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策謀 Ⅱ

 第二十八闘技場の支配人室にもたらされたのは、信じられない訃報だった。


「フィエルが死んだ……!?」


「ええ。今日はディスタ闘技場で交流試合だったでしょう? その試合で致命傷を受けて、救護も間に合わなかった、って……」


 報告するヴィンフリーデの表情は暗い。『疾風迅雷スピードスター』フィエル・マージ。我儘なところはあったものの、まっすぐな性格には好感が持てたし、なんと言っても数年間を共にした闘技場の仲間だ。キッと引き結んだ唇が彼女の感情を表していた。


「交流試合を認めるべきじゃなかったのか……?」


 思わず呟く。フィエルがディスタ闘技場の剣闘士と喧嘩をして、交流試合で見返してやりたいと言ってきたのは少し前の話だ。


 その時は話を受け流したのだが、意外にもディスタ闘技場から正式に交流試合の申し込みがあったことや、これでフィエルが勝てば、帝都五十傑に王手をかける好機だという計算も手伝って、迷いながらも許可を出したのだった。


「試合の詳細は分かるか?」


「まだ断片的だけれど……相手の剣がフィエルの胸に深く突き刺さったみたい。その後、救護担当が魔法を使ったけど間に合わなかったって……」


「そうか……引き続き情報収集にあたってくれ。あいつの遺体は?」


「とりあえず、救護室のベッドに安置してもらったわ。試合はすべて終わっているから。……よかった?」


「ああ、それでいいと思う。この闘技場に安置室はないからな」


 剣闘試合に死者はつきものだが、その割合は昔よりぐっと下がっている。その中でも死亡率が低い第二十八闘技場においては、ここ数年間は死亡者が出ていなかった。俺が支配人を継いでからの期間で考えると、初めての死者ということになる。


「救護室へ行ってくる」


 そう言い残すと、足早に階下へ向かう。救護室へ向かうルートはいくつかあるが、その最短距離を通って辿り着くと、救護室の扉を開けた。


「フィエル……っ!」


 ベッドの上に横たえられているのは、間違いなくフィエルの遺体だった。ベッドの傍へ駆け寄ると、そっと彼の身体に触れる。その冷たさは、生きている人間ではあり得ないものだった。


 こみ上げる感情を押し殺すため、奥歯をギリッと噛み締める。そうしてどれくらい立ち尽くしていただろうか。ふと、背後から声をかけられた。


「ミレウスさん……?」


「シンシア、いたのか?」


 驚いて振り返ると、そこにはシンシアの姿があった。救護室の扉が開いた様子はなかったから、最初からそこにいたのだろう。それに気付かなかったということは、俺は自分で思っている以上に動揺しているらしい。


「はい……帰ろうとしたところに、フィエルさんの、その……身体、が……」


「ピィ……」


 言葉を詰まらせた彼女の頬を涙が伝う。目が真っ赤になっているところを見ると、すでに泣き腫らしていたようだった。ノアが小さな翼を羽ばたかせて飼い主を慰めようとしているが、それでも彼女の涙は止まらない。


 シンシアはうちの剣闘士をほとんど覚えている。特に、フィエルは積極的にシンシアに話しかけていたこともあり、身近な存在だったのだろう。


「悪かった。つらい思いをさせたな」


「いえ……」


「これは俺の問題だ。シンシアが抱え込む必要はないからな」


 落ち込むシンシアに声をかける。そう言ったところで気が晴れる彼女ではないだろうが、そこだけは断言しておきたかった。落ち込むのは、交流試合の許可を安易に出してしまった俺だけで充分だ。


「ここは俺が預かる。シンシアは帰っても大丈夫だ」


 そう伝えても、シンシアには帰ろうとする気配がなかった。まだ夕方だが、もうすぐ夜になる。それまでに帰ったほうがいいと重ねて伝えると、彼女は心配そうに俺を見上げた。


「……今のミレウスさんは、凄い顔をしてます」


「顔?」


 俺はおどけた風を装って、自分の顔をペタペタと触る。だが、シンシアの表情は変わらない。


「自分のせいだって落ち込んで、悩んで、でもそれを一人で飲み込もうとしている顔です」


「別にそんなことは……」


「そういう顔を何度も見てきましたから、分かります」


 シンシアは俺の目を真っすぐ見る。その視線から目を逸らしつつ、俺は小さく息を吐いた。


「……支配人だからな。交流試合の許可を出したのは俺だし、今後の対応を考えるのも俺の仕事だ。悲しむより先に、やるべきことが次々と頭に浮かんでくる」


 とは言え、支配人としてはありがたいことでもあった。俺の顔に自然と苦笑が浮かぶ。


「我ながら冷たい人間だと嫌になるが……だからこそ、こういった場面では役に立つこともある」


 そう告げると、シンシアはじっと俺を見つめる。そして、静かに首を横に振った。


「……本当に冷たい人だったら、そんな顔をしないです」


 はっきり断言して、彼女は言葉を続ける。


「それに、お仕事だから、支配人だからって、つらくないわけじゃないです。……そうでしたよね?」


 意味ありげな物言いが俺の記憶を蘇らせる。そう言えば、シンシアにそんな感じのことを言った記憶があるな。あれは闘技場移転の頃だったか。


「……まあ、俺にも感情はあるからな」


 素直に認める。すると、彼女は予想外の言葉を口にした。


「だから、私もここにいます」


「……え?」


「そういう顔をする人は、一人でいると、どんどん嫌なことを考えるんです」


 どこか懐かしそうな口ぶりで言い切ると、彼女はノアを抱き上げた。この様子だと本当に帰るつもりはなさそうだな。俺はシンシアの説得を早々に諦めると、フィエルの遺体に向き直った。


「傷を確認する。惨い傷口の可能性もあるから、目を背けておいたほうがいいかもしれない」


「大丈夫です。仕事柄、私も大怪我はたくさん見ていますから……」


「言われてみればそうだな」


 シンシアの返事に納得する。むしろ、俺よりも経験豊富かもしれない。


 そして、フィエルの身体に被せられていた布をゆっくり剥ぎ取っていく。血が糊となって剥がしにくい部分もあったが、傷口が露わになるまでに時間はかからなかった。


「これか……」


 たしかに、致命傷になり得る傷だった。急所は外れているものの、かなり深い傷であることが窺える。これではそう長くは保たなかっただろう。


「あの……ミレウスさん」


「どうした?」


 やっぱり気分が悪くなったのだろうか。そう思った俺は、予想外の問いかけを受けた。


「どうして、フィエルさんの身体にこんなに大きな傷が残ってるんでしょうか。……これじゃ、まるで治癒魔法(・・・・・・・)を使っていない(・・・・・・・)みたいです(・・・・・)


「それは、即死だったからじゃ――」


 言いかけて、俺は固まった。急所は外れている。長くは保たない。そう分析したのは俺だ。たしかに深い傷だが、即死レベルだったかと言うと怪しい。


「亡くなった直後なら、治癒魔法は効果を発揮するんです。……失われた魂は戻ってきませんけど、傷は治ります」


「……魂が失われたと判断して、治癒魔法を使わなかった可能性はあるか?」


 俺の問いかけを受けて、シンシアは首を横に振った。


「魂が失われたかどうかは、見た目では分かりません。だから、治癒魔法を使いもせずに諦めるなんて考えにくくて……」


 抱きしめる手に力がこもったのだろう。ノアがじたばたしていることに気付いて、シンシアは慌てて手を緩める。


「ということは、つまり――」


 言いかけた時だった。救護室の扉がバン、と開かれる。そこに立っていたのは、ユーゼフをはじめとした数人の剣闘士だった。


「ミレウス! それにシンシアさんも」


「ん? 支配人だけじゃなくて、シンシアちゃんもいるのか?」


「シンシアちゃんに送ってもらえりゃ、フィエルの奴も本望だろ」


 そう言いながら、彼らはぞろぞろと入ってくる。


「みなさん……」


 シンシアも驚いた様子だ。だが、彼女の精神状態を考えれば、こうして賑やかなほうがいいかもしれないな。


「ヴィーから聞いてね。訓練場にいた皆に声をかけたんだ」


 そして、ユーゼフたちはフィエルの顔を覗き込む。


「たしかに深い傷だな……相手は五十傑だっけか?」


「ああ、『双穿ダブルピアース』だったはずだ」


「あの野郎、今度対戦したら痛い目見せてやる」


「お前が勝てるわけねえだろ? ユーゼフに任せとけって」


 賑やかな笑い声が救護室に響く。その様子にシンシアは面食らっているようだった。


「驚いたか?」


 少し離れた場所で剣闘士たちを見ているシンシアに近付くと、小さな声で問う。


「はい……」


 死ぬことも覚悟の上で試合の間(リング)に上がっている彼らの死生観は、一般的なそれとは少し異なっている。シンシアはもっと悲痛に泣き叫ぶ様子をイメージしていたのだろう。


 だが、目の前にいる彼らは賑やかに、それでいて穏やかな様子でフィエルに別れを告げていた。それは彼らの覚悟であり、矜持でもあった。ただ――。


「調べてみる必要があるな……」


 救護室の片隅で、俺は小さく呟いた。




 ◆◆◆




 フィエルが試合で命を落とした翌日。俺はヴィンフリーデと遺族への対応を考えていた。


「フィエルの家族とは連絡が取れそうか?」


「難しいわね……。フィエル君の故郷は帝国領の外れにある村だけど、家族は散り散りになって誰もいないはずよ」


「手紙のやり取りの痕跡も?」


「ええ、なかったわ。うちの剣闘士や近所の人にも確認したけれど、そんな様子はなかったみたい」


「そうか……」


 遺族と顔を合わせなくても済みそうだ、という安堵と、そう考えてしまった自分に対する嫌悪感。それらがない交ぜになって、俺は大きな溜息をついた。


「遺品もお金も、渡す人がいないわね……どうしようかしら」


 ヴィンフリーデは思案顔だ。身寄りがいない剣闘士の場合、身元引受人は闘技場ということになるのだが、俺たちも家族や交友関係を完全に把握しているわけではない。


 帝国に一切を任せることもできるのだが、すべての遺産が没収され、国庫に蓄えられるだけだ。将来、彼の家族が訪ねてくる可能性がゼロではないことを考慮すると、それは避けたかった。


「遺品は、あいつらしさが残っていて、傷みにくいものを数点残しておこう。金銭は……あまり多くなかったんだよな?」


「ええ。フィエル君は貯金するタイプじゃなかったから……」


「それじゃ、遺品と一緒に保管しておくか」


 幸いなことに、新しい闘技場には空きスペースがたくさんある。十年や二十年といった単位で保管してもそう邪魔にはならないだろう。


「フィエルの愛剣は遺品として保管して、他の武具防具はうちで使わせてもらおう」


「分かったわ。遺品の選別はどうする?」


「俺がやる。フィエルと仲が良かった剣闘士にも付き合ってもらう」


 ヴィンフリーデの質問に淡々と答える。数年を共にした剣闘士が死んだというのに、頭は意外なほど冷静だ。やらなければならないこと、やっておいたほうがいいことが次々に頭に湧いてくる。


 そうして、対応の大まかな方向性をヴィンフリーデと決定した時だった。支配人室の扉が、ガンガン、とノックらしからぬ大きな音を立てた。


「誰かしら?」


「フィエルの遺族が見つかった、とか?」


 そんな会話を交わしながら扉を開く。そこにいたのは、筋骨隆々の大男と、彼の隣にいるせいで余計にほっそりして見える少女だった。


「ベイオルードとシンシアか。……珍しい組み合わせだな」


 戦神ディスタの神官であり、うちの剣闘士でもある『戦闘司祭ベリコース』ベイオルードと、『天神の巫女』であり、うちの救護神官でもあるシンシア。

 二人には救護神官という共通点があるが、ベイオルードは剣闘士として出場することが多く、救護神官としてはあまり活動していない。彼らが同じ試合で救護神官を務めたことは二、三回程度だろう。


 俺が不思議に思っていると、シンシアは慌てた様子で口を開いた。


「あの、私からベイオルードさんにお願いしたんです」


「お願いした?」


 彼女の言葉に首を傾げる。疑問は深まるばかりだった。


「シンシア殿から、ディスタ闘技場の救護神官を紹介するよう頼まれたのである。あの闘技場の救護神官は、全員が戦神の神官であるからして」


 その言葉で、俺はようやく二人が言いたいことを理解した。


「ディスタ闘技場の救護神官……つまり、彼らの救護活動に不備がなかったかを確認すると?」


「勇敢な戦士は死して戦神の眷属となる。それは誉れであるが……救える命を意図的に救わなかったとなれば、それは神の教えに背く行いとなろう。

 我らディスタ神官の中に、そのような不心得者がいるとは考えたくないのであるが……」


 彼にしては珍しく言いよどむ。その後を引き継いだのはシンシアだ。


「それで、その……ディスタ闘技場との関係もありますから、ミレウスさんにご許可をもらおうと思って……」


「なるほど、そういうことか」


 俺はようやく納得した。そんな俺を、シンシアは不安そうに見上げる。


「駄目でした……か?」


「いや、そんなことはない。むしろ助かるが……いいのか? この件でシンシアが責任を感じる必要はないぞ?」


「はい……」


 そう答えながらも、シンシアの意思は変わらないようだった。何が彼女を突き動かしているのか分からないが、どうせなら手伝ってくれる人間はいたほうがいい。


「じゃあ、俺も行くよ。これは支配人の仕事でもあるからな」


 そして、俺は外套を手に取った。


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