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策謀 Ⅰ

【支配人 ミレウス・ノア】




「なあ、いいだろ!? このまま舐められっぱなしじゃすまねえよ!」


「たしかに腹が立つ話だが、少し性急じゃないか? 闘技場は私闘をする場所じゃない」


「そんなことじゃ、『自分の闘技場で所属剣闘士が負けるのが怖いんだろう』って言われるぞ!」


 支配人室に声が響く。苛立った様子で声を上げているのは、うちの所属剣闘士である『疾風迅雷スピードスター』フィエル・マージだ。


 そろそろ十八歳になるはずだが、その容貌には今も少年っぽさが残っており、性格のほうも子供じみたところがある。

 だが、彼は優秀な剣闘士だ。二つ名の通り、スピードに特化した戦い方をしており、相性差は存在するものの、数年後には剣闘士五十傑に名を連ねるだろうと予想していた。


「それに、今はディスタ闘技場とあまり関係がよくないからな。もしこっちから交流試合を提案しても、断られる可能性が高い」


「それは支配人の事情だろ? 俺はこのままじゃ納得できねえよ!」


 再びフィエルは声を荒げた。彼が求めているのは、ディスタ闘技場の剣闘士との交流試合だ。街中で出くわした剣闘士と喧嘩騒ぎを起こし、そんな話になったらしい。


 珍しい話ではないが、闘技場外での喧嘩でいちいち試合を組んでいてはキリがないし、試合の間(リング)に喧嘩を持ち込むことも気が進まない。そんな理由から、俺は彼の対戦要求を受け流すつもりでいた。


「何が『魔術師にしか勝てない剣闘士の恥さらし』だ! 他の奴らにも勝ってるっての!」


疾風迅雷スピードスター』の怒りは収まらない。彼は第二十八闘技場のランキングで言えば第八位なのだが、それは対魔術師戦の勝率が異常に高いからだ。


 フィエルはスピード特化型であるため、魔術師が魔法を発動するよりも前に相手を倒してしまうのだ。魔法発動が早い『紅の歌姫(スカーレット・オペラ)』や『魔導災厄スペル・ディザスター』、接近戦もこなせる『蒼竜妃アクアマリン』あたりはともかく、他の魔術師にとっては嫌な相手だろう。


 だが、下位である十位の『戦闘司祭ベリコース』や十一位の『破城槌バタリングラム』といった剣闘士との直接対決においては、彼の勝率は低い。そこをディスタ闘技場の剣闘士に揶揄されたようだった。


「つまり、フィエルを剣闘士として評価しているってことか」


 とりあえず彼の憤りを鎮めようと、俺は少し話を逸らした。


「……は? いきなり何を言ってるんだよ」


「魔術師戦での勝率が高いことを知っていたんだろ? ということは、相手は『疾風迅雷スピードスター』が警戒に値すると考えて、情報を集めていたわけだ」


 なんせこの街は剣闘士が多い。剣闘士五十傑の常連ならともかく、そうでない剣闘士の特徴まで覚えていてはキリがない。


「……そんなことないだろ」


 そう言いながらも、フィエルの頬のあたりがぴくぴく動いている。笑みを隠そうとしているのだろう。もうひと押しだな。


「――あの、失礼します」


「ピピッ!」


 と、支配人室の扉が開かれる。そちらに視線をやれば、いつの間にかヴィンフリーデが扉を開けており、扉の向こうからシンシアとノアが顔を覗かせていた。


 だが、彼女は俺とフィエルを視線に捉えると、困ったようにヴィンフリーデを見た。取り込み中だと思ったのだろう。


「あの、後でまた来ますね。失礼しま――」


「あ、シンシア!」


 彼女の声を遮ったのは、嬉しそうなフィエルの声だった。彼はあっさり踵を返すと、顔だけ覗かせているシンシアに話しかけていた。


「久しぶりじゃん、元気してたか?」


「この前は回復魔法ありがとな!」


「次の試合相手が強敵でさ、シンシアに救護神官を頼みたいんだ」


 シンシアの返事も待たず、彼女に駆け寄ったフィエルは次々と話しかける。もはや俺のほうなど振り返りもしない。彼の頭の中は、シンシアにあっさり上書きされたらしい。


「余計なお世話だったかしら?」


 二人が話している間に、ヴィンフリーデがそっと耳打ちしてくる。


「いや、助かった」


疾風迅雷スピードスター』と面談中だったにもかかわらず、扉を開けたのは意図的なものだったらしい。シンシアを見れば、意識がそっちに向くと判断したのだろう。


「シンシアは大人気だな」


 彼らのやり取りを見ながら小声で呟く。フィエルに限らず、シンシアの前でデレデレしている剣闘士は多い。娘のように思っている者もいれば、恋心を抱いているらしき者もいる。

 聞いた話では、ディスタ闘技場の『剣嵐ブレード・ストーム』もしょっちゅうシンシアの前に姿を現しているらしい。


「だってシンシアちゃんだもの。……けど、悪い虫がつかないように気を付けないとね」


「何を保護者みたいなことを……」


 小さく噴き出す。この分だと、母親とまでは言わないが、シンシアの姉を自認していそうだな。あれでシンシアはしっかりしているし、そんな心配は不要だと思うのだが。

 とは言え、シンシアは困っているようだし、利用した側としては助け舟を出すべきだろう。


 そう結論付けた俺は、二人の会話に割って入る隙を探すのだった。




 ◆◆◆




「猛獣狩りの興行が増えた?」


「ええ。特に本腰を入れているのはディスタ闘技場とウェルヌス闘技場かしら。モンスターとの対戦頻度が飛躍的に増えているみたいだし、もはや『魔物狩り』ね」


「あいつらか……」


 ヴィンフリーデの報告に眉をしかめる。ディスタ闘技場もウェルヌス闘技場も、第二十八闘技場うちに対して非常に敵対的だ。それらの闘技場が新興行で人気を集めているとなれば、穏やかな気持ちではいられない。


「猛獣狩りの人気は、元はと言えばうちの(ドラゴン)戦が発端なのにねぇ……」


「まあ、興行自体は批判するような話じゃないからな。ウェルヌス闘技場はその前から猛獣狩りにモンスターを投入していたし」


「あら、心が広いわね」


 茶化すヴィンフリーデに肩をすくめてみせる。


「それに、猛獣狩りにモンスターを使うと費用がかかるからな。大金をはたいて生け捕りにしたモンスターを、一度の興行で殺してしまうなんて割に合わない」


 俺も何度か検討したことだが、やはり最大のネックはそこだった。それに、仕入れたモンスターを興行に出すまで、安全に隔離しつつ世話をする必要もある。

 かなり面倒だと思われるが、彼らには独自のコネやノウハウがあるのだろうか。


「意趣返しに、猛獣狩りの禁止を会議で提案してみようか」


「そうね……」


 ヴィンフリーデは支配人室の窓を開けると、試合の間(リング)を眺めて微笑んだ。


「そんなことをしなくても、集客数はうちのほうが上じゃないかしら」


「第十九闘技場のお客をだいぶ引っ張って来たからな」


「ふふ、リシェール商会に恨まれそうね」


「向こうはそれ以上に新規のお客を獲得しているさ。だからこそ、うちとの交流試合を了承したんだろう」


 そして、俺もヴィンフリーデの隣で窓の外を眺める。


「それに、魔法試合というものが大きく認知されはじめている気がする」


 それは第十九闘技場のおかげでもあるし、魔法試合を組んでいる第二十八闘技場うちが闘技場ランキング第五位につけたことからくる話題性のおかげでもある。


 様々な要因が重なっているため断言はできないが、闘技場ランキングの上位につけたということは、それだけで大きな影響力や集客効果を持っているようだった。


「このまま行けば、次の闘技場ランキングはもっと上を狙えるかしら?」


「そうだな」


 俺は気負いなく答えた。今の集客数や売り上げからすれば、三位以内は確実だろう。むしろ一位を狙えると思っているし、俺自身もそのつもりだ。


 唯一の気掛かりは、魔導鎧マジックメイルの起動回数があと二回しかないことだ。三か月以上試合をしなかった剣闘士はランキングから抹消されてしまうため、次の闘技場ランキング集計時には『極光の騎士(ノーザンライト)』は不在となる。そうなると、所属剣闘士による加点要素が大幅に減ってしまうのだ。


 とは言え、モンドール皇子も帝都剣闘士ランキングで五十傑にランクインしており、現在は四十一位だ。彼の順位はまだ上がるだろうし、うちには五位のユーゼフ、二十九位のダグラスさんだっている。


「――ふふっ」


 ヴィンフリーデが小さく笑う。突然どうしたのかと首を傾げていると、彼女はまじまじと俺の顔を見つめた。


「最近のミレウス、難しい顔をすることが減ったわね」


「……そうか?」


 予想外の言葉に目を瞬かせる。


「闘技場の運営が順調だからかしら。これまではこんな顔をしてたのに」


 言って、彼女は変な顔芸を見せる。……ひょっとしなくても、これは俺の表情を真似ているんだろうな。


「俺、そんな変な顔をしてたのか……」


 言いながらも、ヴィンフリーデの言葉に納得する。遥か遠くにあった目標に、手が届く距離まで近付いてきたのだ。

 運営も順調だし、このままいけば親父に誓った帝都一の闘技場まであとわずかだろう。


 そんな調子のいいことを考えていると、支配人室の扉がノックされた。


「あ、セイナーグさん」


 姿を現したのは、この闘技場がある三十七街区の顔役であり、マルガ商会の主でもあるセイナーグさんだった。


「ピィ!」


「あの、お邪魔します」


 さらに、セイナーグさんの陰からノアを抱いたシンシアがちょこんと顔を出す。セイナーグさんだけなら食料関係の取引、シンシアだけなら救護神官の話になることが多いのだが、この二人が揃うということは……。


「街の復興に関することですか?」


 俺の言葉にセイナーグさんは頷いた。


「三十七街区の復興状況について、ある程度数字がまとまりましたのでな。ミレウス殿にもお伝えしておこうと思いまして」


「それはありがとうございます。……ですが、よろしいのですか? この資料はマルガ商会やマーキス神殿にとっても重要なものだと思いますが」


 そう答えたのは、セイナーグさんに書類を手渡されたからだ。量は大したことがないが、それでも人口や復興状況、物価や地価に住民の傾向など、非常に重要な情報が記載されている。


 帝国政府の依頼を受けていることもあり、セイナーグさんがマーキス神殿と共同で情報収集にあたっているはずなのだが、そんな重要書類を俺が労せず手に入れていいものだろうか。


 そう悩んでいると、セイナーグさんが穏やかな笑顔を見せる。


「第二十八闘技場の移転がなければ、この三十七街区の復興は停滞していたことでしょう。闘技場を中心に人や物が流れ、それが周囲に波及している。かつてミレウス殿が言っていた通りですな」


「それはよかったです。あんな大口を叩いた手前、三十七街区に何も貢献できなかったでは情けないですからね」


「それに活気もある。人の賑やかさで言えば、すでに復興前を凌いでいるでしょうな。その書類を見てもお分かりの通り、闘技場周辺の地価は急激な勢いで上昇しています」


「そう言えば、うちの観客をターゲットにした店舗がいくつかできていますね。今後は、それらの店舗や他の施設との相乗効果も見込んでいきたいものです」


 その言葉に相槌を打つ。近隣に店舗ができると、そのたびに商会や店主がわざわざ挨拶に来てくれるのだが、それはそういう意味なのだろう。


 ただ、一つの施設だけに依存する状態は、三十七街区として危険な状況でもある。


「そうですな、第二十八闘技場だけに頼りっきりでは面目が立ちませんし、他の事業も育てる必要があるでしょう」


 セイナーグさんもそれを案じているのだろう。復興中とは言え、成長著しい三十七街区は悪くない物件であるはずだ。それを利用して、セイナーグさんは様々な事業の種を撒こうとしているようだった。

 堅実なプランが多いが、中には博打的なものも複数存在しており、敬虔な天神教徒であるセイナーグさんには似つかわしくない気もする。


「不思議ですか?」


 俺がそう口にしても、セイナーグさんが気分を害した様子はなかった。


「それは、私が商人を始めた理由にも繋がるのですが……ミレウス殿は、天神教徒についてどのようなイメージをお持ちですか?」


「イメージですか? ……そうですね、『勤勉』『素直』『正直』といったところでしょうか」


 突然の質問に戸惑いながらも、俺はいくつかの単語を絞り出す。すると、セイナーグさんは満足そうに頷いた。


「あまり商人には向いていないと思いませんか?」


「それは……まあ」


 口籠もりながらも、正直に答える。勤勉さはともかく、他の要素は他人との化かし合いにおいてマイナスに作用する傾向がある。腹芸を苦手とする時点で厳しいだろう。


「天神教徒には農民も多いのですが、ミレウス殿がおっしゃった通り、彼らはあまり商売に向いていません。そのせいで、村を訪れた商人に言いくるめられて損をすることも多いのです」


「そうでしたか……」


 しみじみと相槌を打つ。俺は帝都の外で暮らしたことがないが、それでもセイナーグさんが言っていることは理解できた。


「そのことに気付いた時、私はマーキス神に誓ったのです。商人たちとの交渉が苦手な彼らに変わって、私がその役目を負うと」


 なるほど、だからマルガ商会は食糧品を主に取り扱っていたのか。


「それでマルガ商会を立ち上げたのですか?」


「最初は、商会などという大それたものを立ち上げるつもりはなかったのですが、私の理念に賛同してくださる方は意外と多かったのです。そして何より、天神教徒が多い村を中心に信頼を得たことで、大口の取引を任せてもらえるようになりました」


 懐かしむような目で語った後、セイナーグさんは少し照れたように笑った。


「私はマーキス神の教えを忘れたことはありませんが、必要に応じて腹芸も用います。もちろん人を傷つけるような嘘はつきませんが、その一点において後ろめたい意識があるからこそ、それ以外の面で神の教えに沿えるよう努力しています」


「ご立派だと思います」


 俺の言葉は社交辞令ではなく衷心から出たものだった。だが、セイナーグさんはさらに照れた様子だった。


「と、ここまでお話しするつもりはなかったのですが、つい喋り過ぎてしまいましたな。……話題を変えましょう」


 柔らかい表情を浮かべていたセイナーグさんの顔が、商人のそれに変わる。


「――ディスタ闘技場の動きが、どうにもキナ臭いようです」


「ディスタ闘技場ですか……」


 俺は渋い表情を浮かべる。闘技場会議でディスタ闘技場とぶつかったことはセイナーグさんにも話している。それでアンテナを張ってくれていたのだろう。


「ディスタ闘技場が、というよりはあの支配人代理が、と言うべきなのかもしれませんが。闘技場絡みだけでなく、他にも色々あるようですな」


「そうでしたか……。ありがとうございます、情報源になりそうな貴族は限られているため、なかなか彼の動きが掴めなかったのです」


「こと闘技場の外においては、なかなか難しいものがあるでしょうな。……ですが、変装して外出することも多く、怪しげな一団が伯爵邸を訪れたまま出てこないとの噂もあります。これがミレウス殿に害を為すものでなければよいのですが……」


「貴重な情報をありがとうございます」


 セイナーグさんにお礼を言いながら、あの支配人代理の顔を思い浮かべる。あの男が自分の闘技場の運営だけに腐心するようには思えない。動き出しているというのなら、いっそうの注意が必要だな。


 新しい第二十八闘技場のスタートは、相変わらず波乱を含んでいた。


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