千変万化 Ⅰ
「お気持ちは嬉しいのですが、現在は魔術師の募集を停止しています」
「そうですか……」
支配人室のソファに掛けていた人物は小さく肩を落とした。先の言葉通り、彼は第二十八闘技場で剣闘士として戦いたいと希望してきた魔術師だ。
第二十八闘技場と第十九闘技場が大々的に魔法試合を行っていることが影響したのだろう、魔法試合を行う闘技場はちらほら見かけられるようになっており、それに伴って剣闘士登録を希望する魔術師もたまに現れるのだ。
魔術師ギルドに紹介を依頼したり、興味を持ちそうな魔術師を探して勧誘していた数年前には考えられなかったことだが、それだけ魔法試合が魔術師たちにも普及してきたということだろう。
「移転して客席は増えましたが、試合の頻度が増えるわけではありませんからね。これ以上剣闘士を増やすと、既にうちに所属している剣闘士の出番が減ってしまうのです」
「それは……そうでしょうね」
魔術師として名を上げたいという彼は、第二十八闘技場の噂を聞いてわざわざ他の街からやって来たらしい。そんな彼を追い払うのは心が痛むが、それで今いる剣闘士たちに割りを食わせるわけにもいかない。
「貴方が登録先に第二十八闘技場を選んでくださったことは忘れません。もしご縁があれば、またよろしくお願いします」
「……分かりました。丁寧に対応してくださってありがとうございます」
立ち上がった魔術師を廊下まで見送ると、一礼して扉を閉める。再び支配人室の中央に戻ってきた俺は、いつの間にかソファに腰かけている『紅の歌姫』に話しかけた。
「ありがとう、レティシャ」
「どういたしまして。……ふふ、ミレウスは律儀よねぇ。今回はお仕事なんだから、お礼なんていいのに」
そして、彼女の向かいに座る。
「仕事だから感謝しなくていい、ってことでもないだろ。……それで、どうだった?」
「もちろん成功よ。私の隠蔽結界に気付かないくらいだから、あっちにも気付いていないでしょうね」
レティシャは艶然と微笑んだ。とある理由で支配人室に潜んでもらっていた彼女だが、同業者にも気付かれない結界を展開するあたりは、さすが『結界の魔女』の直弟子といったところか。
ちなみに、もし彼女の存在に気付かれた場合は、「実力を測るテストだった」と立場を利用してごまかす予定だった。
「それにしても、これで五人目だったかしら? 意外と登録志望者が多いわね」
「たしかにな。それに、今の人もそうだが、魔術ギルドに所属していない魔術師も結構いるもんだな」
「所属すると面倒ごとを押し付けられることもあるし、そういったことを嫌って魔術ギルドに所属しない魔術師も少なくないわ」
「流れの魔術師みたいな感じか」
「そうね。ギルドとしては構成員が多いに越したことはないけれど、わざわざ説得してまで増やそうとも思っていないから」
そう語るレティシャ自身も、師である『結界の魔女』がたまたま魔術ギルド長をしていたから登録しただけで、そうでなければ構成員になっていたか怪しいという。
「それよりも、ギルド長は『極光の騎士』に興味があるみたいよ」
そして、さらりと告げる。その笑顔が意味ありげに見えるのは、俺に後ろ暗いことがあるからだろうか。
「闘技場の結界も『極光の騎士』のせいにしてしまったからな。興味を持たれても仕方ないか……」
「本当は古代装置を使ってました、なんて言い出しにくいわよねぇ」
レティシャは楽しそうに相槌を打った。そして、思い出したように言葉を続ける。
「そう言えば、次の『極光の騎士』の試合は決まったの? いつもより発表が遅れているみたいだけれど」
「ああ、色々あってさ。もともとは、ディスタ闘技場の『千変万化』と試合をすることで話が付いていたんだが……」
「ああ、そういうこと」
レティシャはそれだけで納得した様子だった。幅広い情報網を持つ彼女は、ディスタ神殿前で起きた俺とジークレフの一件も知っている。
ディスタ闘技場との交流試合を見合わせている以上、『千変万化』との試合も流れることになるのだ。
「とは言え、『極光の騎士』が前に試合をしてから三か月近く経つからな。早めに決めるべきなんだが……」
そんな話をしていた時だった。支配人室の扉がノックされる。扉を開いたのは、別の用件で部屋を離れていたヴィンフリーデだ。
彼女は俺を見ると、少し戸惑った様子で口を開いた。
「ミレウス、ディスタ闘技場の支配人代理が訪ねてきたわ。話がしたいって」
「ジークレフが?」
俺も驚きに目を見張る。一体なんの用事だろうか。
「私は失礼したほうがよさそうね」
「すまない、助かる」
気を遣ってくれたレティシャは、さっと立ち上がる。
「どんな話だったのか、後で教えてね?」
そう言い残すと支配人室を出て行く。そして、彼女の香水の香りが薄れた頃にジークレフが姿を現した。その様子はいつもより神妙に見える。
「……失礼します」
「お久しぶりですね、ジークレフ支配人代理」
挨拶を交わすと、ソファーを勧める。そして当たり障りのない雑談を交わした後、ジークレフは本題を切り出した。
「ミレウス支配人、先日は申し訳ありませんでした」
彼の表情は強張っていた。自分を押し殺して無理やり頭を下げているようにしか見えないのは、俺の先入観のせいだろうか。
だが、謝罪は謝罪だ。突然の展開に驚きながらも、俺は淡々と話を進める。
「それは、ディスタ神殿前でのことをおっしゃっているのですか?」
「ええ、その通りです。あの時の私はいささか思慮を欠いていました。そこで……」
彼は神妙な顔で数枚の紙を机に置いた。促されるまま手に取ると、救護体制についてまとめた書類のようだった。
「あのような事故が起きないよう、我が闘技場の救護体制を一から考え直しました。神官については、必ず一人は救護室にいるよう厳命したほか、連絡体制や非常事態についてもルールを明確化しました」
「なるほど……」
手元の資料を見ながら頷く。たしかにジークレフの説明通りの内容だ。だが、わざわざ俺に説明をしに来た真意はどこにあるのだろうか。いくつか心当たりはあるが、やはり――。
「これが実行されれば、たしかにディスタ闘技場で無用な死者が出ることは減りそうですね」
『実行されれば』のところを強調しつつ、新たな救護体制案を評価する。本当の問題はそこではないのだが、意図的な剣闘士の死亡防止に一定限の歯止めをかけることはできるだろう。
「もちろん、実行させてみせます。ですので――」
ジークレフはわずかに身を乗り出した。神妙だった顔に感情が浮かぶ。
「『極光の騎士』と『千変万化』の試合は、当初の予定通り行いませんか?」
「なるほど、そのための資料でしたか」
抱いていた疑問が氷解する。最初からそんな気はしていたが、やはり目的はそこにあったらしい。
闘技場ランキング第一位のディスタ闘技場であっても、『極光の騎士』との試合は手放すには惜しいのだろう。そして、その理由は話題性や収益ではないはずだ。
「実は、『千変万化』が『極光の騎士』との試合をとても楽しみにしていましてね。交流試合の停止を知って、支配人室に怒鳴り込んできたのですよ」
「おや、そうですか」
あの『千変万化』がそんなことをするだろうか。作り話の可能性もあるな。俺がそんなことを考えているとは知らず、ジークレフは言葉を続ける。
「支配人として、できるだけ剣闘士の要望には応えたいと考えています」
「素晴らしいことですね」
微笑みながらも、内心の俺は冷ややかだった。白々しいにも程があるし、肝心のフィエルへの謝罪はない。まあ、自身の悪事を認めることになるのだから当然だろうが。
俺のそんな思考に気付いた様子もなく、ジークレフは言葉に熱を込める。
「ですので、交流試合の中止については再考してもらいたいのです。疑いが晴れないと言うのであれば、『極光の騎士』と『千変万化』の試合だけでも構いません」
やっぱりそうか。ジークレフの言葉を聞いて、俺は大方の予想を完成させた。
ジークレフが願っていることは、『極光の騎士』と『千変万化』の試合を予定通り行うこと。プライドの高い彼がここまで下手に出るということは……。
「ジークレフ支配人代理は『極光の騎士』との試合にこだわっているようですが……ひょっとして、チケットを用立てるお約束でも?」
「な、何を……?」
ジークレフは言葉を失った。貴族社会の住人にしては取り繕い方が甘い。『極光の騎士』と『千変万化』の試合予定は極秘のものであり、外部に対しての公表は折を見て同時にすることになっていた。
だが、この様子ではすでに吹聴していたのだろう。これだけ切羽詰まっているということは、相手も貴族である可能性が高そうだな。貴族社会で上手くやるために、『極光の騎士』の試合のチケットをちらつかせた。ありそうな話だ。
「失礼しました。まさかジークレフ支配人代理ともあろう方が、そんな協定違反をするはずがありませんね」
涼しい顔で言葉を撤回する。対してジークレフは焦り顔だ。
「当然ですとも。そのように疑われているとは心外です」
ジークレフは答えると、探るような視線を俺に当てる。
「ところで、『極光の騎士』の試合については……」
「そうですね……」
わざと時間をかけて、考え込む様子を見せる。ジークレフの顔に焦りが見え始めた頃、俺はようやく口を開いた。
「『極光の騎士』と『千変万化』の試合については、当初の予定通り行いましょう。場所も予定通りディスタ闘技場のままで構いません」
「おお! 感謝します」
俺の言葉にジークレフが歓声を上げる。だが、俺は喜ぶ彼に水を差した。
「ですが、条件があります。フィエル……『疾風迅雷』の死亡事故を機に、ディスタ闘技場の救護体制を一新した、という内容の正式な謝罪文を頂きたい」
「なっ!?」
ジークレフは目を白黒させた。正式な謝罪文なんて、できるだけ書きたくない類のものだろう。特に彼は貴族社会の人間だ。そんな書類が対立派閥の貴族の手に渡れば、社交界で笑いものにされる可能性もある。そんな彼に、俺は笑顔で語りかける。
「私も迂闊でしたが、公衆の面前で交流試合の停止を宣言してしまいましたからね。立場上、それを撤回するだけの何かは必要です。うちの剣闘士たちにも説明ができませんし」
「ぬ……」
ジークレフは物凄い形相で唸っていた。自身のプライドと貴族からの評判が天秤に乗っているのだろう。
「ああ、もちろん公表するつもりはありません。第二十八闘技場とディスタ闘技場が良好な関係を築いている限り、秘密は守られることでしょう」
「……」
ジークレフは答えない。その代わり、顔色が目まぐるしく移り変わっていた。公表されないことにほっとしつつも、俺の機嫌を損ねれば、謝罪文が世に出る可能性がある。悩むところだろう。
長い時間の後、ジークレフは苦々しげに口を開いた。
「分かりました。それでミレウス支配人が納得するのであれば、謝罪文などいくらでも書きましょう」
「左様ですか。お手数をかけて申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ」
そして立ち上がると、俺たちは握手を交わす。お互いに相手をまったく信じていないが、もし誰かがここにいれば、にこやかな光景にしか見えないだろう。
そんな笑顔を浮かべながらも、ジークレフの目には昏い光が灯っているように思えた。
◆◆◆
ジークレフが退室した支配人室で、俺はソファーにもたれかかっていた。これでフィエルの仇を討てたとは思わないが、一矢報いることくらいはできただろうか。ぼんやりそんなことを考えていると、ヴィンフリーデが入ってくる。
「支配人室を出て行ったジークレフ、凄い顔をしていたわよ」
「それはよかった。どうせならその顔を見たかったな」
きっと怒り心頭だったのだろうが、俺の前でそんな顔をするわけにもいかないからな。そう答えた俺に、ヴィンフリーデは心配そうに尋ねる。
「結局、交流試合を再開するのよね? ……でも、よかったの?」
「何がだ?」
「あの様子だと、絶対にロクなことを考えていないわよ。今度は『極光の騎士』の殺害計画を練るかも」
「まあ、その可能性はあるだろうな。ランキング一位の『極光の騎士』が二十八闘技場に所属していることは、ジークレフにとって非常に不愉快なはずだ」
俺の言葉を聞いて、ヴィンフリーデは困惑した表情を浮かべた。
「じゃあ、どうして? 謝罪文の公表をちらつかせても、大人しくなる人間には見えないけれど」
「俺もそう思う。それに、自分の仕業だとバレなければいいと、そう考える可能性は高い」
そもそも、フィエルの一件だって立証は不可能だからな。次はもっと上手くやると、そう考えている気がする。
「『極光の騎士』の試合はディスタ闘技場で行う予定だから、色々と悪だくみもできるだろう」
そして、それは俺が狙っていることでもあった。『極光の騎士』を暗殺しようとする動きがあるなら、この手で返り討ちにして首謀者を吐かせてやる。そんなつもりでいた。
そう決意を新たにしていた俺だが、ヴィンフリーデは困惑の度合いを深めているようだった。
「……なんだかミレウスらしくないわね」
「え?」
「試合以外の理由で剣闘士が命の危機に晒されるのよ? 普段のミレウスなら、せめて試合会場は二十八闘技場にして、悪だくみの余地を減らしているところじゃないかしら」
「あー……」
その言葉でようやく気付く。俺は自分で対処するつもりだったから、危険性を度外視して考えていた。だが、彼女からすれば、『極光の騎士』という剣闘士を、俺が危険な地へ送りこむように見えるのだろう。
「まあ、『極光の騎士』だからな。返り討ちに遭うだけだろう」
そう言い訳すると、彼女は一応納得したようだった。『極光の騎士』を殺害できるような猛者がいるのなら、その人間を剣闘士デビューさせればいいだけだ。
もちろん、不意打ちや毒殺といった手段も存在するから、油断できないことに変わりはないが、他の剣闘士とは安心感が違うのだろう。
「ええ、『極光の騎士』が誰かに殺されるとは思えないし、大丈夫だとは思うけれど……」
「もちろん、『極光の騎士』にはこれまでの経緯を説明しておく。出された飲食物なんかにも気を付けておく必要があるだろうしな」
自分にそう言い聞かせる。『千変万化』が『極光の騎士』に勝利したとなれば、彼を擁するディスタ闘技場の株も上がる。
ジークレフにとって最も望ましいのは、『千変万化』が試合に勝利して、『極光の騎士』が試合の間で死亡することだろう。そのためには、遅効性の毒や痺れ薬くらいは盛ろうとしてもおかしくない。
「さて、どう出るかな……」
『極光の騎士』と『千変万化』の試合日は、波乱を含んだ展開になりそうだった。