策謀 Ⅶ
【支配人 ミレウス・ノア】
「ジークレフがマーキス神殿に来た?」
「はい……その、魔法試合は危険だから、天神教徒に観戦しないよう呼び掛けてほしいって……」
シンシアからもたらされた情報に、俺は憤るというよりも呆れていた。なりふり構わずとはこのことだ。
観客に占める天神教徒の割合は分からないが、帝都に占める天神教徒の数からして、かなりの規模になることは間違いない。そういう意味では、第二十八闘技場にダメージを与える戦略として正しい。
だが、理由付けが弱すぎる。いくら危険だと騒ぎ立てても、移転後の第二十八闘技場における観客の負傷者数はゼロだ。
その一方で、『大破壊』や『剣嵐』の流れ弾は結界を突き破って観客をちょくちょく負傷させている。その理屈で言うならば、ディスタ闘技場のほうこそ観戦禁止にするべきだろう。
「嫌われているわね、私たち」
応じるヴィンフリーデも苦笑交じりだ。
「嫌うとか、そういう次元じゃない気がするが……。シンシア、ありがとう。教えてくれて助かった。
ところで、シンシアは大丈夫だったか? 第二十八闘技場の救護神官をしていることで、嫌味を言われただとか……」
ジークレフの奴、第二十八闘技場に関わるものすべてが憎いような顔をしていたからな。彼女も巻き添えを受けた可能性がある。
「そう言えば、ディスタ闘技場に救護神官として来てほしいって、そう言われました……」
シンシアは大したことではないように告げたが、その内容は看過できないものだった。
「引き抜きか……」
本当に色んな妨害工作をしてくるな。その行動力をディスタ闘技場の改善につぎ込んだほうが建設的な気はするが。
ただ、狙いがよく分からない。たしかにシンシアは優秀な治癒魔法の使い手だが、闘技場の運営に大きく関わるわけではない。ということは、先の件も含めて考えると……。
「二十八闘技場とマーキス神殿が親密な関係にあると考えて、その接点であり象徴でもあるシンシアを引き抜こうとしたのか……?」
実際には、マーキス神殿との繋がりはほとんどない。あのマーキス神殿が信徒に二十八闘技場の観戦を奨励するはずがないし、接点はシンシアの派遣だけだ。
敢えて言うなら、重要な取引相手であるマルガ商会のセイナーグさんは敬虔なマーキス信徒だから、彼らとの関係に亀裂が入ることを期待したのかもしれない。
そう口にしたところで、俺ははっとシンシアを見た。
「あ……すまない。ジークレフがシンシアの能力を見込んで、というのは大前提だからな。その上でさらに企みがあったんじゃないかって、そう思っただけで」
さっきの言い方だと、シンシアはどうでもよくて、その立場だけに興味があるように聞こえるからな。慌てて弁解すると、シンシアは小さくクスリと笑った。
「はい、ありがとうございます」
「それで、シンシアちゃんはどう答えたの?」
ヴィンフリーデが尋ねる。だが、ここまで詳らかに情報を提供してくれているのだ。引き抜きの話を受けたわけではないだろう。ヴィンフリーデの口調が軽いのも、それを見越しているためだと思えた。
「もちろん、お断りしました」
シンシアははっきり断言した。彼女にしては珍しいが、それだけ強調したかったのだろう。その気持ちは嬉しいものだった。
「ありがとう。……二十八闘技場にとってシンシアは大切な存在だからな。これからも一緒にいてほしい」
俺はまっすぐシンシアを見つめた。彼女はあくまでマーキス神殿から派遣されている身だ。マーキス神殿長の判断一つで関係が終わってしまうことだってあり得る。
だが、シンシアはうちの剣闘士の間でも人気が高いし、俺自身も何かと助けられている。できることなら、これからも二十八闘技場へ来てほしい。その気持ちに嘘はなかった。
「は、はい……っ」
だが、彼女にとっては予想外の言葉だったらしい。驚いた顔のままでシンシアは何度か瞬きをする。照れたのか彼女の頬が赤く染まり……そして、突如として薄緑色の羽毛が視線を遮った。
「ピピッ?」
俺の視線がノアのつぶらな瞳とぶつかる。シンシアがノアで顔を隠したのだ。一瞬驚いた様子のノアだが、すぐにその小さな羽をぱたぱたと動かす。挨拶のつもりだろうか。
「……ぃ」
と、ノアの反応に和んでいると、その後ろからかすかな声が聞こえた。だが、声が小さすぎて何を言ったのか分からない。まさか「ごめんなさい」とかじゃないだろうな。そう心配していると、ヴィンフリーデが横から口を挟んだ。
「これからもよろしくね、シンシアちゃん」
そして、楽しそうな笑顔で俺を見る。ひょっとして、ヴィンフリーデには聞こえていたのだろうか。なんだか訳知り顔なのが気になるな。そんなことを考えていると、ようやく目だけを出したシンシアがおずおずと口を開いた。
「あ、あの、今日はこれで失礼します……」
今度の言葉は俺も聞き取ることができた。俺は頷くと笑顔を浮かべる。
「ああ、今日はありがとう。次の救護派遣は……明後日の試合か。またよろしくな」
「はい……!」
相変わらず目の部分しか見えていないシンシアだが、それでも負の感情がないことは分かった。そのことにほっとしながら、退室するシンシアを見送る。後ろからだとよく見えないが、ようやくノアは胸元まで下ろしてもらえたようだった。
その後ろ姿を見ながら、俺は今後の対応に思考を巡らせていた。
◆◆◆
第二十八闘技場の隣には、衛兵の詰所がある。かつて、用地の取得に際して帝国と取り合いになり、こちらが手を引いた記憶はまだ新しい。
とは言っても、新しい闘技場の建造計画に支障は出なかったし、衛兵の詰所があるということは、三十七街区にとってはありがたいことだ。
そして、そんな詰所の長は、俺もよく知る貴族だった。
「ヴァリエスタ伯爵家の内情を知りたい?」
「はい、ウィラン男爵であればご存知ではないかと思いまして」
「……何を企んでいる?」
ウィラン男爵の目に探るような光が灯った。嫌われてはいないと思うのだが、ウィラン男爵は俺が常に何かを企んでいると考える傾向にあった。
「企んでいるのではなく、途方にくれているのです」
そして、ジークレフとの確執について話をする。闘技場での観戦が趣味であるおかげで、男爵の理解は早かった。
「なるほどな。ジークレフ殿がディスタ闘技場の支配人を継いだことは知っていたが……」
「男爵は彼をご存知なのですか?」
問いかけに、ウィラン男爵は首を横に振った。
「直接の面識はない。野心家だと聞いたことはあるが、本人と話もせずに決めつけるわけにはいかんからな」
「野心家、ですか?」
そう訊き返すが、男爵は沈黙したままだった。どうしたのかと首を傾げたところで、彼はぼそりと口を開いた。
「あまりペラペラと余所の貴族の内情を話すわけにもいかん」
「それでは、貴族社会で常識として知られている情報だけでも教えていただけませんか? 彼から敵視される理由が分からないことには、対処ができず困っているのです」
「む……」
少し心が動いた様子の男爵に、さらに言葉を付け加える。
「事は第二十八闘技場の一大事です。もし教えていただけるのであれば、第二十八闘技場のお好きな試合のチケットをご用立てしましょう」
「私を買収しようと言うのか?」
「情報提供の対価です。やましい気持ちはありません」
そんなやり取りをしばらく繰り返した後で、男爵は小さく溜息をついた。
「……いいだろう。どうせ、俺が知っている情報などたかが知れている」
そう言ってから、ウィラン男爵は慌てて付け加える。
「だから、別にチケットを用立てる必要はない。一般常識に過ぎないのだからな」
男爵は真面目な性格だった。単に警戒されているだけかもしれないが、話してくれる気になったのであれば、どちらにせよ問題はない。
「ヴァリエスタ伯爵家は、帝国の誕生と同時に爵位を賜った歴史ある家柄だ。もともと、伯爵は辺境の村の自警団の長だったが、自らも剣をとり、皇帝陛下とともに幾多の戦いを潜り抜けてきた。ルエイン帝国の建国に貢献した古参貴族ということで、貴族社会でも一目置かれている」
「ヴァリエスタ家はどんなお仕事を担当なさっているのですか?」
そう問いかけると、ウィラン男爵は少し悩んだ様子だった。
「いくつかあるが……領地の経営はもちろんのこと、軍部の重鎮であり、内務にもいくつか伯爵家の息がかかったポストがある。言うまでもないが、ディスタ闘技場の運営もだな」
「多岐にわたるのですね」
「それだけ、ヴァリエスタ伯爵家は権勢のある貴族だということだ」
それは残念な情報だった。ジークレフが次期ヴァリエスタ伯爵となった場合、第二十八闘技場は面倒な相手を敵に回すことになるわけだ。そこまで考えた俺は、ふと疑問を抱いた。
「ジークレフは長子なのですか?」
普通、貴族の子供が一人だけ、ということはない。家の存続のために必須だからだ。
「いや、三男のはずだ。男子が四人、女子が二人いる」
「……ということは、ジークレフが伯爵家を継ぐ可能性はあまり高くない?」
あまり貴族のことには詳しくないが、基本的には長子相続のはずだ。
「さてな……ヴァリエスタ伯爵は実力主義だからな。必ずしも長男が後を継ぐとは限らん」
「そうですか……」
少し声のトーンが落ちる。代理とは言え、ジークレフはディスタ闘技場の運営を任されている。それは、伯爵に見込まれているということだ。
そう言ったところ、ウィラン男爵は首を横に振った。
「だが、長男は領地の経営に本腰を入れていると聞くし、次男は騎士団で活躍している。四男も内務関係で皇城に出入りしている。特にジークレフ殿が特別扱いされているわけではないだろう」
なるほど、四人とも別のフィールドで活躍しようとしているわけだ。そう考えた時、ふと思いつく。
「それって、後継者争いのレースを兼ねていたりしませんか?」
ヴァリエスタ伯爵は実力主義だという話だったし、もう高齢で、体調を崩す前から引退を考えていたとも聞く。
「……あり得るな。後継者争いは家の力を削ぐが、こういう形であれば伯爵家に損失は出ないと考えたのかもしれん」
そして、男爵は俺の目をまっすぐ見た。
「もしそうなら、なりふり構わず成果を出そうとするかもしれん。……気を付けろよ」
そう告げる顔は真剣そのもので、俺は大いに不安をかき立てられた。