ』を慰める。それに、盛り上がっていたのは事実だしな。謎の黒煙と紫闇色のスパークが『極光の騎士(ノーザンライト)』を襲い、空中に逃れた『極光の騎士(ノーザンライト)』が次元斬ディバイドを放つ。事情を知らない観客からすれば、充分見ごたえのある戦いだったのだろう。


「あら、ありがとう。優しいのね」


千変万化カレイドスコープ』は笑顔を見せる。怪我の痛みはかなりのものだろうが、それを表に出すことはなかった。


「お食事できないのは残念だけど……次こそアナタを倒してみせるから」


「そうか。楽しみにしている」


 俺の胸がちくりと痛む。今日の試合が終われば、魔導鎧マジックメイルの残り起動回数は一回。もう『千変万化カレイドスコープ』と戦う機会はないだろう。『極光の騎士(ノーザンライト)』の消滅は目前に迫っていた。


『ここで『千変万化カレイドスコープ』が降参のサインを出したぁぁぁっ! さすがは不敗の英雄、見事な戦いぶりだぁぁぁっ!』


 そんな俺の感傷をよそに、実況者が声を張り上げた。それに合わせて俺も剣を振り上げる。こちらの事情がどうであれ、彼らの歓声には答えないわけにはいかない。


『勝者、『極光の騎士(ノーザンライト)』ぉぉぉっ!』


 複雑な思いを胸に、俺は観客の歓声を浴びていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ