策謀 Ⅴ
「びっくりしました……」
『千変万化』との話し合いの間、ずっと沈黙を守っていたシンシアは、魔道具店を出るなりぽつりと呟いた。
空はいつの間にか薄暗くなっており、石床に刻まれた『旅人の灯火』の紋様がぼんやりと道を照らしている。その様子に視線を送りながら、シンシアの言葉に答える。
「ああ、俺もだ。まさかあんな大物が移籍を希望してくるとはな」
俺の声は心なしか弾んでいた。『千変万化』が移籍してくるという事実もそうだが、それよりも上位ランカーが第二十八闘技場の価値を認め、移籍を考えたということ自体が嬉しかったのだ。
死ではなく、技を売り物にする。親父から受け継いだ闘技場の理念は、今も俺を助けてくれていた。
「けど、すまなかったな。移籍の話はシンシアには関係ないのに」
謝ると、シンシアはにっこりと微笑んで首を横に振った。
「私も第二十八闘技場の救護神官ですから、無関係じゃありません。強い人が仲間になってよかったですね」
「ああ。それに、ランキング第六位の『千変万化』に出ていかれたとなれば、ジークレフもダメージを受けるだろう。……少しは反省するといいんだが」
「はい……」
シンシアの表情に再び翳が落ちる。それはそうだろう。『千変万化』を引き抜くという形で仇討ちはできたものの、フィエルが死んだという事実は変わらない。
そうして、しばらく無言で歩いていた時だった。
「……私、フィエルさんに誘われてたんです。試合を観に来ないか、って」
シンシアは前を見たまま、小さな声で告げた。
「試合って……あの交流試合か?」
「はい……。でも、その時はお断りしたんです。それに、もともと救護神官の当番の日でしたし」
答えたシンシアは、視線を落として自分の手元を見つめる。いつしか彼女は立ち止まっていた。
「もし……もし、私が試合を観に行っていれば、ディスタ神官さんの代わりに治癒魔法を使えたかもしれない。そんなことばかり考えてしまって……」
「そういうことか……」
彼女の言葉を聞いて、俺は一人納得していた。フィエルの死の真相究明について、シンシアが彼女らしからぬ行動力を見せた理由。それは彼女の罪悪感だったのだろう。
「こんなことはシンシアも分かっていると思うが……それでも言っておく。フィエルの死について、シンシアの落ち度は何もない。それは俺が保証する」
なおも、シンシアは無言で手元を見つめていた。『極光の騎士』なら、もっと簡単にシンシアを慰められるのだろうか。そんなことを頭の隅で考えながら、俺はさらに言葉を重ねる。
「フィエルが死んだことは悲しいし、その感情を否定するつもりはない。むしろ、あいつのために悲しんでくれることを嬉しく思う。ただ、そこで自分を責めないでほしい」
巨人騒動をはじめとした付き合いで分かったことだが、彼女は他者の不幸を自分の責任だと考えるフシがある。ハイレベルな治癒魔法の使い手だからこそ、そういった思いを抱いてしまうのか、それともかつて言っていた彼女の『過去』が原因なのか。
だが、どちらにせよ、それでは彼女の心がすり減ってしまうことに変わりはないし、それを良しとする気にはなれなかった。
「あの……ありがとうございます」
そんな思いが伝わったのだろうか。やがて、シンシアは微笑みを浮かべた。
◆◆◆
「『千変万化』が移籍してくるの!?」
先日の『千変万化』とのやり取りをヴィンフリーデに説明したところ、彼女は目を丸くして驚いていた。
「俺も今だに信じられないが……嘘や罠ではないと思う」
「変わった人だけど、たしかにそういったことはしなさそうね」
ヴィンフリーデも『千変万化』のことは知っているようで、その点についてはあっさり同意する。
「それって……上位ランカーのうち三人が、二十八闘技場に所属するということよね」
「まあ、そうなるな」
「凄いじゃない! 次の闘技場ランキングは本当に一位を狙えそうね」
ヴィンフリーデが目を輝かせる。そして取り出したのは、横に長い紙だった。
「それじゃ……こうなるのね」
「どうせなら、他の上位ランカーの分も書いておこう。考えやすくなる」
俺たちが手を加えていたのは、最新の帝都剣闘士五十傑が書かれた書類だ。剣闘士の名前の下にそれぞれ所属闘技場を書いていく。やがて、上位十名の所属を示す表が出来上がった。
一位『極光の騎士』……第二十八闘技場
二位『大破壊』……ディスタ闘技場
三位『双剣』……バルノーチス闘技場
四位『魔鏡』……バルノーチス闘技場
五位『金閃』……第二十八闘技場
六位『千変万化』……第二十八闘技場
七位『剣嵐』……ディスタ闘技場
八位『不落城』……マイヤード闘技場
九位『剛腕剛脚』……ディスタ闘技場
十位『緋炎舞踏』……バルノーチス闘技場
「上位ランカーだけで言えば、完全にディスタ闘技場を超えたんじゃない?」
書き出した表を眺めて、ヴィンフリーデは声を弾ませた。数の上では同数だし、順位的にもこちらが上だ。
「観客数もこっちが負けているとは思えないし、闘技場ランキング一位にまた近付いたわね」
「……そうだな」
瞳を輝かせるヴィンフリーデほど、俺は明るい見通しを持てなかった。彼女は知らないが、『極光の騎士』はもうすぐ消滅する。次の集計期間には間に合わないのだ。
『極光の騎士』抜きで、親父への誓いを果たせるのか。そんな疑念が胸に湧き起こる。
「ミレウス、どうしたの? 浮かない顔をしているわよ」
俺の様子を不思議に思ったのだろう。ヴィンフリーデが俺の顔を覗き込んでくる。
「……いや、なんでもないさ。『千変万化』にどれくらいのお金を払えばいいかで悩んでいたんだ」
俺はとっさにごまかした。そうとは知らず、彼女はしみじみと同意してくれる。
「剣闘士ランキング六位だものね……いくら払えばいいのかしら」
「うちには『千変万化』よりランキングが高いユーゼフがいるからな。あいつを基準にすれば、そう高くはならないが……」
言いながら悩む。『千変万化』は魔道具の収集が趣味らしいから、お金は必要だろう。
実を言えば、ユーゼフのファイトマネーは、上位ランカーとしてはかなり低い。第二十八闘技場の規模がそんなに大きくなかったため、出せる金額にも限界があったのだ。
ユーゼフもそれは分かっているし、意外にも彼自身はそこまで散財する性格ではなかったため、ずっと低いままだったのだ。
だが、第二十八闘技場が大きくなったことにより、収益は跳ね上がっている。その一部をユーゼフに還元することは必要だろう。むしろ、収益が上がった時点でそうするべきだった。
なお、『極光の騎士』のファイトマネーももちろん高いのだが、あっちは三か月に一度しか試合をしないおかげで、そこまでの負担にはなっていない。
「あら、ユーゼフが喜ぶわね」
その話を持ち掛けたところ、ヴィンフリーデは嬉しそうに微笑んだ。恋人の収入が上がるのだから、悪いことはないだろう。
「あいつ、そんなに金に困ってるのか?」
からかい交じりに問いかけると、彼女はわざとらしく肩をすくめた。
「そんなことないわよ。貴族のお姫様たちからも、色々プレゼントをもらっているみたいだし」
「さすがはユーゼフだな……」
「けど、二人のお金を貯めるなら、やっぱり自分たちで稼いだ分にしたいもの」
「二人のお金?」
「……あ」
オウム返しに尋ねた俺に、ヴィンフリーデは失敗した、という顔を見せた。最初は意味が分からなかった俺だが、その顔を目にしてようやく気付く。
「おめでとう、もしくはご馳走様と言ったほうがいいか?」
「もう……家を買ってから驚かせようと思ってたのに」
さすがに恥ずかしかったのか、ヴィンフリーデがぷいとそっぽを向いた。まあ、俺たちも二十歳を超えているわけだし、そんな話が出ていてもおかしくないか。
「じゃあ、ユーゼフに対しては知らないフリをしておくさ」
「気を遣わなくていいわ。ミレウスを驚かせたかったのは私のほうなんだから、意味がないもの」
「なんだそりゃ。……じゃあ、俺があの家を出ようか?」
「え?」
「もともとヴィーの家なんだから、出ろと言われれば出て行くぞ。裏庭のトレーニング場はユーゼフもよく使ってるし」
そう答えると、ヴィンフリーデは大きく溜息をついた。そして、俺に人差し指を突き付ける。
「弟を実家から追い出して新居を手に入れるなんて、そんなことできるわけないでしょう?」
「妹のために身を引くのも兄の務めだぞ」
「あの家なら、お隣さんがミレウスのことを気にかけてくれるもの。働きづめの弟を持つ姉としては、とても安心なのよ」
ことある毎に繰り返される兄姉争いは今回も平行線だった。不毛な争いを終えるべく、俺は話題を元に戻す。
「あの家だって、一人より二人に使われたほうがいいに決まってる。ヴィーの部屋だってそのまま残しているしな」
それは事実だった。ヴィンフリーデや親父たちの部屋が残っているのは、あくまで俺が「借りているだけ」という認識だからだ。
それに、俺はリビングと自室さえあれば困らないため、わざわざ片付けて使う必要性を感じなかったということもある。
「子供が生まれても問題ない広さだしな」
「……き、気が早いわよ。まだ時期だって決まっていないし」
珍しくヴィンフリーデが顔を赤くしている。たまにはからかってやろうと息を吸い込んだ俺だったが、その前に彼女が口を開いた。
「それはミレウスだって同じことでしょう? 私や母さんに気兼ねしなくても、女の子を連れ込んでいいのよ?」
「な――」
思わぬ反撃に言葉を失う。俺の様子を見て、ヴィンフリーデは楽しそうな笑顔を見せた。
「と思ったけど、そう言えばこの間、すでにシンシアちゃんを招いてたわね」
「……たしかにシンシアは二回ほど家を訪ねてきたが、一度目は『極光の騎士』に会うためだし、二度目は彼女が神託を伝えに来たためだ。ヴィンフリーデが考えているようなことはないぞ」
そう説明してもヴィンフリーデの笑顔は崩れない。相変わらず楽しそうだ。
「ふぅん……そういうことにしてあげるわ。じゃあ、レティシャは?」
「『紅の歌姫』のファンに刺される」
脊椎反射の速度で答える。だが、ヴィンフリーデはゆっくり頭を振った。
「それは別の話でしょう? ……あ、でも彼女は自分の家を持っているのよね?」
「ああ、研究施設込みの大きな屋敷だ」
「となると、ミレウスはそっちに住むことになりそうね……。あの家が空き家になるくらいなら、本当に私たちが住むのも――」
「いや、仮定の話をそんなに真剣に検討しなくても……」
真面目に考えているヴィンフリーデを見て思わず呟く。だが、今の話で思い出したことがあった。
「そうだ、レティシャと言えば……」
「どうしたの? デートの予定でもあるの?」
「いや、ちょっと魔術師ギルドに依頼があってさ。……今回のフィエルの件があったから」
俺はヴィンフリーデの言葉をあっさり受け流した。内容が内容なだけに、彼女も意識を切り替えたようだった。
「……どういうこと?」
「ジークレフは、俺が考えていたよりも物騒な価値観を持っているようだからな。そういう人間だという前提で、奴が何をするか考えてみた」
「それで魔術師ギルドなの?」
「ああ。レティシャを通じて、魔術師ギルド長と話をする必要がありそうだ」
あの二人は師弟らしいし、なんとか面会することができるだろう。そんなことを考えながら、俺は今後の対応策をまとめていた。